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第3話(終)

「アイリーン、お客様よ。ジェームズさんのね」


 夕方頃。

 下宿先の共同玄関の訪問客を告げるベルが鳴ってからしばらくして、メイスン夫人がジェームズの客人を連れてやってきた。

 丁度部屋のドアを水拭きしていたアイリは、メイスン夫人に話しかけられてその奥に立つ人物へと目をやった。


「ナンシー・エミンです」


 ああ、この人がジェームズの言っていた……と思い、一瞬思考が停止する。

 ジェームズは訪問客は男だと言っていたなと思い返すが、目の前にいるのはどう見ても年若い女性であった。ローリーほど化粧が濃いわけでも派手な顔立ちでもないが、その出で立ちは清楚系美人と言っても過言ではない程に美しい。


「では、後はよろしく頼みましたよ、アイリーン」

「え? あ……」


 呆けているアイリを置いてメイスン夫人は帰っていく。

 エミンはニコニコと笑いながら、アイリをただ見つめていた。


「……あの」


 意を決して口を開く。


「男性……?」


 ポツリとつぶやけば、エミンは「ブフーッ!」と大げさに吹き出してゲラゲラ笑い始めた。あまりにも女性らしくないそれに顔が引きつるアイリ。


「いや~、参った! あ、いや、失礼! 仰る通り男ですよ、僕は」


 先ほどよりやや低い声。それでも、その声が女だと言われればアイリは信じた。


「信じられない? ほら」


 エミンはアイリの手を取って自分の胸を触らせる。そこは確かにペタッとしていて何も無いが、何も無い女性はよく鏡で見るのでアイリは全く信用できなかった。女性だろうが無い人は無いのだ。


「あれ? まだ信用できない? 下も触る? 僕は大歓迎だけどね」

「あなた、嫌いです」

「アハハハハ! ジェームズに聞いた通りの子だな」


 いまだお腹を抱え、やや涙目になりながら笑い転げるエミン。目に浮かぶ涙を指ですくうと、大きなため息をついて顔を緩めた。


「いや、からかってしまって申し訳ない、アイリーンさん。わけあってこんな格好と名前だが、私は間違いなくジェームズの友人だよ。向こうが僕のことを友人としてカウントしてくれているかは分からないが」

「してない」


 不機嫌そうな声に振り向けば、置きぬけのままのジェームズがアイリの後ろに立っていた。


「やあ、機嫌がよさそうだなジェームズ! ちょっと来るのが早かったか?」

「遅いくらいだ。アイリーンが起こしに来る前に起きてしまった」


 ふう、とため息をついて部屋に戻っていくジェームズ。その後を追ってエミンが部屋に入り、ジェームズの二の腕に手をからませながら甘えたような声を出した。


「なんだよ。せっかく良い情報を持ってきたのに、僕のことを邪険に扱う気か?」

「男を騙すプロの言うことだからな。私は君の言葉は話半分にしか聞かないと決めている。だが君は金銭を払うと恐ろしく正確な情報を持ってくるが」

「だからその金銭の対価を持ってきたって言っているのさ」

「さっさと話せ。鬱陶しい」


 エミンはジェームズの背中をバシバシと叩きながらヘラヘラ笑う。

 ジェームズのあまりの扱いにエミンのことが可哀相になってきたアイリは、ちょっとだけジェームズの裾を引っ張ってポツリとつぶやいた。


「優しく」

「…………」


 しかし、アイリの呟きが聞こえたエミンは、アイリの言葉にピクリと顔を引きつらせるジェームズを見て再び爆笑した。


「まさかジェームズが女性に言いくるめられるのを見られるとは!」

「別に言いくるめられたわけじゃない。いいから早く情報を出せ。私は君と違って時間を無駄にする余裕は一切無い」

「はいはい」


 両手をパッと挙げて降参ポーズをしたあと、エミンはアイリに目配せをした。

 恐らく出て行って欲しいのだろうと気づいたアイリは、慌てて部屋を出て行く。その後ろで『おや、本当に気のきく“小間使い”だ。僕がもらっても良い?』なんてセリフが聞こえてきたのは聞こえないふりをした。




* * * * * *




「僕は真実を言っただけだよ。君も知っているだろう? 僕は絶対に嘘の情報を持ってきたりしないって」


 部屋を出て5分ほど経った時のこと。

 エミンの楽しそうな、しかし若干緊張したような声が聞こえてくる。それと同時にドアが開いた。


「まあ、何にせよ、注意した方がいいんじゃない? 君には“お友達”が増えすぎたようだから、それらを守りたいのなら注意するに越したことは無いよ。君の死んだはずの弟が、恐ろしく凶暴になって黄泉の世界から舞い戻ったんだから」


 エミンは、まさかドアのすぐそばにアイリがいるとは思っていなかったのだろう。

 その証拠に、唖然としているアイリの顔を見たエミンは一瞬顔をしかめた。


「……情報が必要だったら、また呼んで」


 かろうじてそれだけ言うと、エミンは足早に去って行った。


「…………」


 今、部屋に入ってもいいのかという疑問が沸き上がる。


「入りなさい。外は冷える」


 低いジェームズの声が聞こえ、アイリは恐る恐る部屋に入って戸を閉めた。


「君にも当然のことながらエミンの最後のセリフが聞こえたと思うが、私が今日珍しく興奮して帰ってきたことと、先ほどのセリフは全く関係ない。むしろ先ほどの情報は私の機嫌を非常に悪くさせたよ。見て分かると思うが」


 ふう、と大きくため息をつき、ジェームズは深く椅子に腰掛けた。


「……別に昔話をするつもりはなかったのだが、まあ話すのも悪くないだろう。もし君が馬鹿馬鹿しくて長い演説を聞く気があればだが」

「……お、お願いします」


 どもってそう言えば、ジェームズの顔にわずかに笑みが浮かんだ。


「私の名を覚えているか?」

「ジェームズさん」

「違う、ファーストネームだ」


 改めてそう言われると、はてなんだっただろうかと思う。聞いたような気もする。しかし、いつも“ジェームズさん”と呼んでいたアイリには、ファーストネームなど呼ぶ必要が無いので記憶から抜け落ちていた。


「……カインだ」

「あ! あ~!」


 日本人特有のごまかし。

 しかしジェームズにそれは通用せず、ジェームズは小さくため息をついた。


「私には1人の弟がいる。名はアベル。私の父は実に皮肉の聞いた良い名をくれたと思う。そして私たち兄弟は実際にカインとアベルのような道をたどってしまったのだから、こんなにも体を張ったジョークはなかなか無いと思う。イギリス史上最大のブラックジョークと言っていいだろう」


 一瞬、アイリの息が詰まった。ジェームズが一体何を言ったのか理解できなかった。

 カインとアベルと言えば、かの有名な兄弟殺しだ。嫉妬にくれた兄は、弟を殺してしまう。そして弟を殺したことを隠そうとするのだ。


「私が……探偵をやって悪を裁くような私が、まさか人殺しだとは思わなかっただろう? 父もなかなかに皮肉のきいた人間だったが、所詮、蛙の子は蛙ということだな。いや、人を殺したのだから、私の方があくどいが。父はまだ1人も殺していないんだ――すまない、このジョークはセンスが無かったな」


 じっとりと嫌な汗がアイリの背を伝う。まさか本当に殺したのだろうか、という思いがグルグル脳内を駆け巡る。

 ジェームズの目は切なげに細められ、後悔しているような自嘲しているような不思議な表情だった。


「いいか、アイリーン。私が死ぬとすれば、それはアベルによって殺される以外はありえない。なぜならアベルには私を殺す権利があるからだ。だから私は、アベル以外に殺されることはないだろう。それを私は許さない。何があっても、アベルに殺されるまで、私はしぶとく生き残る」

「ジェームズ……さん……」

「なぜそう言ったかを、君はこれから時間をかけて知ることになるだろう」


 膝を打って立ち上がったジェームズを見て、今はこれ以上何も話さないだろうと思った。

 そして予想通り、ジェームズは“さてメイスン夫人にオヤツをねだってくるか”と言うと部屋を出て行ったのだった。

 ただ1人、呆然と立ち尽くすアイリを残して。

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