二 異母姉の本性
神阿多都比売は、館に戻ると黙って姉・石長比売の手を取り、強引に父の宮へと連れて行った。
そこで二人に天孫からの婚姻の申し出について語ると、姉と父は驚きと喜びに狂喜乱舞した。
取り分け姉の喜びは予想以上に大きかったらしく、泪まで流して歓喜していた。
天つ神の血を引く貴い者の妻にと望まれたのだ。女に生まれた者として喜ばしくない訳がなかろうが――神阿多都比売を含む極少数の者を除いて――それにしても、異様なまでの喜びようである。
石長比売はうっとりと熱に浮かされたような眼で呟く。
「あの夢見を信じ、これまで待った甲斐がありましたわ、お父様」
「なに、夢見?」
「ええ。わたくしが成人を迎える少し前――高天原の貴い神がこの日向国に降臨なさり、薄紅の衣を纏った女性を傍らに迎えられるという夢を見たんですの。
わたくしは亡き母より、薄紅の衣を受け継いでおります。そこで、その女性はきっとわたくしであるに違いない…と、わたくしは只管そう信じ、今まで何処にも嫁がなかったのです」
神阿多都比売は一瞬我が耳を疑った。
これが、あの淑やかだった異母姉か?
この清らかで儚げな花貌の奥に、そのように畏れ多き欲を潜ませていたとは。
一方、父は一旦姉と共に喜んだ後、ふと考え込むように腕組みをしたまま動かなかった。
不審に思い、「父上?」と声を掛けようとした時、大山津見神は何事か閃いたのか突如思い切り手を打ち、勢い良く花 茣蓙から立ち上がった。
「ちっ、父上?」
「――うむ、吾ながら実に名案じゃ」
「何がですか」
父の両眼に見据えられた瞬間、急激に嫌な予感に襲われた。
「神阿多都比売、お前も石長比売と共に嫁ぎなさい」
「……はあッ!? な、何を莫迦なことを言い出すのですか、父上ッ!」
「何ですって!?」
初めて聞いた姉の鋭い悲鳴の如き叫び声に思わず振り返ると、華のように美しい姉がその美貌を激しい憤怒と憎悪とに染め、まるで黄泉国の邪鬼の如く醜く歪んだ顔で直立していた。
この時、神阿多都比売は初めて姉のことを美しくないと思った。
「選ばれたのはわたくしです! このような味噌っかすの異母妹ではありませんわ、お父様!
なのに、共に嫁げですって!? 嫌です、絶対に嫌です! 断じて認めませんわ!」
どこまでも憎々しげに吐き捨てると、石長比売はまるで仇でも見るかのように己が異母妹を睥睨し、足早に歩き去った。
「何と…」
思いも掛けぬ娘の豹変に、大山津見神は茫然と眼を見開く。
本意は他にもあったが、この世に二人きりの娘たちを思っての発言でもあった。
姉の石長比売には嫁いでも淋しくないように、妹の神阿多都比売は売れ残りの独り者と後ろ指を指されて罵られぬように――そんな、父親としての気遣いから勧めたのだが…。
よもや、上の娘の心にあのように醜き思いが巣食っていたとは。
傍らに坐する下の娘をそっと見遣ると、青褪めた顔を伏せ、堪えるように唇を噛み締め、小刻みに躰を震わせていた。
「比売…」
沈んだ肩がぴくりと大きく揺れる。
神阿多都比売はぎこちなく面を上げ、力なく首を振った。
「姉上があのように思っていたのだとしても、何ら不思議なことではありませんよ。
確かにわたしは器量も悪く、出来も悪い『味噌っかす』ですから」
「だが、あれとお前は、あれ程に仲が良かったではないか」
「……姉上は恐らく、今までずっと我慢してこられたのでしょう」
再び、遣る瀬なく俯く。
あの美しい姉の心が自分への侮蔑と憎悪とに染まり切っていたことが信じられない。
…だが、思い返してみれば、思い当たる節は今までに幾つか在った。
会話の節々に感じていた棘、あれもその一部だろう。
打ちのめされた娘にかける言葉が見つからず、大山津見神はただその場に立ち尽くした。
【補足】
大山津見神が、二人そろって娘を嫁入りさせようとしたことについて。
この時代、姉妹で同じ男に嫁ぐことは珍しくありませんでした。現代の感覚では到底ありえないことですが、この作品中ではごく普通の考え方だと思ってください。