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背中越しの36.6度

二人とその周囲が巻き起こす、何てことない日常の短編集です。




日々はただ穏やかに過ぎて行く。

カミーリィヤが嫁いで行ってから何ヶ月経ったんだろう。



「 あの子から手紙が届いたわよ 」



ごく自然と恋人の書斎の扉をノックもせずに開ける事にも慣れて来た今日この頃。 扉を開けた先のラファエルは、やっぱり完璧なまでに綺麗に掃除された書斎の絨毯の上に片足を立てて、目の前に何やら大きな紙を広げ難しい顔をして唸っていた。



「 ん、ああ、元気そうか? 」

「 えぇ、とても……仕事中だったのね、余り無理しちゃ駄目よ? ごめんね邪魔して。 出直すわ 」



フォルシウス王国の騎士団長になった彼は、休暇でも大体難しい顔で書斎に篭る事も多い。 そんな彼に声を掛けて、その場から去ろうとした私の背中にラファエルの声が掛かる。



「 此処に居て構わない 」

「 え? 良いわよ…邪魔でしょうし遠慮しとくわ 」


振り向いた私に顔を緩めて笑って頬杖をついた彼が、クイッと手招きする。




「 良い子だからおいで、椿 」






いつからこの人は私が言われて喜んでしまう言葉を把握する様になったんだろう。



ーー


特に話すわけでもなく、彼は目の前の紙に視線を落として顎に手を添え難しい顔をしたままで。 私は、何となくそんな彼の後ろに回ってその背中に寄り添う様に自分の背を重ねる。


「 お前、少し太ったか? ヤケに背中が重たいな 」

「 あのねぇアンタ、年頃の女にそんな事言うもんじゃ無いわよ 」


冗談目かしてそんな事を言う彼に、私も戯けて言葉を返す。 今、ラファエルがどんな顔してるのかは分からないけど、多分、私と同じだろう。



「 今日頼まれていた分の仕事は終わったのか? 」

「 えぇ、後はエドワードに送りつけて終わりよ。 私からあとどれだけ知識を搾り取ればあの王子は満足するんだろうねぇ 」

「 搾れるだけ搾るだろう、あいつは欲深い男だからな 」


この、優しくて幸せな時間を、きっと顔を緩めて微笑んで噛み締めてる。



「 なぁ、椿 」

「 ん? どうしたのよ改まって 」



紙の擦れる音と、何かを書き記す羽根ペンのサラサラとした音がとても心地良くて、お日様の光もなんだか悪くない。



「 生まれ変わりなんぞせずとも、お前は充分、素直で可愛い奴だ 」



羽根ペンと紙の音が心地良い。

この人の背中の体温も、とても心が安らぐ。 彼は多分こんな淡々と言葉を発しながらもきっと耳が赤くなっているんだろう。



彼は、いつだって私の欲しい言葉を幸せな時間の中で与えてくれる。




私の平熱は36.6度。

それと同じ温度が今、背中越しのこの人から染み渡ってくる。



「 ほぉ、悪くないな 」

「 ……それは誰の真似のつもりだ 」

「 さぁ、誰だろうねぇ~ 」



クスクス笑う私が甘える猫の様に彼の肩に頭を預けると、ポンポンと私の頭を撫でる彼もおかしそうにクスッと声を漏らす。



ーー



書斎の窓際に置かれた小さなテーブルセット。 そこに腰掛けて私は何も話す事なく本を朗読する。 ペラッと紙を捲る音と、彼の動かす羽根ペンの音だけが書斎に響き渡る。


何てことない、私達の他愛もない日常のありふれた光景。


ラファエルはひと段落ついたのか、長い息を吐いて目頭を指で摘まみながら、ゆっくりと立ち上がる。 そんな彼がチラッと視界に入った私は、テーブルに置かれていた陶器の冠水瓶からグラスに水を注いで置いておく。 それは、無意識で自然な、一連の何時もの流れ。 ただ、それでも彼はそんな私に何処か嬉しそうに頬を緩めるのを知っている。


「 今年の新兵は例年よりも精鋭揃いだ 」


私の側に立ったまま、フッと顔を緩めて先程のグラスに口を付けた彼が穏やかな顔で私に話し掛ける。 あぁ、なるほど、部下達の成績でも見ていたのだろうか。


「 可哀想にねぇ、いつかきっと私みたいにエドワードにこき使われるんだ その子達……あら、もう終わったの? 」



本を閉じて、クスクス口元に手を当てて笑った私は彼を見上げる。


「 ああ、今日はもう終わりにする 」

「 そう、お疲れ様 」



労いの言葉を掛けてから顔を下げて本の表紙を何となく摩っていた私の顎に、綺麗なラファエルの手が添えられた。 鏡に映った彼のその立ち振る舞いは目を見張るほど美しくて、そしてそのまま優雅な仕草でスッと自身に向かせる。



「 何処を見ている、余所見をするな 」

「 …んっ 」



啄ばむ様な、甘くて優しいキス。



色っぽいリップ音が書斎に響いて、唇を離した彼がそのまま頬に軽くキスをして来た。



「 ほらな、お前は素直で可愛い 」



頬が熱いのは自分でも感じられる。 そんな私を見つめて妖艶な微笑みで私を撫でるラファエルに、最近、もしかしたらこいつには勝てないかもと思い始めていたりする。



ーー



「 重たいって言ったらもう口聞かないからね? 」

「 そうか、それは困るな 」



彼の背中に凭れて本を捲る私の背中越しで、片足を上げて柔らかく戯けるラファエルの声が聞こえて来る。 私は、その彼から染みてくる温度に、彼には内緒で頬を緩める。



「 何をそんなにニヤニヤしているんだ 」

「 ……貴方、後ろにも目がついてるの? 」



彼の体温は違和感なく上手に、私と混ざり合う。

だって、多分彼の平熱もきっと。









~背中越しの36.6度~


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