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窓の外から湖に一帯を囲まれていたあの城の天辺だけが見える。 大きな山の麓に聳え立つあの雄大な古城を、きっと王都の民達は国のシンボルとして誇っているんだろうななんて呑気に思いながら、ボーッと見つめる。



「 …ま、…椿様‼︎‼︎‼︎」


背中の後ろで聞こえて来た怒鳴り声に思わず肩がビクッとなりながら振り返ると、以前から何度か会っていたことのある侍女がプンスカした顔で私を睨みつけていた。


「 ……何? 」

「 ラファエル様はたった今、城へ向かわれたのに、椿様ったら今日もお見送りにいらっしゃらなかったですね! 」


チラッと窓の外を見てみると、重量感ある大門を開けて蛇男は馬に跨り外へ駆けて行った。


「 喧嘩でも為さっているのですか? 恋人が職務へ向かわれると言うのに、椿様はボケーっとして窓を見つめて 」


怒ってるのか笑ってるのか、野次馬魂なのかこの侍女はとても気さくで、毎朝こんなやり取りばかりもう何日も続いてる。


「 ラファエル様がわざわざ城の自室では無く、御実家に戻って暮らす様になったのも貴女様が此処にいらっしゃるからですのに…ふふふ、貴女様はラファエル様を転がすのが御上手ですこと 」


楽しそうに笑う侍女の目尻のシワは、蛇男を小さい頃から見守って来た慈しみが込められている。


「 『 あいつの起きる時間を私に合わさせなくとも良い、今日も宜しく頼むぞ 』とラファエル様は毎朝、わたくしに貴女様の事を事付け致しますのよ? 椿様は本当に愛されておられる 」


蛇男を昔からよく知ると言うこの侍女はそうやって何処か嬉しそうに私の肩に手を添える。 私がそれに曖昧に苦笑いして目線を逸らすのも毎度の事。



ーー私は蛇男のあの屋敷で、ヘルクヴィスト家の屋敷で暮らす様になっていた。


多分、もうひと月は経ったと思う。

私はあの辺りの記憶があまり無くて、あの日の翌日には城を出てこの屋敷に来ていた……私を見送るあの弟姉の何か言いたそうな、寂しそうな表情はまだ記憶の端に残っている。


「 さあ、子供達がお昼頃にはやって参りますわ。 お召し物を着替えましょう、カロラナ様が貴女様に似合いそうなお色のドレスをお見立て致しましたから 」


カロラナ様……蛇男のお母さん。

あの人は、私にとても優しくて、猫可愛がりする様に私を甘やかす。 その度にどうしていいか分からず私はただ眉を下げて曖昧に笑うだけ。 ポチは偽名で本名は『 椿 』だと名乗る事と、本性を隠すなと蛇男は私に約束させた。 渋々それを告げた私にカロラナ様はただ笑って驚くだけで、カロラナ様も含めこの侍女もそして他の屋敷の方々も、豹変してしまったポチの性格に土足で立ち入ることは無く、何故城を出たのかも聞かず、ただ何も無い様にこれが当たり前だと言う風に立ち振舞ってくれている。


この屋敷で私は初めて『 椿 』として生きている。 ただ、ひとつだけあの頃の様にこの屋敷の人を欺いていることがある。


ーーそう私は蛇男の『 恋人』として、此処で暮らす事になってしまった。


確かに、一度そう言った手前その設定を崩す事も出来ないし、蛇男は私を屋敷以外に置くことに頑固として賛成しなかったからだ……此処で暮らす事で掛かってしまう私への費用も私には払わせないと何度言っても許してくれなくて。


私は結局、城で掛かってしまった費用も返していないから、それが不安で恐ろしくて堪らないのに蛇男はそれを払う必要などないと、払わなければ後が怖いと反論する私に一点張り。 本当にそんな事が許されるのか……父も父の家族も許してはくれなかったのに。





ーーーーーー

ーーーー



子供達と散々遊んで程よい疲れが身体に染み渡るその日の夜遅くに、蛇男は城から帰ってきた。 蛇男は何故か私と一緒にこの屋敷に出戻って、城で与えられた部屋では無く此処で暮らす様になった。 その分、朝は早く出発し夜は遅くに帰ってくる…幾らそんなに離れていないと言えども、あの城で暮らす方が間違いなく楽だと思うのに。それをこの屋敷の人は『 愛されている 』と言うけれど、それは違うと思う。


『 責任感 』 もしくは 『 同情 』 そんな類だとしか私には思えない……あの男には私の人生の話はしなかった。 ただ、本名と腹の火傷は親の憎しみの証だと、それしか言わなかった私にそれ以上は聞いて来なかった。


本名を名乗ったからと言って、心を全て開いた訳でもない私に蛇男は態度を変えることもなく、ポチの頃の様に接して来る。


「 ……驚いた、出迎えか? 」


少しだけ驚いた顔で、門を潜り抜け屋敷の正門まで来た蛇男は馬から颯爽と降りて私を見てくる。 私達をニヤニヤ見ながら何故か私を囃し立てる様な顔で庭番の人が、馬を馬小屋へ連れて行ってしまった。 コツコツと靴を鳴らして、億劫そうに羽織っていたマントの留め具を筈す蛇男は、私の真ん前で立ち止まった。


……毎日の往復は疲れないのだろうか? 最近まで職場に住んでいたのに。


「 コレを預かって来た。 兄と弟がお前に渡してくれと 」


ポチの時に仲良くなっていた近衛騎士が実は蛇男の兄弟だと知ったのは此処に来てからだ。 言われてみればよく似た顔立ちだったし、何より蛇男と同じ紺色の髪を持っていた。 本当に私は他人の顔をちゃんと見ていなかったんだと反省した。 蛇男の兄弟は、私が屋敷で暮らす事に大賛成してくれたらしく、こうやってあの城で暮らす蛇男の兄弟達が時々、渡航先で見つけた美味しいお菓子やお茶などを私に譲ってくれる。


「 来週には兄上が屋敷に顔を出すと言っていたぞ 」


蛇男は淡々と表情も変えずにそれを報告の様に教えてくれる。そう言えばなんで私はこの人をこんな時間まで待っていたんだろうか。


あぁ、へんなの。


「 ……なんだ? 」


蛇男は本当に表情も変えずに、私を見て首を傾げている……私が差し出した右手を見ながら。


「 洗濯するんでしょ…私が洗うよ 」


マントを睨み付けてそう言った私にキョトンとした後、小さく口角をあげて私に差し出して来る。


「 ああ、ではお前に頼もうか 」


何だかヤケに優しいその口調に、居心地が悪くて、マントを受け取った後、口がモゴモゴしてしまう……蛇男は長い髪が鬱陶しかったのかささっと一つに緩く結って、その拍子に耳飾りか涼しい音を奏でたから、それをボーっと見つめてると勝手に口が開いた。


「 アンタの部屋にハーブティー用意しといたから 」

「 ……どういう意味だ? 」

「 私は良く飲んでたの…その、あれよ、仕事が終わった後とかね 」


目を逸らしてマントを見ながら言った私に柔らかい声が降ってくる。 それは吐息の混じった優しい音。 私はその音のした方向をジロッと睨み付ける。自分でも子供染みてると思うけれど。


「 …何よ? 」

「 数年前までは此処から通っていた。決してコレを負担だとも疲れたとも思ってはおらぬ…お前が気を負う必要などない 」


こういうところがムカつく。

むず痒いんだ、どうしても……コレは多分、図星だからなのかもしれない。 鼻をウサギみたいにピクピクさせてる私を真顔で見つめる蛇男の口角が少しだけ上がる。


「 だが、城から帰ってきた後に飲むソレは格別だろう……感謝する。 で、何故お前は私を待っていたのだ」

「 は? 別に理由なんかないけど 」


夜風に揺れる一つに束ねたその髪が、なんだか綺麗で。 不貞腐れた私の顔を見た蛇男は、フッと小さく微笑んで、そのまま屋敷の中に入ろうと階段を登り始めた。その後ろ姿を見た私は口を開く。 本当に、椿として生きた途端に私は不貞腐れた子供みたいに素直になれないようだ。


「 ちょっと待ってよ 」

「 あぁ、どうした 」


振り返った蛇男の顔をみて、私が何故此処で待っていたのかも何が言いたかったのかも、全部暴露ててあえて気付かないフリして屋敷に戻ろうと歩みを進めたのも分かってしまった。 それがまたむず痒いのだ。


「 ……おかえり 」

「 あぁ、戻った。 屋敷に戻るぞ、湯浴みの後に夜風に当たると風を引いてしまうだろう 」


そう言ってそのまま私を待つ蛇男の元に向かう私の足取りは少しだけ重たい……気恥ずかしくてむず痒いから。 そんな不貞腐れた私を見つめる蛇男は何だか穏やかで。


「 お前は警戒心の強い猫みたいだな 」

「 煩いわよ、顔に表情の無い男には言われたくないわ 」


ーーそんな優しい顔をするなら、明日の朝も見送りに行ってやっても良いなんて、そんな事を考えた。


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