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ずっと思ってた。
学校からの帰り道のあの桜並木を、手を繋いで帰る恋人達や、ロケ車の窓から見えたライトアップされた街並みを寄り添いながら微笑み合う恋人達。
あの女の子は、どうやってあんな風に愛して貰えるようになったんだろうって。
お父さんとお母さんに手を繋がれて、楽しそうな笑い声を上げる子供達。
あの子達は、どうやってあんな風に両親を笑わせているんだろうって。
どんな役だって小鳥遊 椿 は演じて来たし、それに見合う賞だって欲しいままに手に入れてきた。 でも、本当は家族愛や純愛の仕事が来ると、私は道化師になった気分に陥っていた。
違う、違うんだ。
あの子達は、あの女の子達はもっともっとお日様みたいに笑ってた。 こんな笑顔じゃなかった、違う、私のは偽物……ロボットみたいだって。
『 お前に惚れている 』
蛇男が私を好きになるはずがない。
だって私は何も知らないし、人間として当たり前に貰えた筈の愛を貰いそびれた。 だから、あんな風に家族に愛されて、カミーリィヤに愛されていた蛇男が、ゼンマイ仕掛けの私なんて好きになる筈がないんだ。
あの人は、きっと勘違いしている。
ーーーーー
ーー
「 その顔を見るに、ラファエルに好きだと言われたんだね 」
「 ………え 」
「 戸惑ってる君なんて初めて見たよ。 人間らしくて良いんじゃない? 」
国中が王女様の結納に湧いたあの日から、数日経った今も、あの優しい王子様の国の国旗と、この国の国旗が至る所に掲げられている。 そんなとある日の昼下がり、椅子から窓をボーッと眺めていた私に痺れを切らした様にアドルフが言葉を投げてきた。
「 本当に気付いていなかったんだね。 ラファエルはとっくに王女様の事なんか吹っ切れてたみたいだけど 」
紅茶を優雅に嗜む彼は、何処か余裕そうな表情で飄々と微笑んでいて、私はそんな彼の言葉に何も返せない。
「 君は知らなかったんだろうけど、城ではとっくに知れ渡ってたらしいよ? ラファエル様がポチ様にご執心だってね 」
嘘だ。 あの堅物で仏頂面の男が、私に心惹かれるなんてあり得ない。
「 君の言動の節々だけを見ると、自信家で傲慢知己に見えるけれど本質はそうじゃない……思慮深く優しい。そして、何も知らない赤子の様だ。 何かを欲しがって求めてる様にも見受けられたけれど、それはきっと君の生きてきた背景に関係があるんだろうね 」
淡々と私の本性を、答え合わせの様に投げ掛けて来るアドルフは聡明で洞察力に優れた男なのかもしれない。
「 別に君の過去には興味はないさ。 椿はどこまで行ったって、僕にとって椿でしかない。 ただ、変わりたいならラファエルの手を取れば良いんじゃない? 」
変わる? それはどう言うことだろう。
「 君は自分自身の変化にも気付いていないんだね。 まぁ、仕方ないのかもしれないけれど 」
私の変化って何だろう。
だって、私は『 愛 』以外は全て手に入れた筈……他人から見れば恵まれているこの容姿もそうなんでしょう?
「 アドルフ、あの男は優しすぎる故に勘違いを起こしてしまったのよ……同情を愛情だと錯覚して、自分なら助けてあげられると。 あの人は可哀想よ。 私が側に居過ぎた所為でとんでもない選択をしてしまった 」
私の所為で、あの人は本当に好きな女の人を逃してしまった。 一瞬の勘違いの所為で一生後悔する羽目になるんだ。
「 同情だかどうだか知らないけれど、 あの王女様の結納の祝賀式典を喜んで全ての指揮を取ってるのは、君の言う勘違い男だけど、それを椿はどう思ってるの? 」
そう、蛇男は私にあんな事を言った翌日からカミーリィヤの結納祝賀式典の全ての指揮を取る為に城から帰って来ていない。 再来週に予定されたあの子のこの国での最後の式典……それが終われば、あの子はあの王子様の国へ嫁いでしまう。
「 あの男の目を醒ましてあげなきゃいけないって思うわ……だって、ずっと想っていた女性が本当に誰かの物になってしまうのよ? 」
「 でも君は、何も行動を起こそうとしていないね。 椿なら僕にそんな事を言う前にとっくに行動に移しているだろうに 」
図星だった。
何故か、どうしてか、蛇男の目を醒ましてあげなければと思うのに身体が言うことを聞かない。
「 ラファエルからの手紙には一切返事をしていない様だね。 昨日ラファエルに会った時、彼は随分悩まし気な顔をしていたけど 」
蛇男から綺麗な字で、私に充てた手紙が確かに送られて来ていた。 それは、古風なラブレターの様に気味の悪い気障な台詞が書かれている事もなく、ただ彼らしい淡々とした言葉が書き綴られていた。 夜は眠れているかとか、子供達と遊んでいるのかとか。 私はそれに一切返事を書けなかった。
「 僕なんかに君が逃げない様に見張らせている時点で、椿は認めるべきだと思うけれどね。 ラファエルは元々そんな風に執着を見せたりしない男だ 」
私には分からない……蛇男が私に惚れたなんて思っている事も、私がそれを向けられていることも、本気で理解が出来ない。
いつだって、私には分からない。
「 ねぇ、アドルフ? 」
無機質な私の声に静かにこちらを見上げるアドルフは珍しく大人びている。 普段のおちゃらけた雰囲気が何処かに消えてしまって、何? と優しく問いかけて来る。
「 愛って、何なの?……あの男はカミーリィヤを心底愛していたんでしょう? 愛はそんなに簡単に揺れ動く物なの? 」
カミーリィヤもあの蛇男も、どうして終焉を迎える事を喜んで受け入れたのか分からない。 だって、いつか見たあの女の子達は、腕を組む男を、この人しかいないって目で見つめていたし、揺るぎない物だって自信に満ち溢れていたのに。
だから、私はそれを知りたかった。
もしかして、あの女の子達も、あの愛をとっくに捨ててしまったの? 誰か、教えて欲しい。
ポチに、私に、愛を教えて欲しい。
「 アドルフ、私には分からない。 何時も、愛と言う感情だけが、どれほど考えても理解が出来ないの 」
色を無くした私が、ただ茫然とした顔でアドルフにそう告げると、彼は眉を下げて冷静に私を諭す。
「 愛の定義なんてこの世に存在する訳ないでしょう? ……二人の気持ちは彼等にしか分からないし、ラファエルの君を想う心もラファエル自身にしか分からない 」
嘘だ、この世に愛の定義は存在しないの? 私はそれが知りたかったのに。 定義さえ理解すれば私は本物の人間になれると思ったのに。
唖然とする私を見つめて、アドルフは思い立った様に私の側まで来て、そのまま真ん前にしゃがみ込んで、膝に置かれていた手を握って来た。
「 ……何? 」
「 椿、君は本当に生まれたばかりの赤子の様だね……怖がらなくたって良い。 僕が教えれるのは、人を信じるって事は悪いことではないと言う事だけだ……だから、泣くほど不安がらなくたって良いんだよ 」
優しくそう言って私の頬を拭ったアドルフの仕草で、初めて自分が涙を流していたことに気付いた。 ボーッと佇む私をアドルフがギュッと抱きしめて来た。
「 バレたらラファエルに殺されるね。 まぁ、泣いてる女の子が目の前に居るんだから情状酌量だろう 」
戯けてクスクス喉を鳴らすアドルフの声が耳元で聞こえる。
「 愛される権利は、誰もが平等に生まれ持っているんだ。 君だってそうなんだよ、椿 」
何だか、その言葉が鐘の様に私の脳裏に響き渡って消えて行った。




