第3話
「以上が地下のある家です!」
薄汚れて破れた服を着ている10人の子供。
みな一列に綺麗に並んでいかめしい顔をしながら立っている。みなハドソンと同じくらいの時間に入ってきた子供たちだ。
彼らはさながら小さな兵隊のようで、彼らを見ていたアイリはなんとなく微笑ましい気持ちになっていた。そしてミルクティーを入れながら話が終わるのを待つ。奮発して簡易クッキーなんかも焼いており、それに気づいている子供たちは時折アイリの方へと視線を向けていた。
「ではそのうちこことここ……それからこの一帯の家は除外だな。それからこのテムズ川の近くも除外。あとここも地下道が近いから除外。こちらは太陽があまりあたる家ではないな。除外。あとここは通りから離れすぎているから除外」
ジェームズはブツブツ言いながら地図に印をつけていく。
やがて大きな丸をつけると、満足げに頷いて2人の子供に追加でコインを渡した。
「ウィル。君のみつけた家だ。それからワット。君が一番多く見つけたな。2人ともよくやった。他の子もありがとう」
「話、終わり?」
「ああ、終わりだ。さあ皆、どうやらアイリーンが君たちのためにクッキーと紅茶を用意したようだ」
子供たちはあっという間に駆け寄ると、ポケットにクッキーを押し込み、あるいはその場で食べ、勢いよく紅茶を飲み干すと嵐のように去って行った。
『す、凄い……』
「言葉」
指摘されて慌てて口を塞ぐ。
茶器を洗うためにアイリが片づけを始めると、今まで黙っていたハドソンが口を開いた。
「それで、この印がなんだって?」
「犯人はそこにいる。それから誘拐された子供も」
「なんだと!?」
大声をあげるハドソンに対し、ジェームズは酷く冷静に、そして冷酷な笑みを浮かべていた。
「灯台下暗しとはこのことだな」
「い、一体何故こんな……本当にここにいるのか?」
「ああ、まず間違いなくここにいる。私は朝からアイリーンに手紙を渡して警察署へと届けさせたが、それにはこのように書いてある。“金曜日の悪魔がどこにいるのかもう少しでわかる。それは昼過ぎにジェームズ邸へ来てくれるとあなたにもわかるだろう”とな。もうすぐ来るんじゃないか? ああ、ホラ見ろ。通りを見覚えのある男が歩いてくるぞ」
ジェームズがそう言ってしばらくすると、下宿先の玄関ベルが鳴らされた。
そしてメイスン夫人に連れられてやってきたのは、アイリが見たときと同じ無表情を浮かべたグレイソン警部であった。
「ようこそ、グレイソン警部」
「どうも、ジェームズさん。単刀直入にお聞きしますが、本当にわかったのですか。金曜日の悪魔の居場所が」
「ええ、もちろん。あなたがたの元にアンダーソン夫人という方がお訪ねになったと思いますが、彼女から話を聞いた時に、この事件は8割がた謎が解けていました」
「8割!?」
ハドソンの驚いた声が室内に響く。
グレイソンは少しだけ眉間にシワを寄せ、不愉快そうな表情を作った。
「我々は長くこの事件を追っているのですが、今だ確固たる証拠はありません。これが実際に犯人の場所へ行き“実は嘘だった”と言うようなことになれば、状況は不利になると考えているのですが、そこはどうお考えか」
「ご心配には及びません。これは1つも謎が残っていない事件だ。綺麗サッパリ解けている。そうでなければ私は警察を呼んだりしない」
「ほう? では私は何をすればいいのですか」
「私があなたに望むことはたった1つです、グレイソン警部。それはこの計画が上手くいかないんじゃないかと気を揉むことではなく、1人の男に手錠をかけることだ」
自信満々に胸をはり、ジェームズがソファに深く腰掛けて腕を組む。グレイソン警部はそれをジッと見つめながら、何かジェームズの話に矛盾が出やしないかと思考していた。
「方法は簡単です。私が犯人をあぶりだします。そこをつかまえるだけでいい。できれば力のある若い警官を4人ほどお貸し頂きたい」
「貸すだけならいくらでも」
その返事を聞くと、ジェームズはグレイソン警部へ1枚の紙を渡した。それには突入予定の日時と警官の配置方法が書いてある。
「それをよく読んで、この時間、この場所に警官の配置をお願いします」
「わかりました」
「それから、例え何があっても、犯人が目の前に現れた以外の理由で持ち場から離れないようにお願いします」
そう言うとわずかに顔をしかめたものの、グレイソン警部はまた頷く。そしてこれ以上話がないとわかると挨拶をして帰っていった。
「ジェームズ、どうやって犯人をおびき出す予定だ」
「グレイソン警部には言えなかったが、少し法に触れることになりそうだ」
そう言ったジェームズを見て、ハドソンはわずかに目を見開くと大きなため息をついた。
「……またか」
「だからこの役はアイリーンにやって欲しい」
「え!?」
突然の指名に飛び上がって驚けば、ハドソンからは同情の視線をもらった。
「まあ……子供であれば“悪戯”ですませることもできる、か」
「その通り。さあ、実行は1時間後。すぐに現場へ向かうぞ」
アイリは早々に逃れることは出来ないのだと知り、細くため息をついた。
意気揚々と部屋を出て行くジェームズの後に続きながら、アイリとハドソンは再びため息をついた。
* * * * * *
「いいか、アイリーン。私が合図したら物乞いをしろ」
手に持った瓶をいじりながら、ジェームズはある家の前で待機していた。そして彼の足元には地下室の換気用の排気口がある。
周りにはすでに数名の警官が隠れているようで、ちらりと視線を向ければ建物の隙間などに警官がいるのが見えた。またグレイソン警部は4人だけではなくもっと多くの警官を用意してくれたようで、垣根の向こう側にも警官が潜んでいた。
それはジェームズにとっても良いことであった。常であれば余計なことになりかねないが、この配置はあの紙を見ただけでどう動きたいのか理解してくれたようだと満足げに頷く。
「これ、なに?」
「これは発煙剤だ。こちらは発炎筒。私は地下にこれを投げ込む。そして君が物乞いのためにドアを開けてもらい、少しでも話ができればこちらのものだ。君は奥を指差して“あの煙はなんだ”と聞け。それだけでいい。その後は走ってあの警官のところへ行きなさい」
指差された方には若い警官が隠れている。ガッシリとした体つきで、眼光が鋭い。ネズミの子1匹通さないといった固い意思が見られた。
「しかしグレイソン警部は役に立つな。私の計画を邪魔しないところへ追加の友人を配置してくれたようだ。随分と頭の回転の速い男だなと感心する」
「おい、ジェームズ」
不安そうな声をあげたのは、ハドソンであった。
「アイリーンの無事は本当に確保できているのか? それに、こんな子供だましに引っかかるとは思えないがなあ」
「そこについては問題ない。彼はコレクターだ。こんなに珍しい顔立ちのアイリーンが、彼の興味を引かないわけが無い。それに私の考えが正しければ、例え彼がアイリーンに唾をつけたとしても、今日、今すぐに襲われることは無いはずだ」
言われていることは怖いが、ジェームズはジェームズで褒め言葉として言っているようであった。
何とも言えない会話に思わずジト目になるアイリ。
「まだわからないことは山ほどあるが、私は君を信じているからな……」
そう言って肩をすくめるハドソンを、ジェームズはこれ以上ない程の笑顔で見つめた。
「では、作戦開始だ」
家の中を覗き込んで屋内を確かめる。しばらくそうしていたが、やがて次々に薬品や発炎筒を投げ入れ、アイリに合図を出した。
その合図と同時にアイリは玄関を何度かノックする。
「すみません! すみませーん!」
しかし中から人は出てこない。
「すみません、あのー!」
まさか感づかれたかと誰もが緊張した瞬間、ドアに取り付けられた窓が開いた。
「なんだ」
「あの、ご飯、お願い。飲み物、食べたい」
じっとりとアイリの背中に汗が流れる。
男は優しそうな顔をしており、目元には薄っすら笑みが浮かんでいる。その目がさらに細められ“少し待ちなさい。今ドアを開けよう”と言うとドアの窓を閉めた。
やがてドアが開けられる。
「君は珍しい顔をしているな。外国から来た孤児か?」
「はい。お母さん、死んだ。ご飯、ゴミ箱、拾う。でも、今日無い」
「そうか。可哀相に」
何気なくアイリが室内に目を通す。
そこは綺麗に整えられており、男の人相の良さもあってとても犯罪を犯すような男には見えなかった。
そして、薄っすら、地下室があるであろう方向から煙が出ているのに気づく。
「あれ、何? 煙、大きい。火?」
その煙を指をさし、男が振り向いた瞬間。
男は目を見開いて全力で駆けていく。
その必死さに、アイリはぞくりとした何かを感じた。ジェームズに言われるまでもなく脱兎のごとく走り去ろうと思ったものの、なぜかアイリは男の後を追いかけてしまった。なぜか、そうしないといけないと思ってしまったのだ。
そして追いかけて行って地下に入り、小さく息を呑んだ。
「……こ、こ……」
壁に吊るされた人型の皮。頭部。骨。
ありとあらゆる人体の破片が、所狭しと並べられている。
部屋の中央で男は奇声を上げながら発炎筒を踏みつけていた。時折汚い言葉で何かを罵り、荒い息を吐いている。そしてその発作のような何かが治まった時、男はゆっくりゆっくりアイリの方を振り返った。
「…………」
男は何も言葉を発しない。
しかし、荒い息を吐きながら、ゆっくりアイリの方へ手を伸ばした。
『さ、さわら……ないで……』
アイリは自分が過呼吸になったのだと思った。それほどに呼吸が安定しないのだ。足はガクガクと振るえ、体がどんどん冷えていくのがわかる。逃げないといけないのはわかっているのに、これっぽっちも動けない。
『来ないで!!』
そう叫んだ瞬間だった。
アイリの目がふさがれる。
『きゃあ!?』
アイリが叫ぶのと同時に、ガシャンと金属の音がした。
「初めまして、ルディ・パッチさん。初めましてで手錠をかけるのは非常に心苦しいが、これは身から出た錆と言うことで勘弁してほしい」
聴こえてきたのは、低い落ち着いた声。
『ジェームズさん……』
「アイリーン、言葉」
『怖かった……』
アイリの目を押さえるジェームズの手の隙間から、キラキラと光る水滴が落ちた。
一方、ジェームズによって手錠をかけられた男― ルディ・パッチ ―は両手を振りかざしてジェームズを殴ろうとした。しかし、ジェームズはあいた方の手を振りかぶり、パッチの顎へとその拳を叩き込んだ。
何のモーションもなく、部屋中のものを巻き込みながら床へと倒れこむパッチ。
彼を冷たい目で見下ろしながら、ジェームズはアイリを抱え込んだ。
「怪我は」
「いいえ」
「そうか」
それだけ言うと、ジェームズはアイリを抱き上げて階段を昇っていく。
途中警官とすれ違うとき、「下にいる」とだけ告げた。
こうして、ロンドンを恐怖のどん底へ陥れた“金曜日の悪魔事件”は呆気なく幕を閉じたのだった。




