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第3話

「まず、17日の月曜日18時、ファーガスが自首してきました。その翌日、犯人逮捕の新聞記事を見たレイナーが“あれは自分がやった。ファーガスは私をかばっているだけだ”と言ってきたのです」


 真剣な眼差しでそういうグリーンスレード警部を見ながら、ジェームズは再び捜査資料に目を落とした。


「供述内容は?」

「まずファーガスですが、どうもウィケット氏に多額の金を貸していたようです。それを返してほしいと言いに行ったところ、口論になりカッとなって後ろを向いたウィケット氏の後頭部を文鎮で一撃。倒れ伏して動かなくなったウィケット氏を見て怖くなり、万が一にも生き返られては困ると何度も顔面を殴打してから慌てて家を飛び出したと。タイピンがなくなっているのに気づいたのは家を出てからで、その後に慌てて取りに行った。しかし、死体が握ったものだから気持ち悪くなって排水溝へ捨てたのだそうです」

「何度殴ったか覚えているか? 部屋の中をいじったりはしなかったか?」

「いいえ、ジェームズさん。彼はウィケット氏を何度殴ったか覚えていなかった。それに彼とその場にあった凶器以外には触らず、一目散に玄関から逃げ出したと言っています」

「死んだかどうかは確認しなかった?」

「ええ。ですが相当に強く叩いたようで、ジェームズさんも遺体を見たら分かりますが生きている可能性は無いと思えるほどに酷い」


 ジェームズはぱらりと捜査資料をめくる。その目はせわしなく動いており、何一つ情報を見逃すまいという意気込みが見られた。


「次にテッサ・レイナーです。彼女はファーガスがウィケット氏に金を貸していたのを知っていた。今まで会ったこともない人物でしたが、婚約者であるファーガスが悩んでいたことを知っていたので、結婚前になんとかしたかった。そして直談判に言って口論になる。襲われかけたところを突き飛ばし、ウィケットは文鎮に頭をぶつけて動かなくなった。もし完全に死んでいなくて生き返ったとして、自分を訴えられては困ると思い、何度も顔面を鉱石のオブジェで殴打して止めを刺したというわけです」

「ほう、強い女性だ」

「タイピンに関しては恋人にあげるつもりで持っていたもので、金を返してくれる代わりにこれをやると交換条件を出したとか。しかしそれはとても珍しい型なので、殺してしまった今、それがウィケット氏の手の中にあると困る……店員が購入した自分の顔を覚えているはずだと思い、ウィケット氏の手の中から奪った。ああ、それから婚約指輪をもみ合っている最中になくしたそうで、それを見つけてくれれば私が犯人だと分かる、と。こちらも何度殴ったかは覚えていませんでした」

「鉱石のオブジェとは?」

「文鎮以外に凶器として残されていたものです。大量の血がついているので間違いないでしょう。この凶器に関しての詳細は新聞社に出していません」

「なるほど……新聞社が知らない情報を知っているわけか。いや、しかしこういった事件が起こるたびに思うが、我が国はいち早く指紋による捜査を実行すべきだと思わないか? だがこれが世間で一般的に実現されるまでには、あと20年ほどかかるだろう」


 そう言いながらジェームズは捜査資料を放り出し、大きなため息をついた。


「それでグリーンスレード警部。君たちの捜査から見て、2人の証言に間違った情報は無かったと」

「ええ、そうです」

「では“足りなかった情報”は?」

「ファーガスですが、彼は殴った際の凶器を覚えていなかった。手近にあった何かで必死に殴ったと言い張っています。だから我々はそれが新聞で得た情報だと思いました。それからレイナーですが、彼女の言った指輪はとうとう出てきませんでした。しかし我々は、状況証拠からして本当の犯人がレイナーだと確信し、ファーガスを釈放したのです。彼女の方がより詳しく、誰も知らない情報を知っていたのですから。何より、ファーガスの友人が彼のアリバイを証明した。当日、彼は友人と一緒に遅くまで酒場で飲んでいたと言っていますし、それは店員も証言している」


 ジェームズは再び顎を撫で始め、ブツブツと何かをつぶやき始めた。


「その件に関してファーガスはなんと?」

「行きはしたが早くに帰ったと」


 その後、ジェームズは急に静かになって思案し始めた。時折つぶやき、時折喜びの奇声を発したかと思えば怒りの唸り声を上げたりした。この光景を何度も見ているはずのグリーンスレード警部もさすがにゴクリと生唾を飲み込む。

 グリーンスレード警部がいよいよ何か声をかけたほうがいいのかと思い始めたときのことだった。


「グリーンスレード警部」


 ジェームズはスッと顔を上げると、一直線にグリーンスレード警部を見つめた。


「なんでしょう」

「現場に行かせてくれ。それからその酒場の店員に、もう一度彼らが何時までそこにいたか確認して欲しい。私の考えが正しければ、店員が一番最初に警察へ伝えた時間よりだいぶ早くに帰っているはずだ。本当のことを言わないようなら多少脅せばいい。君たちは得意だろう? “法に引っかからない脅し方”が。ん? 待てよ。事件発生から何日経っている?」

「御幣のある言い方はやめて頂きたい。それからレイナーは15日に殺害しています。自首してきたのが18日ですから、もう3日は」

「そうか、3日か。現場に行くのは急がねばならんな。いやしかし運のいいことに15日から雨は降っていない」


 そう言うと、ジェームズはサッと立ち上がり足早に部屋を飛び出していった。その後を慌ててグリーンスレード警部が追いかける。


「辻馬車を――いや、それだと間に合わんな。ここの車を借りられるか?」

「ええ、もちろん。私が運転しましょう」


 2人は急いで警察署を出ると、車に乗り込んで事件が起きた家へと向かった。しばらく黙って車に揺られていたが、家が見えてきた辺りで突如ジェームズが一方的に話しだした。


「本来ならばここらで止まって辺りを見たいところだが、3日も経っていれば往来の人間に踏み荒らされているだろうな。踏み荒らされていないところと言えば、私有地の中だけだろう。いや、しかし君たちが現場に入ったのか。ああ、グリーンスレード警部、ここで止まってくれ」

「一体何が踏み荒らされているんです?」

「証拠以外にあるか? もし私が警部であったのなら、現場を踏み荒らさないことを徹底する。捜査報告には圧倒的に足跡に関する報告が少なかった。無いと言ってもいい。それは何故か。君たちが踏み荒らして消してしまったからだ。まったく、君たちは自分のつまらないプライドのために、犯人に近づく手立てを失った」


 自身満々なつぶやきにグリーンスレード警部の顔が歪む。しかしそれを気にも留めず、ジェームズはさっさと車を降りてウィケット邸へと歩いていった。そして丁寧に門のところを調べ、玄関ドアをルーペで見る。

 次に無遠慮にドアを開けて中へ入っていくのを見て、グリーンスレード警部は慌てて後を追った。もちろんジェームズが何かしでかさないかを見張るためにだ。


「これは……いや、しかし……」


 屋内は非常に綺麗に整頓されており、1つの塵もない。壁にかけられた絵画は床と水平にかけてある。

 その中をジェームズはずっとブツブツつぶやきながら、絨毯の敷かれていない床ばかりを見ていた。そして腹ばいに近い格好で地面を見ながら、グリーンスレード警部へと声をかけた。


「グリーンスレード警部。捜査報告書には足跡についての報告が本当に無かったと思うが、実際のところどうなっているんだ。君は現場にいたんだろう?」

「……報告書以外の情報はありません」

「君たちは実に良い仕事をしたようだな」


 ムスッとした顔でジェームズが言うと、グリーンスレード警部は少しだけバツの悪そうな顔になった。

 やがてジェームズは立ち上がり、地面見たまま首を傾げたりしながら殺害現場となった部屋へ入っていった。そこでようやく顔を上げると、少しだけ驚いたような顔になる。


「ああ、ここがそうか」

「ええ。そこの机の横でウィケット氏が亡くなっていました」

「だろうな。血の染みを見たらわかる」


 それからジェームズは巻尺を使って床の上の染みを測ったり、先ほどと同じように床にうつぶせになったりして、時折クローゼットを開けては中を物色する。

 やがてジェームズは喜びの声をあげた。


「なるほど、そう言うことか!」


 そう言ってクローゼットから靴箱を引っ張り出して一目散に駆け出し、ジェームズは窓から外へ飛び出そうとしてとまり、窓の外をしばらく眺めた。やがて外へ飛び出すと、ゆっくりと歩き始めて地面をジッと見つめる。


「一体何があったと言うのですか」


 慌てて後を追って来たグリーンスレード警部がジェームズの前に立とうとしたとき、その動きをジェームズが制す。


「ああ、踏まないで。そこにはまだ証拠が残っている」

「証拠?」


 グリーンスレード警部が足元を見てみれば、そこにはいくつかの足跡があった。しかしこれは捜査のかなり早い段階で見つけていたもので、特に重要だとは判断されなかった物だ。


「これは警官のと……それからウィケット氏のものでしょう」

「君たちは一体何を見ていたんだ? 家の中に女性物の靴の足跡があったのに気づかなかったのか?」

「女性の?」

「まあ、気づかずとも仕方がない。君たちは私のように地面を見ていなかったのだからな。」


 またもや気まずい思いをしながら、グリーンスレード警部は小さく咳払いをした。


「それで、その足跡とは?」

「全部で4種類ある。1つは女性のものだ。それから君たちの足跡。確か警官は靴をそろえていたな? もう1つは恐らくウィケット氏のものだが、最後の1つが面白い」

「誰の足跡なんです?」

「まあ、焦るな。残りの1つは男のものだ。それもかなり大きい。そして左足が特徴的な欠け方をしていた。この家の庭に男が入る理由はあるか? 見たところ修理が必要そうな場所や修理をしたような場所はない。つまり、この事件に関わったものの足跡である可能性は高い」


 この時すでにグリーンスレード警部の頭の中はこんがらがっていて、ジェームズが一体何を言いたいのかサッパリわからなかった。


「グリーンスレード警部、わかるか? 屋内にあった女性の足跡とはレイナーのもので間違いないだろう。他の女性である可能性もあるが、今回に限って言えばそれはない。なぜならその足跡は血の色をしているからだ。私はなぜこれを君たちが見落としたのか本当に不思議だが。それと面白いことに、その足跡は玄関まで行った後、引き換えしている。そして玄関から出た形跡がない」

「つまり? あ、ああ……! だから窓から!」

「そうだ。そしてレイナーは窓から出てから、靴を男性物に履き替えた」

「履き替えた? なぜそんなことを? それにどうしてそう言いきれるのですか」

「捜査かく乱の1つだろうな。クローゼットの中にある靴箱に2つ空きがある。ウィケット氏は非常に几帳面なようだな。壁にかけられた絵画や、靴箱を大事にしまっておくところからそれが分かる。そしてそれがこの事件を解決するために糸口の1つとなった」


 そう言いながら先ほど持ってきた靴の空き箱を地面に置いて中を開けた。中は確かに空になっており、脱臭剤と湿気避けが綺麗に収められている。


「さてこの空き箱だが、1つはウィケット氏が履いていたもの。もう1つは彼女が持っていった靴のものだろう。だが大きな靴は彼女にはあわず、足を引きずったような足跡になっている。ほら、これだ」


 指し示された足跡は、確かに変に伸びていた。まるで子供が親の靴をはいて移動しているかのように。そしてそのそばに、警官のものとは違う足跡も見つけた。グリーンスレード警部が見るに、それは非常に珍しい方の靴で、かつとても大きな足跡であった。そしてジェームズが言うように、左足の部分が特徴的な欠け方をしている。

 だが珍しいといっても最近流行の靴屋に置いてある靴であろうことは容易に想像がつく。なぜなら先日新聞でその記事を読んだからだ。


「聡明なグリーンスレード警部であれば、この靴が何かわかるだろう?」

「最近の流行品の靴、でしょうな。若者の間で流行っているのだと新聞に」

「その通り。そこからわかることが1つある」


 ジェームズは少しだけ胸を張ると、やや口角を上げてこう言った。


「ファーガスもレイナーも、ウィケット氏を殴ったことに関して言えば、嘘はついていないし、2人ともこの家に訪れているということだ。お互いに庇いあっているのも本当」


 自信満々にそう言うジェームズを見て、グリーンスレード警部はわずかに目を見開いて口を開けた。

 辺りはしんとなる。

 しかしまるでグリーンスレード警部の反応には興味が無いようで、ジェームズは再び口を開いた。


「ファーガスは驚いただろうな。騒げば騒ぐほど、恋人を庇って嘘をつく男の図が出来上がっていくのだから」

「どういう意味ですか」

「それをこれから証明しよう。だがこれは君たちの落ち度でもある。検死結果をちゃんと見たのか? 後頭部の打痕は高い位置からのものだ。例えばファーガスくらいの身長の人間がつけることができる。レイナーは彼よりも、そして被害者のウィケット氏よりもはるかに背が低いから、まず無理だ。しかし顔面の傷。これは真正面からのものしかない。こういう傷をつけるのは、馬乗りにでもならないと難しい。例えばウィケット氏が初めから倒れていたとしたら、馬乗りになるのは簡単なことだろうな」


 先ほどからチクリチクリと嫌味を言われ続け、言い返せないグリーンスレード警部はただひたすらに耐えるしかなかった。


「なるほど、ファーガスの後にレイナーが……でもなぜ?」

「君たちはたまに大きな事実を見て、更なる真実を、それも非常に小さな真実を見逃すな。どんなことでも見逃さないのは基本だ、グリーンスレード警部。何はともあれ、まずはその友人にとやらを召喚する必要がある。グリーンスレード警部、君は――」


 ジェームズが車に向かうために振り向いた瞬間、1人の若い警官が庭へ駆け込んできた。


「グ、グリーンスレード警部! ああ、ジェームズさんもいらっしゃったのですね……!」

「何があった」


 グリーンスレード警部がやや緊張した面持ちでそう聞けば、若い警官は生唾を飲み込みながら荒い息を吐いた。


「釈放されたファーガスが殺されました」


 あまりの出来事に、時が止まる。

 若い警官がもたらした言葉に、誰も反応できなかった。

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