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蛇男は少し仕事がひと段落したのか、馬車馬の如く急いで屋敷に帰って来た。 私はそれを窓から見下ろして、出迎えに行くことは無かった。
考えれば考えるほど、どんな顔を下げてあの男と向かい合えば良いのか全く分からなくなってしまったから。 でも、あいつはきっと来る。
「 ……変わりはないようだな 」
部屋の扉の方から聞こえて来た、その低くて掠れた声に力なく振り返ると、やはり少しだけ息を切らした蛇男が険しい顔で突っ立っていた。
「 ……おかえり 」
「 ああ、戻った 」
絹の寝衣を纏った私がゆっくりと歩幅を詰めて行くのを、私の好きなようにさせる為か、ただ黙って見つめて来る。
私には、やっぱり理解出来ない。
「 ……何の真似だ? 」
片眉を吊り上げて険しい剣幕で私に問いかけてくる蛇男は、胸元まで寝衣を下げた私を鋭い言葉で射抜く。
「 貴方の目的はコレでしょう? 良いよ。 無理に口説き落とそうとしなくたって、ヤりたかったら素直にそう言えば良いのよ 」
月明かりが私の胸元を照らしていて、鏡台に映る私の寝衣は手で抑えている胸元以外はずれ落ちて背中が丸見えになって上の下着が露わになっている。そして、向かい合う蛇男は苦虫湯潰したように険しい顔でそんな私を睨みつけている。
「 要らないのよ、嘘偽りで固めた嘘くさい言葉なんて。 めんどくさいことは抜きにしましょう? 」
「 ……ふざけるな、寝衣を早く元に戻せ 」
男どもは私の身体を貪りたい時、何時だって嘘で固められた甘い言葉を投げ掛けて来たじゃないか。 あんたもそうでしょう? ……そうじゃなかったら、私はどうして良いのか分からない。
「 アンタの本当の目的は何? ……私は、あの子を貶めたりしないわよ? 大丈夫よ、心配しなくたってこの国に危害を与えるつもりも毛頭ないわ 」
「 ……何を、言ってるんだ 」
唖然とする蛇男の瞳に、心のない人形のような表情を浮かべる私が映り込んでいる。 何でそんな驚いているの? 貴方の目的は何よ。
「 ……じゃあ、何なの? ああ、分かった。 惨めで報われない幼少期を過ごした哀れな女に優しくして、周囲からの尊敬の念が欲しいの? 」
私の頭では、これ以上何も結論が出なくて殆どパニックに陥っていた。 自分がどんな顔してるのか分からないけれど、蛇男は突然私を抱き締めた。
「 ……落ち着け。 私はお前を利用しようとも、お前に対して何かを企んだりもしておらぬ 」
突然の衝撃で、寝衣が大理石の床の上にスルッと落ちてしまった。 肌に直接伝わってくる蛇男の騎士装束の布の感触が辛くて、おかしな音が口から漏れる。 私の素肌を抱き締める蛇男は唇の端から辛そうな吐息を吐いて、そのあと羽織っていたあの長くて邪魔そうなマントを私の身体に羽織らせた。 だから、蛇男の香りが身体中に掠めてくる。
「 違う……アンタはこの国の為、もしくはあの子を護る為に仕方なく私に嘘の言葉を投げ掛けて来ているの。 だって、貴方はあの子を心底愛していた筈……それが変わるなんてあり得ない。 私は信じない 」
「 嘘など一言たりともついていない。 私はお前から手紙の返事が来るのを城でずっと待っていた 」
そんな掠れた低い声で言わないで。
「 ……辞めて、離せ、離せっ‼︎‼︎ 」
力いっぱいに蛇男の腕から逃れて、おずおずと寝台の方へ下がって行く私を、逃さないと言うように追い詰めて来る蛇男。
「 ……っ、 」
寝台の端にぶち当たってしまった私に逃げ場は無くなって、口の端しから頼りない音だけが零れる。
「 私は初めて会ったあの日、容赦なくお前を傷付けた……助けねばならん時に一番に助けなかった。 お前を無理やりに抱いた…信じて貰えぬのは重々承知している 」
懺悔の様に悲しそうな口調でそう言って来る蛇男。 そんな蛇男の肩を思い切り押して寝台の上に倒れ込ませる。
「 ……っ、煩い‼︎‼︎ 」
私の絶叫が部屋に響き渡って、上に覆いかぶさった私を蛇男はただ真っ直ぐに見上げて来る。
「 そんな事、どうだっていい‼︎‼︎ ……私はアンタの目的を聞いてるの、正直に言ってよ! 何が望みなのよ! 」
「 …っ、何も企んでなどおらん! 」
「 嘘つかないでよ! 私はアンタの事、これでも大事に思ってるつもりなのっ、だから話してよ協力するから! 頼むから! 」
首元を掴んで、蛇男を乱暴に抑え込む私の手をグッと強く掴んで来る蛇男は、とても悲しそうな顔で私を見上げている。
なんで、そんな辛そうな顔するの。
「 アンタは私に何を望むの⁉︎ 小鳥遊 椿に何を望んでるのよ‼︎‼︎‼︎ 」
『 ねぇ、ポチって実家金持ちなんでしょ? 御曹司の知り合いとか居ないの? 』
『 ポチー! 芸能人ばっかのパーティーって本当にあるの? 』
ああ、だって地球の馬鹿共は何時だって尻尾を振って下心が隠せずに私に媚を売って来てたのに。
「 何が望みなのよっ‼︎ 父の金⁉︎ それとも資産家の令嬢の人脈、女優のコネ……俳優仲間、豪華なパーティー、私の身体、華やかな交友関係⁉︎ ねぇ、どれが欲しいのよ‼︎⁇ 」
見下げる蛇男の頬に涙が伝って、寝台に流れ落ちたのに、蛇男の瞳からは涙は出ていなかった。
ーー私が、泣いていた。
「……っ、お前に何かを望んでなどおらぬ 」
辛そうに顔を歪ませて私の腕を掴む蛇男の頬にポタポタ私の涙が流れ落ちる。
「 嘘よ‼︎ ……っ、私は何かを与えないと他人から構って貰えなかったもの! 私に何も望んでないなんて嘘つかないでよ‼︎‼︎‼︎ 」
それは、私の心の叫びだったのか何なのかよく分からない。 ただ、蛇男はされるがままで、ずっと悲しそうで。だって、何時だってそうだったもの。
条件が必要だった。
「 ……っ、私が無条件で誰かに大切にされるなんてあり得ない‼︎‼︎‼︎ 」
堰を切った私の絶叫と滴り落ちる私の大粒の涙と同時に、蛇男が力の限り私の腕を引っ張り、私を抱き寄せた。 その強い力に二人とも寝台の上で倒れこんでしまう。
「 ……良い加減にしろ‼︎‼︎‼︎ 」
怒った声と力強い腕の暖かさが私を包みこんで、気付けば蛇男が私の上に覆いかぶさり、両手を押さえ込んでいる……見上げた蛇男の両耳の装飾が月明かりに揺れる。
「 ヤりたいならヤれば良いじゃない…… 早く抱きなさいよ‼︎‼︎ あの子の代わりに私を利用すれば良いじゃない‼︎‼︎‼︎ そういう理由が無いと私は生きてる意味が分からなくなるの! 」
涙で前がボヤけて訳が分からないけれど、また蛇男の分厚い胸板に抱き寄せられてギュッと抱き締められた。
「 お前をもう二度と誰かの代わりになどするか……もう二度と 」
苦悩の混じった辛そうに震えるその声に、私はどうして良いか分からなくて泣き喚きながら強く何度も蛇男を叩くけれど、鍛えられたその男は女のそんな力に微動だにしない。
「 お前の地位など知らぬし、人脈になど興味もない……私はーー 」
「 アンタは私のことが好きな訳じゃないよ! 目を醒ましなよ‼︎‼︎‼︎ 」
遮って絶叫を上げる私に、辛そうな声だけが聞こえて来たけれど、散々泣き喚いた私は思った以上に体力を消耗していたらしく、ガクンと蛇男の分厚い胸板に崩れ落ちた。
そんな私を腕一杯に抱きとめる。
「 ずっと側に居る……とにかく、今は眠れ 」
そんな声だけが聞こえて来て、そのまま私は意識を手放した。




