ゆうなぎのまち
yamayuriさんに捧ぐ、というよりぶつける。
「……きなさい、起きなさいってば、ケースケ!」
軽くほっぺたを叩かれて、僕は重いまぶたをゆっくり開けた。マリーの碧い瞳に、とろんとした僕の目が映り込んでいる。
「よかった……ここで合ってたんだね」
寝ぼけまなこで笑いかけると、マリーは口をとがらせた。
「それはこっちの台詞よ! だいぶ探したんですからね。ケースケがここにいなかったら――」
途中まで話しかけてから、マリーは急に黙り込んだ。ぶすっとした顔で腕を組み、栗色のローファーでせわしなく石畳を叩いている。僕が軽く目をこすって、ゆっくりと辺りを見渡すと、鳥居の向こうに、静かな菫色の空が見えた。僕がうたた寝している間に、夕方になってしまったみたいだ。
「僕も頑張って探したんだよ……行き違いになっちゃったけどさ。どうしても、マリーに謝らなきゃいけないと思ったんだ」
僕のなまくらな返事に、マリーはそっぽを向いてしまった。マリーの頭が良すぎるせいで、僕はときどきついていけずに、マリーを怒らせてしまう。そしてそれと同じくらい、きっと僕はマリーを傷つけている。
「いいのよ、そんなの。あんたは何もしてないんだし……」
こぼれ落ちた言葉を追って鳥居の方へ歩き出し、2、3歩進んだところで、マリーはくるりと回ってみせた。ワンピースと長い髪が夕闇に広がるのを見て、僕はなんとなく映画館のポスターを思い浮かべた。
「そんなことより、ケースケ! 街が大変なことになってるのよ」
マリーの張りつめた声に、僕は青いベンチから立ち上がると、ふらふらと歩き、マリーの横に並んだ。賑やかな灯りをともして、街はいつもと同じ夕暮れどきを描いている。
「すごいって、なんにも変わらないよ」
あくびを噛み殺しながら、僕はもう一度街を眺めた。やけに静かな気もするけれど、マリーが言うようなすごい事件は見当たらない。
「そう見えるでしょ? でもこの空、夕日が沈んでからずっとこのままなの」
水平線にはうっすらと光が滲み、菫色の空には疎らに星が覗いている。僕たちのよく知っている、いつも通りの夏の夜空だ。
「ずっとって、今、何時なの?」
僕が尋ねると、マリーは軽く目配せした。売店の時計は、七時半を指している。別にマリーが言うほど、遅い時間とは思えない。
「七時半。ここに来るまで見た時計は、全部七時半で止まってた」
マリーの付け足した一言に、僕はぎこちなく振り向いた。時計が一遍に止まってしまうなんて、一体何があったんだろう。僕のまなざしを確かめてから、マリーはもう一度街を見下ろした。
「私たち以外に、何も動いてるものがないの。時計も、車も、それに人間まで、ずっと止まったまま」
僕のことをからかうのは珍しくもないことだけれど、笑うのを我慢するのは、マリーはあんまり得意じゃない。マリーの声は重たくて、それに少し凍えていたから、言われたままに聞き返すのが僕にとってはやっとだった。
「僕たち以外、何も?」
鳥居の傍に戻って確かめてみると、マリーの言うとおり、道路に並んだ車の灯りが動く気配は少しもない。家々の電気は点いているのに、車の走る音も、船の警笛も聞こえず、潮風さえ凍りついて、生暖かい夏の夕暮れに閉じ込められている。
「時間よ」
鳥居に手をついて、マリーは呟いた。
「時間そのものが、止まっちゃったみたい……本当だなんて、思ってもみなかったけど」
宇宙の時計だ! マリーが言おうとしてるのは。
「まさか! あんなの、お爺さんの作り話に決まってる!」
僕はかぶりを振ったけれども、心の奥では、あのお爺さんの言葉を思いだしていた。
『これは宇宙を動かす時計さ。ねじがきれると、この世の時間が止まってしまう』