第6話(終)
「何を言っているんだあんたは」
ハリーは憎しみの混じった顔でジェームズを睨みつけていた。
「探し物はこれでしょう」
そう言いながらレイナーの指輪を取り出せば、男は再び顔を強張らせる。
「いやはや、世の犯罪者がみなあなたのように正直者だったら、どんなにいいか」
「言っている意味が分からない」
「では分かるようにお伝えしましょう。あの助手は私の所有物ですがね、わざと水をあなたにかけさせたわけです。なぜなら、あなたのその靴底がどうなっているかを見たかったからだ。現場に残されていた物と同じかどうかを知りたかったもので」
ジェームズがそう言うと、ハリーはフンと鼻を鳴らした。
「それだけで? 悪いがこの靴はロンドン中の若者が履いている」
「でも現場の足跡は、左の靴底が特徴的に欠けていたのです。ちょうど、今あなたが履いているのと同じように」
言いながら指を刺す。ジェームズが示した床の足跡は、確かに特徴的な欠け方をしていた。
「そのぶんだと気づかなかったようですな。あなたはあの日――つまりファーガスとレイナーがウィケット氏を殺害した日に、家の窓の外にいた。窓の下に山ほど靴跡が残っていました。ほぼ消えかけていましたが、その特徴的な欠けのお陰で見失わずに済んだ」
「それだけでは、私がファーガスを殺したとは……」
「ええ、そうですとも。だがあなたが犯人であると指し示している証拠は、残念ながら足跡だけではないのです。あなたはレイナーに横恋慕していた。一見あなたには何の得も無いレイナーの策に乗ったのはこれが原因だ。彼女は実家住まいの家庭教師で結婚も目前に控えていますから、貯金はあったのでしょうな。ある程度の金額を用意したのでしょうが、この恐るべきそして忌まわしき犯罪に手を貸すには少ない額のはずだ」
ジッとハリーの目を見ながらそういい、一瞬たりともその表情の変化を見逃すまいとするジェームズ。
「そしてあなたは、その金額を使ってレイナーには内緒で店員を買収した。より正確性を増すためだ。それから窓の外でこの惨事を見届けたあなたは、レイナーが指輪を落としたことにも気づいた。本当はレイナーの計画を確かなものとするべく、その指輪をそのままにして置くべきだったのです。だがあなたはそうしなかった。それは何故か? つまり、あなたは――」
「もういい……もう、やめてくれ……」
もう男は立っているのもやっと、と言うほどに青ざめていた。
「ああ、どうもあなたは正直者の上に小心者のようだ。大丈夫ですかな? 随分と顔色が悪いようだが」
近寄って耳元にそうささやけば、男はずるずると地面に崩れ落ちて動かなくなった。
ジェームズの顔にニヤリと笑みが浮かぶ。
* * * * * *
「しかし今回のことで良く分かったが、アイリーンは私が思うよりはるかに利用価値があるな。君は始めてグリーンスレード警部に会った時、頭を下げただろう? あれが君の国の挨拶だということはすぐにわかったが、それ以降、ハリーに会っても君は微笑を向けるだけだった。なぜならその挨拶から自分の国がばれると判断したからだ。違うか?」
帰路。車中でジェームズは機嫌良さそうに笑みを浮かべていた。
「それは実に懸命な判断だったよ。私の小間使いを名乗るのに相応しい。それに今回の件に関して、知らないことや分からないことが山ほどあっただろうが、君は一度としてその場で私に聞かなかったな」
クルクルと手の中でパイプをもてあそびながら、ジェームズは窓の外の流れていく景色を見つめている。
「私は緊急時にいちいち質問を繰り返されるのをあまり好まない。緊急時には、ただやれと言われたことを忠実にこなすだけでいい。そこでお願いがあるのだが、これから先、私が必要だと思うときに同行してほしい。もちろん金銭は払おう。君は家もあり、金も得るわけだ。もちろん、君がそう望めばだが」
これを言われたとき、アイリの顔は一瞬歪んだ。どう考えてもこの提案にのれば、自分の身に危険が及ぶであろうことが理解できたからだ。
それでも今日は退屈はしなかった。
それから窓の外を見ながらなんでもないように話しているジェームズの手が、せわしなくパイプを弄繰り回しているのを見て、きっとこの男は偉そうに言っているけど素で偉そうなだけで悪気はなく、彼なりに下手に出たのだと思った。
「私、小さい危ない場所、大丈夫」
アイリがぽつりとそう言えば、ジェームズは子供のように目を輝かせてアイリを見つめた。
「そうか、それは良かった。まあ、私といる限り危険のない場所はないだろうが、君の望みどおりなるべく危険が少なくなるようにしよう」
ジェームズは安心したように椅子へ身を沈めると、それっきり何も言わずに再び窓の外を眺め始める。
アイリはそれを目の端でとらえながら、「もしかしてとんでもない約束をしてしまったのではないだろうか」と心配になった。
「念のために言っておくが」
それを見透かしたようにジェームズが声をかけてくる。
「君の安全は私が保証する。ほぼ100%君を守ることができるはずだ。何故なら私は全ての謎を潰してからでないと次に進まない性分なもので、私が犯人を示す時は完全に警察や私の信頼する人間がそばにいるんだ。そんな状態で犯人が君に手を出すのはなかなかに難しいだろう」
窓の外を見たまま、しかし視線だけは窓越しにアイリへ向けてジェームズが話を続ける。
「もっとも君は女性で子供だから、犯人が手を向けるとしたら真っ先に餌食になるが、それがこちらにも分かっているのだから対処のしようはあるというものだ」
「はあ……」
にこりと人の良さそうな笑みを浮かべたジェームズは、「他に質問は?」と問う。
「……私、いらない、いつ?」
「いらない? 君が要らなくなる日のことか?」
「はい」
アイリは、ジェームズが時たま“この日は永遠に続かないだろう”というような言い方をするのに気づいてた。
いずれ出て行く――
これはよくよく考えれば当たり前のことではあるが、未来はどうなるかわからないし、まだこの世界に何故来たのかなど謎が多すぎる。そもそもここがどこで、いつの時代なのかすら確信が持てていないのだ。
「そうだな……まあ、しばらくは、だろう。しばらく……もし君があの小さなお城にいたいと望むのなら、好きなだけいるといい」
「…………」
そのセリフを聞いて、アイリはようやく理解した。
永遠ではない言い方は、自分のことを気遣ってのことだったのだと。恐らくは嫁に行ったりするだろう、というところまで考えてくれていたのだろうと気づき、わずかに苦笑する。
「永遠」
「そうか。では私が退屈しないように手伝って欲しい。私はどうも常に考え事をしていないと不安になる病気のようでな。何かしら頭に栄養をやっていないと、“別の何か”を摂取してしまいそうになるんだ」
「何?」
「それは君にはまだ少し早い。だが君の謎を解くのにはなかなか時間がかかりそうだから――……まあ、しばらくは退屈しないだろうな。君がいてくれて良かったよ。私も無駄にアレを摂取しなくてすむ。アレは非常に脳を活性化させるが、その反動もまたでかい」
アイリにはジェームズの言っていることがさっぱりわからなかったが、適当に相槌を打つと窓の外を眺めることにした。窓に映るジェームズの顔は楽しげな笑みを浮かべている。
それを見ながら、アイリは小さくため息をついた。
うーん、なんか「私、頭悪いな」という感じ。
推理モノって難しいですねぇ……




