③平和の象徴
こんばんは。
第3話もお楽しみください。
避難してきた人々で混乱している村の中を、風のように走り抜ける人たちがいた。ひとりは白髪を揺らし、輝くような金色の瞳をしている。もうひとりは黒髪を二つに束ね、神秘的な紫色の瞳をしている。
少女たちに気がついた村人が「道を開けろ!」と叫んだ。二人は足を緩めない。オルニスの村では、彼女たちを遮る者は誰もいないとわかっていた。
あっという間に到着した現場では、ペルグランデの荷馬車が立ち往生して動けずにいた。荷馬車の護衛をしていたペルグランデ衛兵にオルニスの護衛隊が助太刀しているようだが、戦況は思わしくない。地面についた赤いものの正体はわかっている。原因になったのは、二十ほどの荷馬車を襲った魔物の集団。ざっと見ても百はいるだろう。
「ユス」
「わかってるよ、フォル」
少女たちは、それ以上言葉を交わさなかった。目配せもなく、二人はそれぞれ魔物へと向かって行く。
ユスティは勇者の剣を振りかざす。フォルトゥナは銀食器を指に挟み、包丁を軽やかに躍らせた。
マントが翻ったと思えば、別の場所で可愛らしいレースのスカートが舞う。右で魔物が倒されると、左でも魔物が唸り声とともに地に落ちる。
勇者を殺すべく決死の突進をした魔物によって剣が吹き飛ばされたユスティ。武器のない少女は焦燥や不安を欠片も見せることはない。視界に魔物を捉えたまま距離を取り、ふいに真横に手を伸ばす。魔物が気を取られた瞬間、銀食器を手にしたユスティが一気に間合いを詰め、致命傷を獲得する。死にゆく魔物は、薄れる意識の中、銀製のナイフを持つ勇者を見た。
「ユス」
「ありがとう」
まるで、目の前で剣を渡しているかのような会話。しかし、実際は大いにことなった。次の魔物を倒すべく既に走り出していたユスティ。彼女の走る導線に沿うよう、フォルトゥナは剣を投げた。
彼女の手元に戻るまでの数秒、剣は無言で五体の魔物を切断した。あまりに見事な戦いぶりに、衛兵や護衛隊は思わず息を呑んで見入った。すぐに我に返り、魔物討伐に剣を取るが、
「あれ……?」
彼らは困惑するしかなかった。手を焼いた魔物がもう。
「あとどれくらい?」
「あれで最後」
フォルトゥナが指さした魔物は、からだを震わせながらユスティに向かって突進した。
「もう物語はめでたしを迎えたんだよ。だから……」
ユスティは剣を構える。ペルグランデの人々、オルニスの人々、そしてフォルトゥナ。誰もがユスティを見つめていた。
剣先が太陽を貫くように構え、少女は静かに立っている。風が止み、少女が息を吸う音が聞こえた。
「ハッピーエンドを邪魔するものは要らない」
一瞬の瞬き。どこかで星が光るようなわずかな時間の後、少女は剣を納めた。風が髪をさらう。マントが大きく揺れた時、どこかで歓声があがった。
呼応するように、人々は喜びの声をあげた。敬意と感謝を表し、人々は少女を『勇者』と呼んだ。
「お疲れ様、ユス」
「手伝ってくれてありがとう、フォル」
たくさんの人々に囲まれた少女たちは、手を振ったり笑顔を浮かべたりしながら小声で会話する。
「ひどいケガをしている人はいないみたい」
「勇者のいる村の近くで死者なんて困るよ」
「それ、フォルが言うの?」
「もちろん。『ワンス・アポン・ア・タイム』に閑古鳥が鳴いちゃうから」
「そっちの心配かい」
「どっかの誰かさんが、魔王討伐の報酬を家と店で全部使い切ったから、稼がないといけないんだよ」
「なんて悪いやつだ」
「謝れないなら、ご褒美のケーキはなし」
「ごめんなさい」
「いい子だね」
ユスティはペルグランデ衛兵とオルニス護衛隊に歓迎され、何度も感謝を述べられた。人々から向けられる感情を受け取り、勇者らしく微笑むことも平和に繋がる。剣を使うより、よっぽど穏やかな方法だとユスティは思う。
彼女が勇者の仕事をしている様子を、フォルトゥナは少し離れて窺っていた。この世界の魔物がすべていなくなるまで、もうしばらく時間はかかるだろう。しかし、『勇者』のいる世界には希望がある。絶望を抱えながら戦う必要はないのだから、行く先はもう光に照らされているといえるだろう。
それもこれも、嘘つきな少女が蒔いた種が芽吹いているおかげ。
……まあ、それとは別に、ユスがたくさんの人に認められるのはいい気分だね。ケガ人がいるから大きな声じゃ言えないけれど、魔物もいい仕事をしたんじゃないかな。
役目を終えた銀食器を仕舞っていると、ペルグランデの商人が数人、興奮冷めやらぬ表情で近づいてきた。
「あ、あの……」
「なにかな」
「あの少女は勇者なのですか?」
フォルトゥナは胸を張って答える。
「そうだよ」
「なんと……! もしや、彼女が魔王を倒した『正義の勇者』なのですか!」
「『正義の勇者』?」
初めて聞く異名だった。ユス、そんな名前で自分のことを表現したっけ?
「オルニスの村を通った商人から聞いたのです。ここには、正義の名を身に宿す勇者がいると」
「あぁ、なるほど」
どうやら、彼女はのんびり平和を愛しているけれど、意外と周到らしい。ユス、きみは自分の存在すらも平和の花を咲かせる餌にするつもりだね。
ユスティティア。正義を意味するきみの名前は、この先ずっと、平和をもたらした勇者として知られるだろう。
髪の色を知らずとも、瞳の色を知らずとも、彼女の声を知らずとも、かつて存在した勇者という記録だけが残り続け、平和の象徴となる。
誰も本当の彼女を知らないまま、薄れていく輪郭すらわからなくなっていく。でも、それを望んだのは『ユスティ』本人。かく言うわたしも、彼女の名前も知ることなく、蒔かれた種が芽吹くのを見ているしかない。そして、無理やり荒らされそうになったら、銀食器を持って応戦しにいくのだ。
……参ったね。だからきみはわたしを巻き込んだんだ。この、何年、何十年、何百年にもわたる計画の片棒を担がせるために。
どんなに時が経とうと、平和の為に魔王を使う勇者なんてきみだけだよ、ユスティ。
文句のひとつでも言ってみようと考えていると、金色の瞳がこちらを見た。ふと、彼女は笑う。いたずらを見つかったこどものように、秘密を隠す謎めいた女性のように、素敵な笑顔を浮かべていた。人々がごった返す喜びの最中、少女の微笑みを見たのはフォルトゥナだけだった。
〇
村に戻ってきた二人は、店で待っていた女性とパレンティアに事態を報告した。
「人々の様子で魔物が倒されたことはわかっていたけれど、無事でよかったわ」
「パレンティア、お父さんは無事だよ。会いに行ってあげて」
「うん! ありがとう、ユス姉。フォル姉も」
嬉しそうに手を振って去った少女を見送り、女性も席を立った。
「そろそろ行くわ」
「ばたばたしちゃってごめんなさい」
「いいのよ。とてもいいものを見たから」
そして、ユスティの耳元で「お勘定をお願いできるかしら?」と囁いた。
「もちろんです。任せてください」
楽しげなユスティに、「ユス、ほどほどに」と鋭い声が飛ぶ。
「わかってるって」
「どうだか」
ため息をつくフォルトゥナだが、それ以上は何も言わない。プレートを回収し、さっさと洗い出した。
「お会計は、銅貨二枚です」
「これでお願い。ごちそうさま」
「はーい。……って、あれ?」
受け取ったのは金貨一枚。お茶とケーキに出す金額ではない。
「お客さん、これ間違えて――」
顔を上げた時、すでに女性の姿はなかった。
「へっ?」
ぽかんと口を開け、その場に固まるユスティ。洗い物を終えたフォルトゥナが不審に思ってつついた。
「どうしたの?」
「狐につままれた気分……」
「どゆこと?」
おかしなことを言うユスティの頬を引っ張ってみる。
「いひゃいよう」
「夢じゃないか」
「見て、フォル。金貨だよ」
「やっぱり夢じゃん」
フォルトゥナは再び頬を引っ張った。
「いひゃいっへは」
「おかしいな。現実らしい」
お休み処の営業で金貨が発生したことなど、商人の集団を相手にした時くらいだ。もうどれくらい前になるだろう。確認してみても、どうやら本物のようだし、大人しくもらっておくのが吉だ。フォルトゥナはさっそく、脳内で経費の計算を始めた。
「フォル、目がこわい」
「必要経費分はもらうからね」
「自由に使えるお金、残るかなぁ……」
「欲しかったら自分で稼ぐ。ほら、営業に行っておいで」
「営業?」
フォルトゥナは店の外を指さした。ペルグランデの商人たちがぞろぞろと歩いている。
「金づるたちだよ」
「言い方」
「事実だからしょうがない。はい、頑張って」
背中を押され、休憩できると思っていたユスティはしぶしぶ歩き出した。
「おぉ! 勇者様!」
「先ほどはありがとうございました!」
「あー、えっと、おケガは大丈夫ですか?」
「心配ありません。大したケガではありませんから」
「しばし休憩を取り、荷馬車の補修をしようというところでして。……こんなことを勇者殿に訊くのはどうかと思うのですが、どこか良い店をご存知ではありませんか?」
聞き耳を立てていたフォルトゥナがぴくりと反応し、すぐさまキッチンへと入っていく。素早い動きに、ユスティは半笑いだった。さすが、うちのエース。仕事の気配がするとはやいね。
「そういうことなら、ぴったりの場所がありますよ」
「そうですか! して、それは?」
剣を持たず、マントを脱ぎ、レースのスカートを履く少女は可憐に微笑む。優美な動作で店を示し、店主の仕事をするべくこう言った。
「お休み処『ワンス・アポン・ア・タイム』にいらっしゃいませ」
お読みいただきありがとうございました。
次回、最終話でございます。