奇妙な鉢合わせとぬるいお茶
休学手続きの為、ゾーイは朝から学園に来ていた。
校舎前の庭園を歩いていると、周りからの視線が刺さる。
いたたまれない気持ちでエントランスに入ると、いつにも増して人でごった返していた。
(少し時間をずらせば良かったわ。)
ゾーイは人の間を縫って進んでいく。
「ゾーイ!!」
ようやく人混みを抜けようという時、聞き慣れた声に呼び止められた。
振り返ると、人が左右に分かれて道が出来、その先にはベラがいた。
パッと表情を明るくしたゾーイは、急いでベラの元に向かう。
しかし、あと少しの所で目の前を、見慣れぬ屈強そうな騎士が遮った。
アンナの言っていた王族付の護衛だろう。
彼の羽織るマントは、ルシニョール王国の紋章である、剣にオリーブの葉が巻き付いた図柄のボタンで留められている。
茶色の短髪に左頬に大きな傷があり、緑の鋭い目で見下ろしてきた。
その時騎士の後ろから声がした。
「また来たのか。ベラ、気をつけろ。あまり近寄るなよ。」
ベラの横にいたトーマスが無表情で言った。
トーマスの理不尽で無神経な物言いに、ゾーイの胸がグッと詰まった。
「ゾ、ゾーイ、ごめんね…。お休みしていたのに、お見舞いにも行けず…怒ってるよね?」
恐る恐る言ったベラは、不自然にオドオドしていた。どう見ても顔色が悪い。
「怒ってなんかいないわ。とっても心配していたのよ。一度に色んな情報が飛び交っていて、混乱はしたけれど。顔色が悪いみたい。本当に大丈夫なの?」
何故そんな態度なのだろうと、ゾーイは不思議に思いながら言った。
その時、周囲の学生がヒソヒソと話す声が耳に入った。
「やっぱり噂は本当だったのね。ベラさんに嫌がらせをしていたって。そうでなければ、あんな風に怖がるはずないもの。」
「でもベラさんが聖人になって、立場が逆転ね。今度は媚びるのかしら…。恥ずかしいわね。」
「ベラ嬢は明るくて学園内でも友人が多かったから、羨ましかったんだろう。彼女根暗だし。」
「授業だって、無駄にたくさん取っていたものね。嫁ぎ先がなくて、女のくせに魔術師として働こうとしているんじゃないか、なんて噂もあったわよ。」
クスクスと声を殺しながら笑う声が聞こえる。
「それにしても、マイヤー様はまるでベラさんの騎士ね。お似合いだわ。」
ゾーイの表情が次第に硬くなる。
「ベラ、行こう。こんな所にいたら体が冷えてしまう。」
「う、うん。私は大丈夫よ、ゾーイ、またね。」
そう言うと、ベラとトーマスは並んで行ってしまった。
二人が去ってしまうと、集まっていた野次馬たちは蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。
広いエントランスホールにポツンと立つゾーイ。
(こんなの平気。気にしない。さあ行かなきゃ。)
床に縫い付けられたように動かない足を何とか引きはがし歩き出す。
学園長室は建物の3階奥にあったため、ひたすら長い廊下を歩いた。
手続き自体は事務員に依頼するが、退学、休学については形式上学園長に挨拶すると決まっている。
ようやく到着した学園長室のドアをノックすると、入るよう声が聞こえる。
2日前に訪れた時と変わらないこざっぱりとした部屋だ。
学園長は、窓を背にして立派な書斎机に腰掛け、書類に目を通していた。
「おはよう。レフェーブル君。今日はどうした?」
「先生おはようございます。本日は休学のご挨拶に伺いました。」
「…何故休学を?」
「体調が思わしくなく、療養の為です。期間未定での休学となります。」
ジッとゾーイを見つめるエリック。ゾーイは落ち着かず、視線を落として返事を待った。
「君の魔力が消失しているのも、体調不良のせいなのか?」
ゾーイは驚きの余り言葉を失ってしまった。手が震える。
「な、何故魔力が無いと…、思われるのですか?」
しらばっくれているのか、認めているのか分からないような言葉が出てしまった。
「自分で言うのも何だが、私は現存する魔術師の中では最強と言われている。一昨日君の手に触れた時に、魔力を感じない事などすぐに気が付いたよ。」
「私にも…分からないのです。何故こうなったのか。誓って私は…。」
ベラの死に関与などしていない、と口にしようとして言い淀む。
話の流れに関係のない事を言うのは不自然というものだ。
「まぁ、その件に関して今は追及しないでおくよ。」
恐る恐る顔を上げる。
エリックはサラサラと書類にサインをし、ゾーイに手渡した。
「休学の申し出を受理する。手続きは事務員に依頼してくれ。」
「あ、ありがとう、ございます。」
震える体で何とかカーテシーをし、退出する。
(“今は”というのは…学園長は何を考えているのかしら。)
訪れた事務員室には、1人だけ職員がいた。
眼鏡をかけ、茶色いおさげ髪の少し幼い見た目だが、テキパキと事務をこなしてくれた。
ようやくやるべきことが終わった時には疲れ切っており、エントランスへ向かう足取りは重かった。
幸い授業中で、広い廊下は静まり返っていた。
所々に大きな窓が設けられていて日当たりが良い。
等間隔に、偉大な魔術師の胸上のブロンズ像が並んでいる。
もう少しでエントランスというところで、扉から出てきた男性と鉢合わせてしまった。
「あれ、君は2年生のレフェーブル君。どうした?今は授業中では?」
その男性は、ヴァレンティン・ロッシュ教授だった。
ロッシュ公爵家の次男で、癖っ毛の金髪を片方耳にかけ、新緑を思わせる緑の瞳を持つ美しい顔立ちの男だ。
ゾーイよりも頭一つ分背が高く、いつも黒のくたびれたローブを羽織っている。
20歳で学園の教授となり、魔道具に関する科目を1,2年生に教えている。
今は25歳くらいだったはずだ。
かなりの秀才だが、少し変わり者らしい。
ベラがケガを負った授業を引率していた人であり、ゾーイを助けてくれた教授だ。
「ロッシュ先生、おはようございます。その節は、どうもありがとうございました。間もなくお耳に入ると思いますが、私はしばらく休学するんです。」
ゾーイは努めて冷静にそう言った。
「ふうん。留学でもするのかい?」
「いいえ、体調が芳しくないので療養のために。期間は未定なのですが。」
「割に元気そうに見えるけどね。そうか。お大事に。」
ヴァレンティンはニヤッと笑った。
ゾーイの学園での状況を知った上で言っているのだろう。
無神経な物言いに、ゾーイは片方の頬をヒクッとさせ、お辞儀をして通り過ぎようとした。
「待って待って。少し時間はある?聞きたい事があってさ。ほら、丁度ここに、僕の研究室が。」
そう言って指をさしたのは、今彼が出てきた扉だ。
「先ほど申し上げた通り、体調が芳しくないんです。申し訳ありませんが、失礼しま…」
「僕、趣味で聖人について調べていてさ。君の友人だろう?ベラ・デュポン君。今国中が注目する話題の人物ね。」
ゾーイの言葉に被せるように話を続けるヴァレンティン。
(もしや、それを聞きたくて待ち伏せしていたの…。)
「せっかく自分の生きている時に立ち会えたんだよ。気にならない?」
そう言うヴァレンティンは、ズイッとゾーイに近付いた。
「は。そ、そうです…か?いえ、気になるって何が?それに趣味って。」
体を後ろに引きながら、距離を取るゾーイ。
間延びした不真面目な雰囲気から一変、声量とトーンを下げ、ヴァレンティンは怪しげにほほ笑んだ。
「…聖人ってさ、僕、何か変だと思うんだよね。」
「せ、聖人が、変…?」
ゴクリとのどを鳴らすゾーイ。何かとても危険なことを言っている気がする。
「気になるでしょう。さぁさぁいらっしゃい、美味しいお茶を出してあげるよ!」
強制的に、入室を余儀なくされた。
中に入ると、思ったより整頓された部屋があった。
正面には簡素な書斎机があり、左右には、ぎっしりと本で埋め尽くされた天井まである本棚。
書斎机の前には、応接スペースとして二組のソファとローテーブルがある。
「失礼します。」
不服気味に呟き、ソファに腰を下ろす。
本棚に目をやると、読めない字もいくつかあるが魔道具に関する書籍が並んでいる。
ヴァレンティンは、ローブから30㎝くらいの木の杖を取り出し、ふわりと振った。
すると書斎机の横にあった腰の高さほどの食器棚が開き、2組のティカップが静かに長テーブルに着地した。
「先生の魔道具は、杖でしたね。以前一度だけ授業で拝見したことがあります。」
「そうだよ。古典的で良いでしょう。骨董市で出会ったんだぁ。いい買い物したよ。」
ナデナデと杖をさすりながら、うっとりと見つめている。
まさかの骨董市。
極端な話、自分の手に馴染めば実はどんな魔道具でも良いのだが、公爵家ともなれば、それは高価な魔道具かと思っていた。
おもむろにティポットを手に取り、2組のティカップに紅茶を注ぐヴァレンティン。
「紅茶を注ぐ時には、魔術を使わないのですね。」
「猫舌でさ。でも冷めきったお茶を飲むのも嫌でしょ?程よい温度にするのが未だに難しいんだよね。だから早めにティポットに入れて、冷ましておいてるの。触ったら加減が分かるからね。さあどうぞ。少しぬるいかもしれないけど。」
注がれた紅茶からは全く湯気が上がっていない。言葉通りぬるそうなお茶だ。
この数分で、慣れない人とのやり取りに疲れ、既に帰りたかった。
「あまり時間は取れません。帰って侍医の診察がありますので。」
別にそんな予定は無かったが、早く終わらせたかった。
「はいはい。今日はそれほど時間をかけないようにするね。」
(今日は…?)
次回もあるような言い方が引っかかる。
「それにがっかりされるでしょうが、私はベラの蘇りについてほとんど知りません。そもそも死因すら知らないんですよ。友人なのに。」
後半は自虐的な物言いになった。
「そうなんだね。ベラ・デュポンを虐げ、愛する者同士の仲を引き裂く魔女、だっけ?」
その言葉を聞いた瞬間、カッと頭が熱くなったゾーイは弾けるように立ち上がった。
「根拠のない噂で侮辱する為に呼んだのなら、これで失礼します。」
「あぁ、ごめんごめん。そういう噂があるねって事。僕は信じてないよ。」
立ったまま、向かい側に座って紅茶をすするヴァレンティンを凝視した。
ストンとソファに腰を下ろす。そっとティカップを取り、お茶を一口飲んだ。
「ぬるいですね。」「うん、丁度いいね。」
二人の言葉が重なった。