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カイン・ジェームズ ― ロンドン探偵 ―  作者: 森野 乃子
川から見つかった遺体
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第1話

「ハッ! またこのヘンリーワインバーグの話題か。最近賑わすな。出所しただけで新聞に載るとは。ほう、昨日出所したのか」


 ジェームズとハドソンが喧嘩をした翌日、夜も遅い時間だというのにジェームズはまだ起きて新聞を読んでいた。このヘンリーワインバーグと言うのは恐ろしく凶暴な男で、数年前に強盗をやって刑務所に入れられていたのだ。

 強盗だけであれば騒がれることもなかったが、彼は若い頃に人を殺している。また放火や窃盗もやっており、人を殺すのにためらいの無い男だと言われていた。そのため、彼があと少しで出所するとなった時には大変な騒ぎとなったのだ。そしてその出所日が昨日だったというわけだ。


「ジェームズさん、今日、夜更かし」

「夜更かし? どこでそんな単語覚えた」


 夜更かしをしている理由に心当たりがあったアイリは、助け舟を出すよう、そして少し責めるようにつぶやく。


「ハドソンさん、いない。長い時間いない」


 そう。昼頃から外出したハドソンが夜中になっても帰ってこないのだ。

 ジェームズはハドソンを待っている。それはアイリにもなんとなくわかっていた。待っていなかったとしたら、ジェームズが朝に読んだ新聞をまた読み直すなどといったつまらないことはしないと思ったからだ。

 言われたくないことを指摘されたジェームズは、それでもピクリとも表情を動かさないまま、新聞に視線を落としながらハッキリとした口調でこう言った。


「ハドソンを探しているのか? 別に行き場所は聞いていないが。しかし、子供じゃないのだから帰ってこないことくらいあるだろう。それに、連絡なしに帰ってこないからといって、私はハドソンを心配したりしない」


 別にそこまで言っていないけど……と思いながら、アイリは何度か頷いて窓の外を見つめる。

 窓の外には暗闇が広がっており、街の街灯も灯りが消えていた。


「さて、私はもう寝るが」

「寝る? そう……お休みなさい、ジェームズさん」

「ああ、お休み。アイリーン」

「…………」

「…………」


 アイリが恨めしそうな表情を向ければ、ジェームズは「別にハドソンのことなんて待ってない」と言いたげな表情でフンッと鼻を鳴らした。


「……お休みなさい、ジェームズさん」


 アイリは再度挨拶をして、暖炉の火を片付け始める。

 そしてそれをジェームズがジッと見ているのを背中に感じながらも、アイリは黙って何も言わずに手を動かした。


「……私は別に――」


 突然何かを言い出したジェームズに、アイリはとうとう腹をくくったかと期待して体ごとジェームズの方へ向けた。


「……いや、なんでもない。アイリ、早く寝るように」

「はいはい」


 小さくため息をつきながら、アイリは再びせっせと火の始末を始めるのだった。




* * * * * *




「ハドソンさん、いない」


 恨みがましく言うアイリの目を一瞬見たジェームズは、「昨日からそればかりだな」と言いながら顔をしかめ、視線をそらした。

 そして黙々と朝食を食べる。そのテーブルマナーは非常に洗練されており、貴族と並んでもなんら遜色ないくらいであった。


「ハドソンさん――」

「そんなにハドソンのことが気になるのなら」


 小さくため息をついたジェームズが、アイリの言葉をさえぎる。


「メイスン夫人に聞いてみたらどうだ? 彼女なら何か知っているかもしれない」

「聞いた。しかし、メイスン夫人、知らない」

「…………」

『まったく……この子供はどうやったら素直になるのやら……』

「言葉」


 自分のことを言われていると察したジェームズが顔をしかめれば、丁度時を同じくして階段を昇ってくる足跡が聞こえた。その足音はせわしなく、急いでいるのがハッキリわかる。


「ハドソンさん?」

「いや、あれは女性の足跡だ。恐らくメイスン夫人だろう。ん? 待て。話し声が聞こえるな。男の足跡もだ」


 足音はジェームズの部屋の前で止まった。


「ジェームズさん? 起きていらっしゃいますな」


 ややしわがれたような男の声にアイリが慌てて椅子から降り、部屋の扉を開ける。するとそこには非常に豊かな体系の男が立っていた。後ろには、困惑気味の表情を浮かべたメイスン夫人が立っている。


「いや、朝から申し訳ない。私はマクベス警部と言います。ここらの管轄ではないのですが、私の受け持った地域で事件が起こりまして、そのお話をさせて頂きたかったのです。しかし、お食事中でしたか。本当に申し訳ない」

「いいえ、構いませんよ。ご用件は?」


 ジェームズはマクベス警部が差し出した警察手帳に一瞬目を滑らせると、愛想のいい笑顔でマクベス警部を出迎えた。


「ええ、実は――ああ、いや。食事中に、それもレディの前で言うような話ではありませんな。急ぎではありませんので、また出直します」

「お気になさらず。食事はほとんど終わっています。それにアイリーンはこう見えて私の助手をしていますから、多少のことには免疫があります」


 それでも食事中は事件の話を聞きたくないと思ったアイリであったが、愛想よく笑顔を浮かべるとマクベス警部のための紅茶をもらえるようメイスン夫人に頼んだ。


「ではお言葉に甘えて。実は急ぎと言えば急ぎなのです。ただ助けるべき人物が手遅れであったという点で、至急を要することは無いと言う意味でして」

「それはどういう意味でしょうか」

「被害者はすでに亡くなっているということです。ジョアン・H・ハドソン氏が川から遺体となって見つかりました。この名前に聞き覚えがあるでしょう?」


 アイリはとっさにジェームズの方へ視線を向ける。ジェームズの目は極限まで見開かれており、アイリはこれほどにジェームズが驚いているのを初めて見たのだった。

 そしてマクベス警部はこのジェームズの反応を見て、被害者がジェームズと全くの他人では無いと確信する。


「……ぜひ、詳細をお聞かせ頂きたいですね」

「もちろん、そのつもりで伺いました」


 マクベス警部がまだ立ちっぱなしなのに気づいたアイリは、これ以上誰も朝食をとることはしないだろうと思い食器を片付け始めた。そして椅子を引っ張ってきて暖炉の前に置くと、そちらにマクベス警部を誘導する。

 その流れでアイリはマクベス警部から防寒具を受け取ると、マクベス警部はわずかに口角を上げてアイリに慰めるような視線を向けた。

 一体何故そんな顔をするのだろうと不思議に思いながらも受け取った防寒具を吊るすために窓辺へよれば、窓に映ったアイリの顔は、薄汚れたガラス越しでもよくわかるくらいに白くなっている。


「さて、まずは遺体を見つけた時の状況をお知らせしましょう。遺体が見つかったのは本日の早朝です。農夫が畑へ行くときに、川辺で何か引っかかっているのを発見しました。近寄ってみればそれは若い男の遺体で、驚いた農夫が我々のところへ来たというわけです。これは被害者が見につけていた衣服ですが、見覚えは?」


 そう言って取り出されたのは、ハドソンがいつも着ているジャケットだった。見覚えのある場所につぎはぎがしてあり、アイリですらそれがハドソンのものだとわかる。それにはところどころ血がついており、ぐっしょりと濡れていた。


「まさしく、ハドソンのものでしょう。それで遺体の状況は?」


 淡々と返すジェームズに、マクベス警部は少しばかり目を見開く。

 彼の情報では、ジェームズとハドソンは非常に仲のいい間柄のはずだった。だから、ジェームズが驚いて動揺すると思ったのだ。親友を殺されて動揺しないものはいないと思った。そして確かに最初こそジェームズは目を見開いていたものの、今ではすっかり冷静を取り戻しているように見えた。


「あ、ああ……喧嘩をしたようで服が乱れていました。ボタンは外れ、ところどころ掛け違えています。タイは緩んでいましたし、あちこちに血の跡がついています。それから、顔には油がかけられており……火を放ったようですな。そして川へ……残念ながら顔は判別できないほど損傷しています」

「なるほど」


 ぼうっとその会話を聞いていたアイリは、今メイスン夫人がこの場にいないことに感謝した。どこか他人事のように聞いているアイリだが、そうしていないと自分が倒れそうな気がした。


「それで、その遺体がハドソンだと思った理由は?」

「金の抜かれた財布がありまして、中からハドソンさんの物が出てきたのです」

「ほう? 目撃者は?」

「一人だけ。娼婦が三人の男が川にかかる端のところで、三人の男が喧嘩をしているのを目撃しています。一人は見知らぬ男、そしてもう一人がジョージ・スミス。そして最後が最近噂のヘンリー・ワインバーグです」


 アイリにはその名に聞き覚えがあった。思わず顔を上げれば、ジェームズも片眉を上げて首をかしげたところであった。


「ワインバーグは出所したばかりの男でしたな」

「ご存知ですか。まあ、あれだけ騒げば知らぬものはいないでしょうな」

「もちろんですとも」

「それから、スミスに関してはワインバーグとよくつるんでいる男で、こちらも負けず劣らずの悪い奴です。あなたがご存知かは知りませんが、あの近辺ではよく話題にのぼる」


 ゆったりとジェームズが頷けば、マクベス警部はやや身を乗り出して小声で話しかけた。


「ジェームズさん。我々はすでに犯人がわかっているのです」

「ほう? 誰ですか?」

「もちろんこの状況ですから、ジェームズさんもすでにおわかりかとは思いますが、ジョージ・スミスです」

「なぜそう思ったのですか?」

「まず、奴の行方が知れないからです。ワインバーグは家にいました。ワインバーグに事情を聞いたところ、橋の上で見知らぬ男と口論になったことを認めています。ですが、口論はすぐにおさまり、それぞれに別れたと言っているのです。ところが、スミスは怒りが収まらなかった。去り際、再び男に挑発されて戻って行ったとか。口論する二人を見送り、自分は家に帰ったと言っています」


 淡々とそう言うマクベス警部に、ジェームズは何度か頷いて宙を見る。そして何かをジッと考えながら、やがて視線をマクベス警部に戻して口を開いた。


「それで、遺留品は? 何かありましたか?」

「三人の男の足跡、それからハドソンさんの財布、あとは血痕くらいですね。ああ、それから、先ほど目撃者は娼婦だけだといいましたが、近くに住む者が二人の男が口論をしているのを聞いています。姿は見ていないが、川に何かを落とす音を聞いている。これはハドソンさんが落とされた音でしょう」

「なるほど」

「私は、スミスがハドソンさんを殺したのだと思っています。先ほども言いましたが、スミスは橋に戻り、ハドソンさんを殺してしまった。そして隠蔽するために顔を焼いて川へ投げ捨てたわけだ。ところが近くに住む人間は口論を聞いたものの、叫び声などは聞いていません。つまり、ハドソンさんは殺されてから顔を焼かれたことになります。私が知っている限り、生きながら顔を焼かれて叫び声を上げない者はいない」

「まあ、そうでしょうな」


 若干飽きたようにも見えるジェームズ態度に、マクベス警部は顔をしかめた。そしてやや憤慨した面持ちで椅子に座りなおす。


「それで私が聞きたいのは、ハドソンさんが“どうして昨日の夜遅くに家から遠く離れたあの場所にいたのか”ということについて、あなたが何かを知っていないかです」

「ええ、それは結構ですが、その前に一つだけ確認させて頂きたい」

「なんでしょう」

「遺体の状況を見られますか?」

「それは無理です、ジェームズさん。あなたならお分かりだと思いますが、遺体の確認はご家族がおられる場合はご家族のみにお願いしています」


 それを聞いたジェームズは、ニッと口角を上げると「ええ、もちろんそうでしょう」とつぶやいた。そして満足げにため息をつくと、椅子にふんぞり返って安心したようにため息をつく。


「さて、先ほどハドソンについて聞きたいと言いましたが、それは本人に聞くといいでしょう。なぜならハドソンは生きているし、容疑者はすでに死んでいるからだ。あなたが聞くべきなのはハドソンのことではなく、まず間違いなく真の容疑者であるワインバーグについてですな」


 自信たっぷりにそう言うジェームズを、マクベス警部は驚いたように見つめた。そしてアイリも、口をポカンと開けたままジェームズを見つめた。

 ただ一人、ジェームズだけがご機嫌で朝食に出された紅茶を飲んでいる。

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