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第2話

「やあ、どうもジェームズさん」


 朝食を終えてジェームズが警察署へ向かうと、廊下の向こうから細身のひょろっとした神経質そうな男が手を差し出しながら歩いてきていた。かれこそがグリーンスレード警部であり、ジェームズを朝から呼び出した張本人である。

 オールバックの生え際はだいぶ後退しているが、まだ顔の皮膚に張りがある。それに頭髪と違い口ひげは非常に豊かで、グリーンの瞳が赤い毛色に綺麗に映えていた。


「おはよう、グリーンスレード警部。君が言いたいのは恐らく最近世間を騒がしていた例の猟奇殺人の件だろう」

「ええ、その通りです」


 グリーンスレード警部は一枚の紙を取り出した。ジェームズはそれを受け取ると、中身を改めた。


「被害者はシーザー・ウィケットという47歳の男。16日の15時、礼拝に来なかったウィケット氏を心配した人が家を訪れたのですが、鍵が開きっぱなしなのを見てウィケット氏らしくないと思い部屋に入ったところ、遺体を発見したようです。遺体は顔面が原型をとどめないほどグチャグチャになっていました。しかし、犯人はすでに自首しています」

「なるほど。自首しているのならばわざわざ私を早朝から呼び出すような事件とも思えないが、わざわざ早朝から呼び出すにはそれなりの理由があるのだろう。続きを聞こう」


 露骨な嫌味にグリーンスレード警部はわずかに顔をしかめ、咳払いをして続きを話し始めた。


「いやはや、本当に早朝から申し訳ないのですが、ぜひ力を貸して頂きたいのです。今回我々が何を疑問に思っているかと言うとですな、実は先ほど犯人が自首していると言いましたが、“私こそが犯人である”と名乗り出た人物が2人もいるのです」

「2人! なるほど、それは興味深い」


 グリーンスレード警部はきらりと目を輝かせたジェームズを見て、ようやくこの偏屈の興味を引くことができたかと内心で少し安心した。


「まずはウィケット氏殺害事件の詳細について聞かせて頂こうか」

「ええ、もちろん。でもまず部屋を移動するのが先です。移動しながら話しましょうか。それから外は寒かったでしょう。熱い紅茶でも持ってこさせます」


 2人は場所を移動しながらさらに話を続ける。


「被害者の死亡推定時刻くらい出ているのだろうな」

「ええ。死亡推定時刻は15日の13時から15時の間です。先日の朝刊に載りましたが、足元に酒瓶が転がっていたこと、被害者が飲酒していた形跡があることから、酔って寝ていたところを襲われたのではないかと考えています」

「なるほど。昼間から飲酒とは良いご身分だ。それでグラスの数は?」

「1つしかありませんでした」

「被害者の死因は?」

「後頭部の打撲による脳挫傷ですな。それから顔面の殴打。顔面なんかは親の仇のように何度も殴打した痕跡がありました」

「毒物などの可能性は?」

「ありません。検死の結果では何一つ、それこそ風邪薬の類すら出ていません」

「他に気になったことは? 遺留品はどうだ?」

「手のひらを握りこんでいましたが、血の跡が不自然に途切れていました。それから何かを押し付けたような跡。どうも細長い何か……例えばタイピンのようなものを握っていたようです。中身はなくなっていたので、恐らく犯人が持って行ったのでしょう。その“何か”を無理やり引き抜いたときにできたと思われる傷もついていました。ちなみに、これはまだ新聞社に出していない情報です」


 ふうむ、と唸ってあごをするジェームズを見ながら、グリーンスレード警部は応接室の1つにジェームズを通した。ついでに近場を通っていた警官を呼びとめ、紅茶を持ってくるように頼む。

 そしてジェームズがソファに座るのを確かめてから自分も座り、捜査資料をまとめてジェームズの方へ押しやりながら大きく深呼吸して再び続けた。


「物取りの形跡がなく、争った様子も無い。ほぼ無抵抗のところを前からガツンとやられたようですな。つまり、顔見知りの犯行だ」

「他には? 変わったところはなかったのか? 例えばダイイングメッセージが残されていたとか、犯人の挑戦的な文面が残っていたとか」

「ご想像の通りです」


 グリーンスレード警部は満足げに頷くと、少し居住まいを前のめりになってジェームズに近づいた。


「実は壁に血文字がありまして。そこには“Funnyこっけい”と書かれていました」

「なるほど。猟奇殺人に見せかけたのか。それにしてはあまりにも浅はだが」


 フンッと鼻を鳴らすジェームズに、グリーンスレード警部はきょとんとした表情を浮かべた。


「どうしてそう言い切れるのですか?」

「君は本当に頭のおかしな人間を見たことがあるか? そうではない人間とは雲泥の差で、それを装っている人間というのはすぐに分かるものだ」


 ジッと捜査資料をパラパラとめくりながら、ジェームズは少し早口でまくし立てるように言う。


「……つまり?」

「つまり、今回の件に限って言えば、わざわざ壁にFunnyと書いておきながら、次の殺人を犯さぬうちに自首する理由が全くないと言うことだ。なぜなら、それが連続殺人や猟奇を装いたいのなら、すぐに自首するのはあまりにも面白みに欠ける」


 この少し乱暴な言葉にグリーンスレード警部が顔をしかめれば、ジェームズは「誤解の無いように言うが」と続けた。


「これは単純に字面の上での意味で言っている。連続殺人は連続するから連続殺人と言うのだからな。続かないのならそもそもこの選択肢は消える」


 グリーンスレード警部はその“説”というのが少し強引のような気もしたが、変わり者の言うことだと表面上は納得した。それに自身でも連続殺人の線は全く疑っていないからだ。


「次に猟奇殺人だが、彼らは常人と考え方が明らかに違う。彼らの中で言う“普通”からすれば、殺人は楽しむものだ。君は楽しいことをすぐにやめられるか? 例えば週末に同僚と酒場へ行くのをやめられるのかということだが。先週も言ったのだろう?」

「まあ、難しいでしょうな。しかしなぜそれを……? 見ていたのですか?」

「いいや、見ていない。だが実に単純だ。こんのは推理でもなんでもなく、誰も簡単に分かることだ。ついでに言えば君は少し間抜けだな。君のポケットから真新しい領収書が見えている」


 そう言われ、グリーンスレード警部はバツの悪そうな表情を浮かべながら領収書をポケットの奥へと押し込んだ。


「さて話はそれたが、彼らもそれと同じ。快楽を簡単に諦められる人間はなかなかいない。では仮に猟奇殺人者が自ら自首する場合、何が考えられると思う?」


 グリーンスレード警部は少し考えたが、その利点が全く思いつかなかった。確かにジェームズの言うように、自首してしまっては猟奇殺人者の楽しみが全くと言っていいほどなくなってしまうのだ。なにせ檻の中に閉じ込められるのだから、接することができる人間といえば看守と囚人くらいだ。


「利点は……無いでしょうな。強いて言えば“飽きた”でしょうか。でも猟奇なら飽きないか……それに今回の2人は殺人をやっていたとしたら初犯です。過去もまっさらで、至極真面目な人間だ。いや、待て。そうか! 牢屋の中に用事があったのだとしたら――」

「いや、それはないだろう」


 即座に打ち切られ、グリーンスレード警部はわずかに目の下が痙攣するのを感じた。


「先ほども言ったが、猟奇殺人者は楽しいか楽しくないかで殺人を犯す。その線も全くないとは言いがたいが、わざわざ壁に書置きを残すような目立ちたがり屋が、行動を大幅に制限される場所に入る理由はこれっぽっちもない。それに今回の件に限って言えば、牢の中に用事があるのであれば、わざわざ人を殺す必要なんてないからな。そこから導き出される答えは1つ。突発的な殺人者が猟奇殺人を装った、だ」


 ジェームズはトントンと指で机を叩き始めた。それは若干苛立ったように見え、グリーンスレード警部もわずかに顔をしかめる。彼は特に怒っているわけではないが、非常に他人の感情が移りやすいタイプであった。そしてそれは顔に表れる。

 ジェームズは黙って不満げに資料をめくり、ある1点を見つめて片眉を上げた。


「つまり自首してきた犯人には全く猟奇的な面はなく、突発的にやってしまったのだと言うことがわかるわけだが……グリーンスレード警部」

「なんですかな」

「自首してきた犯人のプロフィールは?」

「ラルフ・ファーガス26歳、印刷工場で働く街の青年です。先ほども少し言いましたが周囲からの評判はよく、真面目に働いて金遣いも荒くない。飲みにも頻繁には行かないし、飲んだとしても私のように遅くまでふらつくことはない。贅沢はまずしない男です。それからもう1人はテッサ・レイナー21歳。中流階級向けの家庭教師をやっており、こちらも周囲の評判は悪くない。人当たりもよく子供が好きな、極々ありふれた女性だ。そして――」


 そこまで言ってグリーンスレード警部はもったいぶったように顎を撫でた。


「この2人は婚約をしている」

「なるほど。普通に考えるとどちらかが庇っていることになるな」

「ところがどちらも疑わしいのです、ジェームズさん」

「ほう? まだ言っていないことがあるのなら、隠さず全て話したまえ」


 表情を変えずにそういうジェームズに、グリーンスレード警部は少しだけ目を細め、さらにもったいぶるように、そしてさも面白い物語を語るかのように口を開いた。


「どちらも、加害者として正しいことを言っているのですよ。だがお互いに“1人でやった”と言っている」


 応接室に響いたグリーンスレード警部の声に、ジェームズの口角がわずかばかり上がった。

 その顔はとても楽しいことを見つけたような、グリーンスレード警部をあざ笑っているかのような表情であった。

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