野良猫と蛇と狐
フォルシウス王国の至る所にあの子と私のあの花が植えられて、その木々から白と赤とピンクの様々な美しい色の花が咲き乱れ王国に色を添えたそんな頃。
カミーリィヤが第一子を妊娠した。
綺麗な字で綴られた手紙は、文面だけで分かるほど喜びに満ち溢れていた。 私もラファエルも、その手紙をポカンとした顔で凝視した後、時間差で嬉しさが込み上げて来ておでこを寄せ合って笑った。 フォルシウス王国の全ての人々がそんな報告を受けて連日歓喜し、またあの国の国旗とフォルシウス王国の国旗が至る所に飾られた。 けれど。
「 へぇ、そうなんだ 」
読書感想文なら即却下されそうな、そんな簡易な言葉を、これまた表情を変えずに吐いたのはやっぱりこいつだ。 私同様に捻くれた、狐男。
「 アドルフ、あんたそれでもこの国の大臣なの? 」
目の前で優雅に無糖の珈琲を飲むのは、ラファエルの一番の友人である腹黒アドルフだった。 この人がこの国の有数の伯爵家の家長であり、尚且つ大臣になっただなんて、誰が信じられるだろうか。
「 これでも喜んでるけどね。 まぁ、後はエドワード王子殿下が美しい伴侶を娶ってくれればこの国は暫くは安泰するんだけれど 」
21歳になったエドワードにも、堰を切ったように縁談の話が降って湧いて出てるのを本人からの手紙で私も知っている。 ただ、中々あの子のお目に適う子が現れないらしい。珍しく大臣らしい台詞を吐きながらアドルフは柔らかく微笑む。
「 エドワードの心配よりも自分の心配でもしたら? アンタいつになったら落ち着くのかねぇ……また女の子泣かしたらしいじゃない。まぁ、私が言えたもんじゃないけどさ 」
まだ熱い珈琲を冷ましながら私はクスクスと喉を鳴らしてアドルフに問いかける。 彼も同じ様な顔でケラケラ笑ってただ珈琲を美味しそうに嗜む。
「 女泣かせのアドルフ様だなんて王都で噂が立つくらい遊びまくったんだから、アンタにも可愛い運命の子が現れると良いんだけどね 」
「 君くらい肝の座った面白い女の子が居れば退屈しないんだけどな、今のところどの女性も同じ様にしか見えないよ 」
頬杖をついてケタケタ笑うこの男は、暫くは女泣かせのアドルフ様で居る気らしい。 まぁ、私はこの男を嫌いではないし、好きな様にしたら良いとそんな風に思う。
「 アンタはさ、どっちかと言うと私みたいな擦れた女より真正面からぶち当たってくる純粋な子の方が良いと思うけど 」
「 へぇ、それはまたどうして? 」
余裕そうな笑みで首を傾げる友人に、私は微笑み返して返事を返す。
「 だって、擦れたもん同士だと足の引っ張り合いじゃない? アドルフが悪い方向に行かない様に、手を掴める心優しい子の方がアンタは幸せになれるよ、多分ね 」
真面目に言ったのに、何故かアドルフは面白そうにして笑いを我慢した様な顔をするから私は眉間に皺を寄せる。
「 何さ、失礼ねアンタは 」
「 ふふ、それって椿とラファエルの事? そうか、君は幸せなんだね 」
珈琲は、気付けば口当たりの良い優しい温度に変わっていた。 それを見つめていた私から同じ様な柔らかい何かが溢れてくる。 クスッと笑った拍子に、アドルフも楽しそうにクスクスと笑みを零す。
「 あぁ、もうこんな時間か……僕は城へ行くよ。 エドワードに渡すものがあるのなら預かって行くけど? 」
「 本当? 助かるわ。 じゃあコレお願いしても良いかしら 」
正装を着ていたアドルフに便箋を渡すと、同じタイミングで大きな音を立てて庭園側の小窓が誰かに開けられた。
「 椿様、遊びに来たよ! 」
「 あらスザンナ、いらっしゃい 」
あの日からずっと変わらない可愛い金髪ボブの、少しだけ大きくなったスザンナが向日葵の笑顔で私とアドルフを見つめている。
「 スザンナ、玄関で待ってて? 一緒にアドルフをお見送りしましょうか 」
「 うん! 早く来てね! 」
ニコニコとその場から姿を消したスザンナを見送っていた私の顔を、何故かアドルフは凝視した後、優しい顔で笑って来る。え、どの場面がこの男のツボをついたんだろうか。
「 君の言う『 いらっしゃい 』も悪くないね 」
ああ、そうか。
何時からか私は自然とそれを口にする様になっていた。 そんな事を今更実感すると、頬がふにゃっと緩んでしまう。
「 段々と椿の尖った部分が削れて来た様な感じがするね 」
椿の枝に突き出た棘が、優しい蛇の様な人の手でひとつづつ折られて行って居るんだろうか。 でも、私は。
「 もう染み付いちゃったから、この性格は治らないと思うわ……と言うか、この性格が私なのよね。 でも、そんな野良猫にも離れたくない居場所が出来たって事じゃない? 」
部屋の扉を開けて私を促すアドルフは、柔らかい微笑みを崩さない。
「 へぇ、その居場所って? 」
珈琲は苦くてとても美味しかった。
私がこの世界で惚れ込んだ銘柄の珈琲は、いつしかこの屋敷でも絶対に切らさない様にストックがされている。これが一番好きだと、誰かに言ったわけでは無いけれど。
ラファエルが、この銘柄だけは切らさないようにと侍女に頼んでいたことを私は知っている。
「 決まってるじゃない、ラファエルの隣よ 」
野良猫の惚れ込んだ居場所は、何時だって仏頂面の蛇の隣だ。
満面の笑顔の私が、彼の瞳に映った後、アドルフは楽しそうに目を細めて、声をあげて笑う。
ーーー
ー
スザンナと手を繋ぎ、その子の髪をぐしゃっと撫でて馬に跨ったアドルフを見送る。
「 頼んじゃってごめんねアドルフ 」
「 ついでだから構わないよ。 どうせ嫌でもエドワード王子殿下に会わなければいけないからねぇ 」
柔らかく微笑む飄々とした友人は、私を見つめて来る………その顔にニヤッとニヒルな悪巧みの笑みを浮かべて。
「 あぁ、後、ラファエルへの伝言だったよね。 心配しなくても大丈夫だよ、さっきの君の言葉を一字一句間違えずラファエルに伝えるからさ 」
狐男のその言葉を少し遅れて理解した私の顔から血の気がサッと引く。
「 ちょっと⁉︎ 」
「 大丈夫だって、君の可愛い野良猫ちゃんからだよ〜って言っとくから 」
ケタケタ爆笑するアドルフは、やっぱり腹黒い……今日一番の笑顔で、悪巧みのドス黒い微笑みで私を見つめてる。 待って、それはダメだ。
「 言わないでよ⁉︎ 絶対に馬鹿にされる、お前は詩人かってまた笑われちゃうじゃないの‼︎ 」
スザンナと繋いでない方の手をブンブン振り回して怒る私の頬がだんだん熱くなってくる。 そんな私の変化にゲラゲラ声を上げる。
「 ねぇ、なんのお話してるのぉ? 」
「 とっても大事なお話よ! スザンナもこの馬鹿男を止めて! 」
「 大丈夫だよスザンナ、椿がラファエル様を大好きな事を彼に教えてあげるんだ 」
「 そうなのぉ? じゃあ教えてあげてね! 」
三者三様それぞれ笑顔と焦りと馬鹿笑いが入り混じった屋敷の外はとても騒がしい。
「 勘弁してよアドルフ! 」
「 じゃあね椿、君の大好きなご主人様が帰って来るまで尻尾を振って待ってれば良いよ 」
「 ちょ、待て! 待てアドルフ‼︎‼︎ 」
「 アドルフ様ばいばーい! 」
スザンナが可愛く手を振る隣で、無残にも手を伸ばした私を交わして優雅に馬を走らせて城へ向かって行ったあの狐男の後ろ姿を見送るしかなかった。
「 ……っ、こんのクソ狐野郎‼︎ 」
怒声が鳴り響く屋敷の外。
窓を開けたカロラナ様が口に手を当てて楽しそうに微笑んでいるのが視界の端に映り込んだ。
ーー
ー
「 ほぅ、私の野良猫はご機嫌斜めの様だな 」
その夜、帰ってきたラファエルが、含み笑いでニヤリと笑って私に甘い甘いキスを贈ったのは言うまでもない。
〜野良猫と蛇と狐〜




