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第1話

「ん? なんだジェームズは帰ってきていたのか」


 夕飯時。

 ハドソンがメイスン夫人のところへ夕飯を取りに行くと、2人分の夕飯を持ったアイリに会った。アイリはハドソンと目が合うとニコッと笑って頷く。


「ハドソンさん、ジェームズさんとご飯食べる?」

「ああ、そうだな。ジェームズが良いと言えばぜひ」

「もちろん歓迎する」


 そのセリフに2人が振り向けば、お腹がすきすぎて我慢できなくなったジェームズがアイリを迎えに来たところだった。

 さきほどメイスン夫人にオヤツをねだりに行ったところ、もうすぐ夕飯だから我慢するようにと窘められてしまったのだ。子供じゃないんだから大丈夫だと言えば、子供じゃないんだったら我慢して下さいと言われて大人しく引き下がった。

 しかし晩御飯を準備する匂いが漂ってきて、いよいよ待ちきれなくなったジェームズはいったん外へ出るほどであった。


「なぜ私が昨日帰らなかったのかも話したいと思っていたから、食事をしながらその件について話を聞いてほしい。できれば君たちの意見も聞かせてほしいと思っているんだ」

「ああ、もちろん。何があったのか気になるね」


 ジェームズはアイリに近寄るとトレーを2つとも取り上げ、「美味そうだな」と口角を上げた。

 階段をあがって行く時も、ジェームズはわずかに興奮したように「昨日は本当にすごい体験をしたんだ」と楽しげである。部屋に入ってみんなが席に着いたところで、ジェームズは食事をとりながら話を始めた。


「さて、昨日私がどこへ行ったか知っているか?」

「いや。君は行く場所を伝えずに出たからね」

「ああ、そうだった。結論から言えば牢屋――檻の中だ。そこで夜を明かした」

「なんだって?」


 気は確かかと言いたげに顔をしかめてジェームズを見つめるハドソン。アイリも片眉を上げながらごくりと生唾を飲み込んだ。

 しかし、ジェームズは一切気にした風でもなく、淡々と話を続ける。


「実は依頼主のところに行ってきたんだが、結局依頼主とは会えなかったんだ。待ち合わせの場所には待てどくらせど誰も来ない。これは何かあったかハメられたかと考え始めたとき、1人の男が現れたんだ」


 そこまで一気にいうと、ジェームズはパンをかじってからお茶で流し込んだ。


「その人物は私の依頼人の名と“秘密の暗号”を言い当てた。ちなみにその秘密の暗号とは、依頼主が行けなくなったら代理人をよこすから、その人に暗号を訪ねて自分が遣わせた人間かを試してほしいと言われていたものだ。その男は依頼主の執事を名乗った」

「なるほど。それで?」

「目隠しをされた上であるお屋敷に通され、ドアに鍵をかけられた。ちなみに目隠しは依頼人が場所を隠したいから、とのことだった。どうもよくない仕事をしているようなことを言って濁していた」


 そのセリフを聞いた瞬間、アイリはなぜジェームズがそこで怪しんでついていかないという選択肢を選ばなかったのか悩んだ。その考えが表情に出ていたようで、ジェームズはちらりとアイリに目を向けると「一応怪しいとは思っていたが、私は好奇心を抑えきれなかったんだ」と気まずげにつぶやいた。


「さて、私は部屋に入っても目隠しをされたままだったが、執事と思われる男は“目隠しはそのままで。都合がついたのですぐに主が来る”と言っていた。私は恐らく軟禁されたのだろうと思う」

「と思う、ではなくそうだろう! なぜそんな危ないことを……!」


 ハドソンがいきり立ってそう言えば、ジェームズはニヤニヤと笑いながら頬杖をついた。


「ここからが面白いんだ。聞いてくれ。私は5分ほど窓の近くにいた。ロンドンを走る汽車の音から大体の駅の位置を割り出し、それから馬車の動いた方向を考えると、ここがベイカー街から少し離れたところだということに気付いた。いったい依頼主は何をさせたいのかと困惑していたが、いずれくるのならそこではっきりするだろうと思った。だが、結局主とやらは来なかった」

「そこからどうやって牢屋に行くことになったんだ?」

「それは簡単だ。依頼主の代わりにグリーンスレード警部がやってきて、私を殺人容疑で逮捕すると言うんだ。どうも殺人をしているような感じがすると通報があったらしい。私には一瞬、自分に何が起こっているのかサッパリわからなかった。しかし、グリーンスレード警部が部屋の中へ視線を彷徨わせ初めて、私はようやく気付いたわけだ。そこに首のない男の死体があることにな」


 ハドソンは声にならないうめき声を上げると、大きなため息とともに顔を覆った。


「なるほど……」

「まあ、確かに私が一番疑わしいだろう?」


 しばらくハドソンは唸っていたものの、返す言葉がないと気づいて小さく頷く。


「私は素直に牢屋に行ったよ。あそこは実に“衛生的”なホテルだ。金を払えば食事も出してくれる。上手いかどうかは別だが」

「ジェームズさん、殺す、ない」

「ああ、もちろん私は殺していない。だから出てきた。つまり牢の中にいながら自分の無実を晴らすのに時間がかかったと言うことだ」

「なるほど……な……なるほど……」


 ハドソンは頭を抱え、時折口汚く何かをののしっている。

 アイリもやたらにお茶をすすったりして、落ち着きのない動きをしていた。


「それでどうやって殺人犯を見つけたんだ?」

「そう、そこが非常に大変だった。話が長くなりそうだから、我々はまず落ち着いてご飯を食べよう。食べ終わったら酒でも飲みながら話の続きをさせてくれ」


 そう言うと、ジェームズはまるでドッキリが成功した人のようにご機嫌で食事を再開した。

 しかし、アイリとハドソンはもはや食欲など全くなくなっていたのだった。




* * * * * *




「さて、落ち着いたところで続きを話そうか。まず私が牢屋に放り込まれた後の話だが、じっくり物事を考える間がなかった。なぜなら同じ場所に入れられていた男共が私と非常に仲良くしたがったからだ」

「仲良く?」


 思わずアイリがそう聞けば、ハドソンがチッチッチと舌打ちをしながらいかめしい顔を作った。


「アイリーンにはまだ早い」

「はあ……」

「まあ、とにかく私はその男共のせいで“ちょっとした運動”をせざるを得なかったので、私が物事をゆっくり考えられるようになったのは夜になっていた」


 ジェームズはなんてことない顔でそう言う。

 しかしハドソンがいかめしい顔を崩さないのを見て、アイリは「ああ、きっととてもやんちゃなことをしたんだな」と理解した。


「さて、牢の中の紳士たちが静かにしてくれていたおかげで、私は随分と自分の考えをまとめることができた。だが証拠を見つけるにはあまりにも遅すぎる」

「無罪の証拠もないのにどうやって釈放されたんだ?」


 ハドソンがそう尋ねると、あれだけ饒舌であったジェームズの語りがピタリとやんだ。

 そして真顔のまま空中を見つめていた。ハドソンはそれがいったい何を示すのか全く分からず、困惑したようにアイリを見る。しかし、アイリにはそれがすぐに分かった。


「ス……スポンサー?」

「は?」


 ハドソンは余計に分からないと言った顔をし、反対にジェームズは図星を刺されたような気まずい顔になる。


「ジェームズさん、スポンサー、女の人」

「スポ――……ジェームズ」


 意味を理解したハドソンは呆れたようにため息をつく。

 ジェームズは気まずげな顔をしつつも、少し胸を張るとソファに座りなおした。


「私がそう言ったのではなく、恐らくはメイスン夫人だ」

「だが君がそんな付き合い方をしているせいだ」


 咳払いをしながら、ジェームズが再び椅子に座りなおす。


「まあ、この件はそんなに重要ではない。問題はこの後だ。私はまず、依頼人について考えていた。どう考えても私はハメられたわけだが、いったいなぜそんなことになったか全く分からなかった。私の元の依頼人は女性だった。名はハンナ・ヤング。依頼を受けたときに一度だけ会ったことがある。初めは手紙のやり取りだったが、実際に会った方がいいと思ったわけだ。依頼内容は――まあ、この際だから中身も話してしまうが、依頼内容は自分の部屋の中だけで何かが腐ったような臭いがするのに、その原因が全く分からないという内容だ」

「ネズミじゃないのか?」

「私も最初はそう言った。だが、ご婦人によると“一度嗅いだことのある臭いで、恐らくは人間だ”とのことだった。というのも、その依頼人の祖母は離れたところで暮らしていたらしいのだが、死んだことに誰も気づかず、連絡が取れないということで依頼人が家を訪れたときにその臭いを嗅いだそうだ」


 アイリは思わず顔をしかめた。

 依頼人の祖母は急病か何かで亡くなり、臭いが出るほどに傷んだということだ。そしてそれを、女性が見る羽目になってしまった。自分の祖母がそんなことになって、きっととてもつらかったのではないかと思ったのだ。


「ま、まあ……ネズミじゃないとしたら、ジェームズが見た死体ではないか?」

「それはない。私がグリーンスレード警部と一緒にその死体を見たとき、死体は少なくともその日の早朝以降に殺されたものと思われた。死体がまだ硬直していたからな。ご丁寧に臭い消しの香も焚かれていた。何かの臭いを消そうとしているのだと思ったが、臭いの件で依頼が来ていたのでそのためだと思った。ところで私が屋敷に着いたのは昼過ぎで、あと少しすれば夕方というころだ。本当は依頼人にあるものを持ってきてもらえれば、夜までには家に帰れたはずだったのだが……」

「あるものとは?」

「家の詳細な見取り図だ。香は焚かれていたが腐臭はわかった。それに、依頼主に近寄ったとき、かすかに死体の腐った臭いがしたしな。あとは見取り図さえあれば、だいたい目星がつけられると思ったんだ。他人の“探した”は大抵宛てにならない」


 ジェームズはグイッとコップの中のウイスキーを飲み干すと、小さくため息をついた。


「……私が思うに、あの死体は“本物”の執事だろう」


 ぽつりと漏らしたジェームズの目は、まるで虚空を見ているような薄気味悪い目をしていた。

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