第4話(終)
「しかし、アンダーソン夫人の息子も元気で良かったな。グリーンスレード警部は手柄を横取りされたと怒っているようだけどな」
ハハハと笑いながらハドソンがウイスキーを舐める。
それを視界の隅に入れながら、ジェームズはわずかに口角を上げた。
「ところでジェームズ。いい加減に今回の謎を教えてくれないか? 私はどうにも気になって眠れそうにない」
すっかりご機嫌になったハドソンがそう言えば、ジェームズはさらに笑みを濃くした。
「実に簡単だよ、ハドソン君。そもそも今回の事件の概要だが、パッチは毎週金曜日に子供を1人だけ誘拐していた。そしてその子供は帰ってこない、と言うものだ。それも子供たちは目を離した一瞬の隙に消える。大人がそばにいようと、影も形もなくなってしまう。身なりの良い子も悪い子も関係なくだ」
「ああ、そうだな。この事件が最近ロンドンで有名になりつつあるのは知っていた。ベイカー通りの悪夢だとどこの新聞社も記事を書いている」
ハドソンはウイスキーの入ったコップをテーブルに置くと、興味深げに身を乗り出してきた。
「まず私は犯行条件に目をつけた。毎週金曜日の夜に、子供をたった1人だけ誘拐する。このことからわかるのは、相手が何かしらのルールを自分に課しており、かつ常人には理解できない美学を持っている神経質な男で、金持ちではないということだ」
「なぜそう思う?」
「自分にルールを課してそれを守るのは、ある種病的な面があるからだ。それになにかしらの美学や脅迫感を感じているせいだな。これは図太い人間には縁の無いことだと思うが。そして金持ちではないというのは、パッチがそのルールに忠実であったことからわかる。例えば自分が犯罪を犯すとき、立場が上になればなるほど金を払って他のものにやらせようとするはずだ。それがなぜかわかるか?」
「自分の手を汚さずに犯罪を遂行するためだ。地位を守るのにはうってつけの方法だからな」
ジェームズは「その通り」と嬉しそうに言うと、さらに話を続ける。
「しかし、この他人に任せるというのは“美学”に反する場合が多い。なぜなら完全に自分の思い通りにことが進む保障が何1つないからだ。もし自分の思い通りに犯罪が進まなかったとしたら……そういう考えに至るので、美学を持つものは大抵自分で罪を犯す。こと、人を切り刻む者はね。それに秘密を知る者は少ない方がいい」
「待て。そこがわからない。なぜ切り刻んでいると思った?」
「それこそ簡単さ。子供は養うとお金がかかるし周りに気づかれる。となれば必ず殺しているはずだ。孤児も被害にあっているから、身代金目的はありえない。ああ、先に言っておくが、美学に基づいたルールから、昼間は子供たちに被害が及ばないだろうと思って、あの孤児たちを使ったんだ」
ハドソンにはしばらく何のことかわからなかったが、アイリが顔をしかめているのを見て、あの情報収集に使った孤児たちのことを思い出した。
「さて、次に性的な目的のための犯罪についてだが、これもありえない。なぜなら、この手の美学も持った人間は収集癖があるからだ。収集癖をもつ人間は、コロコロと根本の対象を変えたりしない。さて、ここで問題だ。一番可能性が高い遺体の行方はどこだと思う?」
部屋はしんと静まり返り、アイリもハドソンも顔をしかめて必死に考えている。しかしやがてハドソンが首を振ると、表情を消したジェームズがポツリとつぶやいた。
「胃の中だ」
ひやりと冷たい冷気がどこかからか流れてくる。
「1週間で肉を食べ、少し保存しておく。そして次の週のための肉を金曜日の夜に獲りに行く。これがパッチの習慣。そして部屋の中にあった皮や骨は、パッチのコレクションだろう。何度も言うが、この手の美学を持つ者は、それに付随して収集癖がある場合も多い。全く持って忌々しい男だ」
そう言ったジェームズの目には明らかな怒りの色があった。
「しかしパッチはミスを犯した。それはアンダーソン夫人の息子が風邪を引いていたと気づかなかったことだ。だがこれが息子ルディにとっても、アンダーソン夫人にとっても助けとなる。なぜなら不健康な子を食べたいとは思わないからだ。風邪くらいであれば治して健康になってから食べればいいと思い、保存していた肉に手をつけた」
ゴクリと生唾を飲み込むハドソン。
その音は部屋中に響いたものの、再び部屋は静かになった。
「さて、話は戻るがパッチが裕福では無い理由がまだある。それは彼が奴隷に手をつけなかったからだ。私は奴隷を定期的に購入する男がいないか調べたと言ったな? 金持ちであれば、足がつかないように奴隷でことを済ませるはずだ。奴隷の死因を気にするようなやつは少ないからな」
「……ふーむ」
もはやハドソンは言葉も出なかった。
アイリもただジッと絨毯を見つめている。
「それから、私がどうやってパッチの家を見つけたか、だが、それに関しても非常に簡単な理由だ。人を抱えた状態であちこちに移動するのはリスクが高すぎる。ましてや馬車なんかが毎週通ってみろ。噂の的になる。しかしその手の類の噂はなかった。であれば、犯罪が多発しているベイカー街に本拠地があると考えるのが自然だ。そしてその家には、人知れず処理できる施設……つまり、地下がある可能性が高い」
「何故だ?」
「家の中が見えてみろ。あっという間に捕まるだろう? かと言ってカーテンを閉めっぱなしにするのも怪しい」
ここまで言うと、ジェームズはウイスキーを口の中へと流し込んだ。
そしてコップをテーブルの上に置くと小さくため息をつく。
「人を解体するのにぴったりの条件を持つ家はそうそう多くない。突き止めるまではその日のうちにできると確信した。事実そうだった。地下には出入り口が1つしかないことがわかったし、地下室の位置も把握した。後は現場をおさめるだけだったんだ」
― これで全て ―
低いジェームズの声が部屋に響く。
何か壮大な物語を聞いたときのように、酷く気だるい何かがハドソンとアイリを襲っていた。
「なんと言うか……なんと……言うか……」
「ところで、アイリーン」
ジェームズの目がアイリをとらえる。ノロノロと視線を合わせれば、その目にわずかばかりの怒りがこめられているのに気づいた。
「君を現場に連れて行ったのは私の判断だったが、今日、それは間違いだったと気づいた。もう私が君を現場に連れて行くことは無いだろう」
アイリは一瞬何を言われたのか理解できなかった。そしてその言葉を理解した次の瞬間、目の前が真っ暗になった気がした。
スッと立ち上がって寝室へ向かうジェームズ。ぽかんと口を開けたままのハドソン。
取り残された2人は、ただ寝室のドアが閉まるのを眺めているだけだった。
『なん……で……』
「アイリーン……?」
困惑気味のハドソンがアイリに声をかける。
なぜ、と言ったものの、今日の自分勝手な行動がジェームズを怒らせたのだと思い至るのに時間はかからなかった。
そして、それは今更後悔しても遅い。
ただ1つわかるのは、あの行動がジェームズにとって非常にやっかいな行動であったということのみであった。
「大丈夫か? アイリーン……」
ロンドンの夜はふけていく。




