第5話
「やあ、ようやく着いたな。野次馬も警官も見事にいない。実に結構」
ジェームズの後を追ってアイリが部屋に入った瞬間、生臭い空気と真っ赤な地面と、そこに横たわる哀れな男を見て思わず怯んだ。アイリが小さく息を呑んだのにグリーンスレード警部が気づき、哀れそうな顔を向ける。
アイリは荒い息をつきながら、なんとか口を開いた。
「ジェームズ、さん……」
「アイリーン、倒れるなよ。君がいないとこの計画は駄目なんだ。なぜなら私がドジを踏んでも全く可愛くない。それはそこの男も同じだ」
グリーンスレード警部はなんとかアイリの気を紛らわそうと、床に広がる赤い染みを自らの体で隠しながら口を開いた。
「それで、犯人が来るまでに教えてほしいのですが」
「今は口を開く気分ではないが、もうあとは捕まえるだけなのだからいいだろう。それに君は少し自分で考えるクセをつけなくてはいけない」
少しムッとした表情になるグリーンスレード警部。しかし、それを気にしたふうでもなくジェームズは言葉を続けた。
「いいか? まずレイナーと足跡男がどうして知り合いと言えるのか、という点についてだが、レイナーのものと思われる足跡。そしてそれに沿うようにしてつけられた男の足跡。その足跡をたどればわかったはずだ。あれは沿うようにしていたが、隣を歩いていたのではない。あまりにも距離が近すぎる。なぜ女の足跡を追うようにしたか。それは足跡の主が、レイナーに思いを寄せていたからに他ならない。君はどうでもいい女の足跡をたどりたいと思うか?」
「いいえ……ですが好きな女でも足跡を追いたいと思いませんが」
「その通り。そんなことをするのは恋愛本を読みすぎた思春期の青年か、もしくは変態的な思考を持った者だけだ。それにあの足跡は途中でお互い向き合っている。どこかの誰かに踏み荒らされて非常に見えづらくなってはいたが、腹を汚す代償に情報が得られた。恐らくはレイナーに声をかけたのだろう」
再びはさまれた嫌味に、グリーンスレード警部の顔が歪んでいく。アイリには状況が読めなかったものの、ジェームズが全く悪気なく言っているのを見て“この人は素でとっても失礼な人なんだ”と知った。
「普通は殺害現場の直後に誰かに見られたとあれば暴れたりなんなりするはずだが、足跡はそんな気配が微塵もなかった。それはなぜか? 相手が、ある程度心を許した知人だったからだ。さらに言えば、そこでこういう交渉が行なわれたはずだ。“私が代わりに牢屋に入るから、あなたはファーガスと一緒にいたというアリバイを作って欲しい”と。金でもつかませてな」
「まさか……」
「足跡の男と、ファーガスの友人は同一人物だろう」
グリーンスレード警部は言葉を失った。
あくまで仮定でしかないが、全くその通りであるとしか思えなくなっていた。なぜなら、ジェームズがあまりにも自信たっぷりにそう言い、かつ道筋が通っているように思えたからだ。
「君は酒場の店員が嘘をついている可能性について考えなかったか? 誰かを買収する、これはよくある手法だ。この事件でまずおかしいことと言えば、ファーガスが嘘つきに仕立て上げられたこと。彼は嘘をついているにしては生々しい情報を持っていた。では誰が“はめた”のか。店員と友人、それからレイナー以外に考えられない」
ジェームズは退屈そうに言いながら、部屋の中をジットリと見渡している。
「店員が嘘をつく必要がなぜあるか? 答えは誰かに頼まれたからだ。金をつかまされて。それは誰かなんぞ考える必要もない。レイナーに頼まれた友人は、レイナーが辛い目にあうと知りながらも“お願い”という魅惑的なワードに逆らえなかったのだろう」
「指輪は?」
「実に簡単。レイナーは嘘などついていない。本当に落としたんだ。男は窓の外から一部始終を眺めていたのだから、彼女が指輪を落としたことにも気づいた。それを回収したのは、彼女に対するせめてもの救いと思ってのことだろう。ここに、男がレイナーに恋愛感情を持っているという証拠がある。なぜなら恋愛感情が無ければ、指輪を回収する意味など無いのだから。庇っても意味が無いからな」
ジェームズはブツブツと言葉を続けながら、時折爪を噛む。
「ん? おい、グリーンスレード警部。我々がここに来てから何分だ?」
「もうすぐ10分ですな」
その言葉を聞きながら、ジェームズは窓へ近づいて外を見た。そして唸るような声を出す。
「犯人の登場だ。通りを思ったとおりの男が歩いている。もうあと5分もせずにここへくるだろう。おい、アイリーン。そこに花瓶があるな。君は一旦外へ出ろ。そして私が“そろそろ私の助手がくるはずだ”と言ったら中に入って、この死体に驚いたフリをしてその花瓶を倒せ。狙いはやつの足だ。できれば左側に。無理でも全体に撒き散らすとか、水を踏むように仕向けてくれ。どんな形の靴底をした靴なのか知りたいんだ。ああ、奴に見つからないように気をつけろよ」
アイリはすぐに外へ出ると物陰に隠れるべく辺りを見回した。それを見送ってから数十秒もしないうちに、若い男が入ってきて、部屋の空気が凍る。
先に口を開いたのは、若い男だった。そしてその男は倒れているファーガスを見つけると、目を見開いて後ずさった。
「ファーガス!! こ、これは一体全体どういう理由です!? な、なぜファーガスが!?」
「おや、あなたは確か一度お会いしましたな」
グリーンスレード警部が口を開けば、若い男は動揺したように言葉を続けた。
「ファ、ファーガスの、友人です……なぜ……なぜ彼が……!」
「ああ、そうだ。アリバイを証明した方でしたな。名はハリー・アダムスさん。なぜここに?」
青ざめて応対する男は、グリーンスレード警部から見て至極まっとうな反応だった。本当に友人の遺体を目にして驚いているように見えるのだ。もしかしてこの人は本当に関係ないのではないかと思えてきた。
「わ、私は彼に呼ばれていて……それよりもなぜ……! なぜこんなことになっているんです!?」
「何者かによって殺害されたようです。まだ犯人の目星が着いていませんが……なにせ我々も今ここに来たばかりで、他の警官もそろっていないくらいなのですから」
そう言いながら、グリーンスレード警部は目のすみでジェームズを見る。すると、そのジェームズがスッと動いた。
「あなたがこの方のご友人で? 初めまして、私はジェームズです。私は彼から“誰かに狙われているようだ”と依頼を請けた探偵でして。話をするために訪れて、この惨状を発見したというわけです」
「そんな……」
「そろそろ“そろそろ私の助手がくるはず”ですが、助手は女性なのでこの部屋には入れない方がいいかもしれませんな。どれ、ちょっと失礼。彼女がここへ来る前に声をかけないと」
扉の外で声を聞いていたアイリは、その言葉を聞いてすぐに扉を開けた。
そして若い男に挨拶のための笑顔を向け、ジェームズに向かっていかにも助手らしく用件を言うため、口を開こうとする。そして極自然な流れで部屋の奥に目線をやってから悲鳴を上げた。
「ジェ――きゃぁああぁぁあああ!?」
指示通り、後ずさり、花瓶を倒しながら。
狙いは見事に当たり、花瓶は水をぶちまけながらハリーの左足に当たった。
「わ!?」
ハリーはたたらを踏みながら水溜りを避け、床にその足跡を残した。特徴的な欠け方をした足跡を。
「アイリーン、外へ」
ジェームズは震えるアイリーンを外へ押しやり、鍵を閉める。そしてハリーへと向き直るとドアを塞ぐようにして立った。そして素早く手錠をかける。
「私の考えは当たっていたようだ。いや、疑う余地も無かったが。あなたがファーガスとレイナーの友であり、レイナーの願いを聞いて店員を買収し、そしてファーガスを殺した張本人ですな?」
男の顔が一瞬歪む。
それをジェームズは見逃さなかった。