不思議な扉と趣味仲間
「さてと。」
ヴァレンティンは、ティカップをソーサーに置き、口火を切った。
「聖人について、レフェーブル君は何か知っているかな?」
「先生と違って興味が無かったので、授業で習う程度であれば。」
肩を竦めながらゾーイはそらんじた。
「最も古い聖人は、今から2000年前。現王国の前の、ルビン王国で確認されている。聖人は一度死んで蘇り、国の安寧に寄与する。100年から200年周期で前触れなく現れる、と。逆にこれ以上の情報があるんですか?」
「よく授業を聞いているねぇ。国史のダニエル先生も喜ぶだろう。」
ニヤッと笑うヴァレンティン。
「確かにそれ以上の情報は知られていない。だったら気にならないかい?具体的にどんな風に国の安寧に寄与したのか。どのような人物たちだったのか。」
「…特別気になりません。」
「そう?それならベラ・デュポン君については?彼女は、何か国に貢献できそうかい?」
眉を寄せ、しばらく考えるゾーイ。右手の指輪を無意識に撫でる。
「…分かりません。蘇ったら何か特別な力が発現するとか?」
「ふーん。つまり君は現状、彼女に特別な力があるかどうかは分からないんだね。」
「だから、知りません。彼女とはさっき生き返って初めて会いましたし、特別な力を発現しているかわかるほどの会話も出来ませんでした。」
「なるほど。デュポン君は、死ぬ前は国に貢献できるような特別な力は持っていなかったのだね。そして恐らく今もないだろう。」
ゾーイはヴァレンティンの言葉を反芻する。
「ロッシュ先生は、聖人は、蘇り後に特別な力を発現するわけではない、と考えているのですか。」
パチンッと指を鳴らすヴァレンティン。
「その通り。しかし予想よりほとんど確信に近いよ。」
おもむろに杖を取り出しふわりと振ると、書斎机の引き出しが開き、古い羊皮紙の束が浮き上がる。
それらは、ゾーイの前のテーブルにお行儀よく着地した。
「これは、僕が独自に聖人が蘇ったとされる場所に赴き、現地の人の記憶や記録を掘り返して集めた、蘇った人間の資料だ。」
「これを先生が一人で…?大変でしたね。まるで研究者だわ。」
「…。」
返事が無く不審に思ったゾーイは、羊皮紙から顔を上げた。
「…?先生?」
ゾーイを見て固まっていたヴァレンティンは、はっと我に返り羊皮紙を指さした。
「コホン。史実に残る聖人は14人。今回のデュポン君で15人目だね。さすがに王宮の蔵書は確認できていないけれど、国のどこにも聖人についての詳細を記録したものがなかった。」
ヴァレンティンは一呼吸を置く。
「だから自分で調べてみようと思ってね。今のところ、性別、年齢、死因に魔力量や残った寿命。これらに共通点はないようだった。他に共通点となるようなものはまだ見いだせていない。」
手に取りペラペラと羊皮紙を見てみるゾーイ。
一人につき2枚程度のボリュームで、総数にするとそれなりの厚みがある。
「一つはっきりしているのは、蘇り後、事実“国の安寧”に寄与した人物は数人であるという事。」
「どういうことですか。」
羊皮紙から顔を上げるゾーイ。
「言葉の通りだよ。国の平和を守ったり、天候を予想して凶作を防いだり。そういう貢献をした人はわずかだ。しかもそれらの人々は、死ぬ前からその能力を有していた。優秀な学者や騎士、魔術師だったから。」
「そうでない人たちが、国の安寧に寄与したと言われるのはなぜですか。」
「ふむ。これは想像だけれど、死んだ人間が蘇る、というだけで奇跡だ。奇跡の場に立ち会えた人々はそれだけで喜び、国もある程度その名声に乗っかれたんじゃないかな。今回のようにね。その証拠に、調べた限りの中で、彼らは平凡な人間で生まれ、蘇った後も特別素晴らしい事をした記録はない。」
再び羊皮紙に視線を戻すゾーイ。その際右手の指輪にもわずかに視線をやる。
この指輪は、これまでの聖人の蘇りにも関係しているのではないか。
「何かあるはずなんだよねぇ。今回の蘇りで、君の周辺で何か変わった事はあった?」
ドキッとするゾーイ。少し考え、はた、と思い出した。
「壊れた時計台が、動き出しました。」
「うん、それは確かに聞いている。アーサー氏からも調査の要請があったからね。」
ギョッと目を剥き、少しばかり大きな声でゾーイは聞いた。
「ア、アーサー氏?アーサー・レフェーブルですか?私の義父の?」
「おぉ、今日一番の反応だね。そうだよ。アーサー君とは旧知の仲だからね。それに言わずもがな、僕は魔道具の第一人者だからねぇ。」
胸を張るヴァレンティンをポカンと見つめる。
20近い年齢差のある御仁に、「君」付け…。
(いやそれよりも、義父と旧知の仲とは、どれくらい前から知り合いなのだろうか…。)
口を開きかけたゾーイ。
ドンドンドンドン!!!
突然、扉が壊れんばかりにノックされた。
「おや、邪魔が入りそうな予感。」
ヴァレンティンは立ち上がり、扉に近付いた。
その時、扉が内側に勢いよく開き、ヴァレンティンの顔面に直撃した。
開いた空間には壊れたドアノブを持つ男性の姿が。
がっしりとした逆三角形の体系に、茶色の短髪。きりっとした眉毛と切れ長い水色の目。
歳はヴァレンティンと同じくらいだろうか。ワイシャツにブラウンのスラックスという装いだ。
「いたた。ダニエル先生。扉が壊れましたよ。」
「ロッシュ教授!!やっと見つけました。この部屋を見つけるのにどれだけ苦労すると…。教授会があるのをお忘れですか?!」
ダニエルは、ゼエゼエと荒い呼吸をしながらヴァレンティンに言った。
「おや、そうだった。すみません。ありがとうございます。」
ヴァレンティンはそう言って、鼻をさすりながらダニエルからドアノブを受け取る。
ダニエルはふと、ゾーイに気が付いた。
「あ、来客中だったんですね。失礼しま…、君は、2年生のレフェーブル君?」
「は、はい。こんにちは、ダニエル先生。」
ゾーイは立ち上がり、カーテシーをした。
「彼女は僕が声をかけたんですよ。趣味仲間に入ってもらおうと思って。」
ゾーイはギョッとした。入会に関して有無を言わさぬ雰囲気だ。
「趣味って…、あの聖人についてですか?ああ、デュポン君の…。しかし、彼女は…。」
ダニエルは、言い淀んだ。
「残念だが、レフェーブル君。今日はもう時間がないようだ。また会おう。あ、休学するのか。まぁ、必要な時にこちらから声をかけるから、ぜひまた会ってくれ。アーサー君には、僕から話を通しておくから。」
ダニエルの言葉を華麗に無視したヴァレンティンは、杖先をドアノブに向け、修理しながら言った。
「は。いえ…。」
断ろうと口を開いたが、アーサーの許可が出るなら、自宅に籠る理由はない。
「分かりました。」
そう言うゾーイに、ニヤッと笑顔を向けたヴァレンティンは、一度扉を閉じ、開いた。
自分の体で扉を押さえながら、促すように手を外に向けるヴァレンティン。
「さあ、どうぞ。気分転換に、校門横の庭園でも散歩して帰りなさい。寒いから、しっかりコートを着てね。」
何を言うのか、とゾーイは訝しがりながら扉に向かった。
一歩出ると、そこは庭園だった。
驚いてふり返ると、にっこり笑って手を振るヴァレンティンがいた。
「あ!先生!時計台の調査に行くんですよね?私も同行してはいけませんか?」
ゾーイの質問に一瞬目を見開き、ニヤッと笑うヴァレンティン。
「構わないよ。君はもう趣味仲間だからね。それでは3日後の正午、時計台で。」
ビュッと風が吹き、目を閉じたゾーイ。再び目を開けると、そこに扉はもうなかった。