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カイン・ジェームズ ― ロンドン探偵 ―  作者: 森野 乃子
奴隷商人と少女とヒモ男
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第1話

「異国の珍しい奴隷だよ~! アジア系の顔立ちだ! さあ、どうだいどうだい!」


 この声に、大柄な男がピクリと反応した。

 その男は身長が6フィートと3インチほどあった。がたいが良くノシノシと歩き、髪はボサボサでヒゲも伸ばしっぱなし。着ているものは何かのシミがついていたりアイロンがかかっていないヨレヨレの布地だったりして、とても清潔とは言いがたい風貌だ。

 しかし長い前髪に隠された顔は非常に()()で、髪を綺麗に整えればご婦人方の心をくすぐる甘いマスクが現れる。

 彼の名は、カイン・ジェームズ。

 この町で探偵モドキをやっており、警察からたまにお呼びがかかって事件を解決すべく出動するのだ。

 ベイカー通り221Bに住んでいるが、その財源の出所は不明。働いているのかいないのかさっぱりわからないが、彼が生活するのに困ったところを見たことが無いとは下宿先の女主人であるメイスン夫人の弁だ。

 ジェームズの親友であるジョアン・H・ハドソンは、ジェームズのことを“世界一汚いモテ(ヒモ)男”と称している。見ての通り、ジェームズは自分の身なりに頓着しないタイプであった。汚れているか否かはどうでもいいのだ。そのせいでメイスン夫人は度々彼の世話を焼くはめになり、その都度“彼にもっとしっかりするよう言って欲しい”とハドソンに愚痴を零すようになった。


「おい、オヤジ。異国の奴隷と言ったか?」


 そのジェームズが、“異国”の言葉に興味を示したのは、彼が常人とは違った考え方をするせいであった。異国の奴隷を買うのはそんなに珍しいことではないが、ジェームズが求める理由は“面白そうだから”の一言で、貴族が考えているような下世話な思いでは全く無い。


「はいはい、お安くしておきますぜ」

「いくらだ」


 そう言いながら、ジェームズは男の横に不満げな顔で座る少女(アイリ)に目を向けた。

 アイリと視線が合う。そしてアイリが男を汚らわしいものを見るような目で見たとき、ジェームズは少しだけ眉を上げてニヤリと笑った。

 その視線はすぐ外されたが、ジェームズはアイリの意識が完全に自分の方へ向いたのを感じ取った。


「へえ、10ポンドです」

「10? 冗談だろう? 高すぎる」

「へ……?」


 ジェームズの視線は相変わらずアイリから外されることはない。

 アイリはツンと済ました顔で、しかし何か考えを巡らせているかのような顔でジッと通りの向こう側を向いている。その耳は確かにこちらを向いているとわかるほどピリピリした空気をまとっているが、あいにく商人にはそれがわからなかった。


「異国の少女。年は……12歳くらいか? しかしアジア系の民族は実年齢より若く見えると言うな」


 そう言いながらアイリの顎を取ると、アイリはわずかに動揺して一瞬ジェームズを見た。再び視線が合ったことに満足したジェームズは、アイリを検分するように顔の位置を変えた。


「見えている部分の外傷はなし。肉付き良し。毛並み良し。知能もそこそこありそうだ。着ている物も上等品」

「良いとこ尽くしじゃねーか。何が不満なんですかい?」

「これがどこの誰か分からんところだ。なあ、これはどこか貴族様の娘だったりしないか? そして捜索願が出ていたりしないか?」


 そう言われると、男には自信が無かった。なぜならアイリとはさっき出会ったばかりだからだ。だが男はそう言われて初めてこの商品の欠点に気づいた。

 もしもこれが貴族の娘であった場合、“誘拐・違法奴隷取引”などの罪で確実に豚箱行きになると気づいたのだ。もちろん買い取った相手だって、買い取った後に()がわかれば奴隷は被害者として没収(保護)される。そのため高い金を出したのにそれがパーになるということだ。

 全くもって面白くない話である。


「そう言えば、アジアから大使が家族でロンドンへ訪れていると新聞に載っていたなあ」

「…………」


 ジェームズは焦り始めた男の顔を見て、また10ポンドという非常に安い値段をつけているのを見て、この男の奴隷商としての経験地がどの程度かを知った。

 そしてこの男が非常に頭の回転の遅い男だということも。


「ここだけの話だが、私は警察と仲がいい。いわゆる私立探偵というやつだ。よく彼らに呼ばれるので、何人かの警部と顔見知りなんだ。さて、ここで君に1つ相談があるのだが、私にこの少女を5ポンドで引き取らせてほしい。なぜ君のような犯罪者に金を払うかと言うと、私が君の未来を心配しているからだ」

「未来……?」


 男の顔はわずかに青白くなっている。自分がどれほど間抜けなことをしでかしたのかを、ようやく理解し始めたのだ。


「一番穏便なやり方は、私がここでこの少女を買った上で、“迷子になっていた少女を保護した”と警察に連れて行くことだ。私がこの少女を君から力任せに奪って行くのはたやすい。だがそうすると困るのは君だ。恐らく君は偉い人間に言われて奴隷を売っているのだろうが、これを売ってお金に換えないと君は上の信用を失う。違うか?」


 男はすっかり黙り込んでしまったが、無言の肯定を受け取ったジェームズは人の良さそうな笑みを浮かべた。


「つまり、私の提案は君にとっても私にとっても穏便なやり方と言うわけだ。君はお金を手に入れられ、誰も怪我をしない。5ポンドで人の命が救えるのなら、私としても大変にありがたいことだ」

「だ、だが――」

「先ほど私は“偉い人間に言われて奴隷を売っている”と言ったが、“この少女を”とは言わなかった。なぜならこの少女は最近……それも1時間以内に、君が個人的に手に入れたものだからだ。拘束具の跡がついて間もないのがそれを物語っている。普通高級品を扱う奴隷商は商品をよく検分をする。それは1時間では終わらない。奴隷商は商品が逃げないように拘束具をはめるので――……ああ、つまり何が言いたいかと言うとだな」


 少し口早にまくし立てるようにそう言われた男の顔色は、いまや真っ白になっていた。


「君は元々上の人間から与えられた奴隷を死なせてしまい、慌てて代わりの誰かをあてがったということだ。私が君の上の人間であれば、君をテムズ川の魚の餌にするだろう」

「……そ、そんなんじゃねぇ!」

「その爪の間にある血は奴隷のものか? 気をつけろ。店の奥にある袋から尋常じゃない量の血が出ているぞ。あの量だと食肉をさばいた言い訳にならない」


 かぶせるようにしてそう言えば、男はよろめきながら店先の椅子へ座り込んだ。


「あの野郎が暴れたから……そ、それに、急にこの女が目の前に現れたから丁度良いと……! 振り向いたら部屋の中にいたんだ! 俺のせいじゃねぇ! 言葉が通じねぇんだから、売っても誰もわからねぇと思って……」


 “急に目の前に表れた”という言葉にわずかばかり首をかしげたジェームズであったが、男をなだめるようにして肩を叩いた。


「まあ、そう悲嘆に暮れるな。だから君にとっても私にとっても都合の良い方法で解決しようと言っているじゃあないか」


 かくして、ニヤリと悪魔のような笑みを浮かべたジェームズは、5ポンドでアイリを奴隷商から買い上げた。

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