第2話(終)
「ではまず、“アジア客船沈没事件”について整理しよう」
そう言ってパンと手を打ち鳴らす。
アイリは慌てて筆記具を取ってきて、テーブルについた。
「かの事件が起こったのは13年前だ。日本の豪華客船サクラ号が、沖で突如操作不能となり沈没。乗務員乗客合わせて100人以上の死者を出した。操作によるとスクリューに事件性を持った欠陥があったものの、サルベージするのが難しく、それ以上の捜査は不可能となった。また遺体もほとんど回収できずじまいだ」
アイリは次々ともたらされる情報を必死にメモする。
ハドソンはこのジェームズ自身が情報を整理するための会話に慣れていたのと、元々情報は頭の中に入っていたので腕を組んで目を閉じたまま聞いていた。
「しかも、回収された死体は全員もれなく毒物が検出され、恐らく回収できなかった遺体にも毒物があるのではないかと推測される」
「当時はどの新聞社もオカルトめいた記事ばかりだったなあ。幽霊の仕業だの、魔の海域だの。私はてっきり新聞社が小説でも出す気かと思ったが」
そう言ってハドソンがフフッと馬鹿にしたような笑いを出せば、ジェームズもわずかに口角を上げた。そして再び口を開く。
「生き残りはいないと思われていたが、唯一目撃された生き残りと思われる少女が出てきた。これは事故から2日目のことだ。年は5歳ほど。国籍は不明。辺りが暗かったので髪の色も肌の色も不明。ただ、背丈と体系から大体の年齢を割り出しただけと言うお粗末さ。現に5歳の子供が2日間も海を漂流して、無事生きて陸に上がるなんてのは不可能だと言われていた」
ここまでで、すでにアイリは良くわからなくなっていた。もうメモも取っておらず、話をただフンフンと聞いている。
それに気づいたジェームズは、アイリの方を見て口角を上げた。
「わかるか、アイリーン。全てが君へのメッセージとしか思えないんだ。今更取り上げられた過去の事件、謎の少女のパーソナルデータ、そしてこの陳腐だが実にわかりやすい君へのメッセージ……ここの“AIRI”と言うのは君の名だろう? ここだけ妙に文脈が途切れているから、おそらくは君へのメッセージだと思ったんだが」
ジェームズが指し示したところは、記事の一部。確かに縦読みで“AIRI”と書いてあった。
そして、ジェームズが気づくことはできなかったメッセージまで見つけてしまう。あちこちに散りばめられた日本語。それを全て拾うと“AIRI DOKO MATTEIRU RENRAKU KUDASAI(アイリどこ 待っている 連絡下さい)”となる。
「何か他のメッセージも見つけたようだな」
「日本語しか分からない。えーと、これ“マッテイル”は英語で……待機? それから“ドコ”はどこ。この“レンラククダサイ”は……わからない。英語、わからない。たぶん、手紙、ほしい……? わかる?」
「連絡がほしい、ということか」
「そう!」
ジェームズはなるほど、とつぶやくと思考を開始した。部屋には静寂が訪れ、ハドソンも何か考えをめぐらせている。アイリはただその光景を眺めていた。
「この件については分からないことが多いな。ほぼアイリーンで間違いないとは思うが、その証拠が今のところ1つもない」
「ほう? ジェームズがそんな弱気なことを言うとは珍しい」
茶化したようにそう言えば、ジェームズはちょっとムッとしたような顔になる。
「弱気? 違う。長期戦に持ち込んでじっくりあぶりだすつもりだ。一体何故こんなことをしているのか、そしてアイリーンは何故奴隷商のところに現れたのか、アイリーンの記憶はどうなっているのか……考えるだけでも謎だらけで、実に面白い。非常に興味をひかれるが、これは本当に長期戦になりそうだな」
楽しげに笑うジェームズ。
その顔は子供のようにキラキラしていた。
「だが残念なことに、これはあまりにも事態が大きすぎてすぐに処理するのは難しいだろう。少しずつ情報を集めて慎重にいきたい」
ジェームズのこのセリフを聞いて、ハドソンは少しだけ違和感を感じた。
どうもこの問題を、ジェームズは後回しにしているような気がしたのだ。普段であればそんなことはしない。ではなぜ――……?
「さて、そうとなれば一旦この話はおしまいだ。また進展があれば考査するとしよう」
考えても答えが出ないと判断したハドソンは、今はこの違和感について考えることをやめた。
「次に少しばかりアイリーンの個人情報について聞きたい」
「あ、はい」
ジェームズの一言でアイリに緊張が走る。
座りなおして背筋を伸ばせば、ジェームズもそれを真似して少しだけ背筋を伸ばした。
「まず君が奴隷商の部屋に現れた切欠を教えてほしい。何をしていて、どうしてあそこにいたのか、だが。奴隷商は確か“急に現れた”と言っていたな?」
「はい。あー……えーと、英語……うーん……目、パチパチ、部屋いた」
「パチパチ……あ、瞬きか。瞬きをしたら部屋にいたとでも?」
ハドソンが疑わしげにそう言う。しかしアイリが頷いたのを見て、肩をすくめてみせた。
「あと、それの前、わからない」
「わからないというのは思い出せないということか?」
「はい……」
すっかりしょげてしまったアイリを見て、ハドソンが慌てたように「まあ、色々あるな」と言う。しかしアイリの気持ちがはれることはなかった。一方ジェームズはと言えば、まるで話なんて聞いていないかのように空中を眺めていた。
深い思考に入るとき、ジェームズは決まってこうなる。しかし周囲の話を聞いていないかと言えばそうでもなく、重要なことは聞き漏らすことが無いのだ。
だが自分から話すことはなくなるので、かわりにハドソンが質問を続けた。
「アイリーン。自分の家や名前とか……そういった一般的なことは覚えているんだろう?」
「はい。日本の東京出身です。名前は片山アイリで、年は19歳です。私の家族はお父さんと、それからお母さんです」
アイリは、「こんなこと程度で謎は解けないだろうな」と思った。そしてそれはハドソンも同じ思いで、あらかたはなしを終えたアイリとハドソンは黙ったままのジェームズへと視線を移した。
「おい、ジェームズ。何も収穫は無いように思うが」
「あったじゃないか」
今まで反応を示さなかったジェームズが、きょとんとしながら顔を上げる。
「ハドソン君。君はアイリの話し方についてどう思う?」
「どう……まあ、発音は……まあ……文法ももう少し勉強がいるな。だがリスニングはほぼ……いや、完璧と言っていいだろう」
「その通り。そこから導き出せる答えは、アイリが英語について学んだことがある、あるいは英語圏の国で生活したことがある、のどちらかだ。ところが、自分のことを説明するときに、アイリは今までにない程安定した文章をつないでいる。つまりどういうことだと思う?」
楽しそうにそう聞くジェームズ。
ハドソンが少し考えるも、その返答を返す前に若干興奮したジェームズが再度口を開いた。
「英語圏で生活したのではなく、英語を学んだ、ということだ。英語圏で生活したのであれば、満遍なく話せるようになるはずだからな。しかし、外国語を学べるくらいだから、アイリはある程度裕福な生活環境にいたんだろう。例えば、いなくなった娘のために金を出して探させることが容易にできるとか」
「ジェームズ……まさかこの記事が本物だとでも?」
「可能性の1つだ」
再び頭を抱えるハドソンに、ジェームズはクックッと楽しそうな笑い声を漏らした。
「まあ、なんにせよ。今分かることは全てわかった。今日はもう本当におしまい。続きはまた今度、だな。こんなに楽しい謎を一度に解くにはあまりにも惜しい」
そう言いながらペロリと上唇を舐めるジェームズの目は、酷く濁っている。それに気づいたアイリは、わずかに顔を歪めた。そして心配になり、声をかけようと手を伸ばす。
しかし、ジェームズはその手に気づかず、立ち上がって部屋を出るべくコートとマフラーを衣類かけから取ると、身にまとう時間も惜しいとばかりに部屋を飛び出していった。
そしてすぐに戻ってきて顔だけのぞかせる。
「少し出てくる。夕方までには戻るだろう」
バタバタと階段を駆け下りていく音を聞きながら、ハドソンはいつものことだと肩をすくめる。
しかし、夕方になってもジェームズが戻ってくることはなかった。