イザークの憤りとゾーイのあがき
西の塔は、極刑を言い渡された罪人が幽閉される場所として、あまりにも有名だ。
舞踏会の煌びやかな会場から一転、ゾーイは寒々しくジメッとした円形の狭い部屋にいた。
煉瓦敷きの部屋にはベッドが一つ置かれ、円柱状の壁の上の方に窓があるが、鉄格子がかけられていて、その隙間から月明かりが見え始めていた。
ゾーイを連行するその手際は異常な程早く、誰も声を上げることが出来なかった。
ベルナールすら駆け付けることが叶わなかった。
(あまりにも唐突な…)
固く湿った煉瓦の床に、ゾーイはヘタリと座り込んだ。
握りしめる右手に、銀の指輪が光る。
(やっぱりベラが持っていた…“そこにあると思って見なければ見えない魔道具”)
いつから、どんな経緯で。
(ベラ…あなたは私をずっと殺そうとしていたのね。一体いつから…)
昼間から始まった舞踏会は、そろそろ終わる頃だろうか。
あんな事件が起きたのだから、中止になっていてもおかしくはない。
考えがまとまらないゾーイの頭の中を、様々な思いが渦巻いていた。
その場に座り込み膝の上に置いた手を握りこむ。
突然ガチャンと音が鳴り、驚いたゾーイはそちらに視線を向けた。
頑丈な鉄製の扉の下の小窓が開き、銀のトレーに乗ったパンとスープが差し入れられた。
トレーに添えられた手は、差し入れた後も一向に動かない。
「伯爵令嬢、最後の…晩餐だと…。国王陛下が…。」
その硬い声に聞き覚えがあった。
「コルベール卿ですか?」
サッと引っ込んだ手の主は黙っている。
「私の家族…レフェーブル伯爵とソレイユは…どうなったのでしょうか?」
「あなたはっ!」
扉が強く殴られたようで、ワンと室内に音が響いた。
「あなたは明日極刑に処されるんですよ…。こんな訳の分からない…!何故家族の心配など…。」
取り留めなく、イザークは零した。
「伯爵方は王宮の一室に監視付きで幽閉されていますが、あなたほど不自由な状況にはありません。」
ゾーイはホッと胸を撫でおろした。
「そうですか。ありがとう。」
「こんな時に…!あなたはやっていないのでしょう?おかしいことだらけで頭がどうにかなりそうです。あの駆け付けてきた騎士は聖人様の専属騎士だったし、捕らえられてすぐに処刑されました。死んだ騎士はあなたから受け取った宝石を持っていたそうです。死人に口なしではないですか。あなたまで処刑されたら、もう…」
ゾーイは意外だった。
イザークがこれほど切実に何かを訴えるなど、想像できなかったから。
そして必死な彼の声が、ゾーイを奮い立たせた。
「コルベール卿。ありがとうございます。愚かな私はまた、折れそうになっていました。私は最後まで考えます。黙って死ぬつもりはありません。こんなふうに無様に捕まっている私が言っても、説得力が無いかもしれませんが…。心配してくれて、ありがとうございます。」
「馬鹿な…。あなたは明朝処されるんです。時間が無さすぎる…。」
「今、外にあなた以外誰かいますか?」
「いません。あなたに関わりたくないと誰もが言うので、私が引き受けました。」
フフフッと笑うゾーイ。
「笑っている場合ですか!」
「ごめんなさい。あまりにもだから…。それなら、どうか伝言をお願いできますか?“ベラが持っていた。私は諦めません”と。ヴァレンティン・ロッシュ公爵令息、或いはエリック・ルー侯爵閣下、或いは…皇太子殿下。いずれか最初に会った人に。」
「分かりました。」
そう言うと、イザークはすぐさま立ち去ったようだ。
ゾーイは備え付けられた埃っぽいベッドに身を横たえ、狭く高い天井を見つめた。
(大主教が亡くなったのは4年前。指輪が奪われたのは、5年間前…。つまりベラは4、5年前に金の指輪を手に入れた事になる。)
大主教から奪ったのか、或いは託されたのか。
右手の甲を瞼に当て、目を瞑ったゾーイ。
カチャン
「レフェーブル伯爵令嬢。」
ガバッと体を起こすゾーイ。
「コルベール卿?随分と早かったのですね。」
「階下まで来ていた皇太子殿下にお伝えしました。そして伝言を預かっています。“当日花火を上げる。合図を待つように”と。」
ゾーイは胸が高鳴るのを感じた。
こんな状況にあっても、“今は一人ではない。”
「ありがとう、コルベール卿。」
扉の向こうで黙り込むイザーク。
「それでは明日、私が迎えに参ります。朝食は…処刑の…法に従い…与えられない事になっています…。」
「あなたのせいではありません。どうか気に病まないで。」
ゾーイの言葉にハッと息を吸う声が聞こえ、そのまま何も言葉を残さずに、イザークは立ち去った。
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ゾーイの夜が更ける数時間前。
「陛下!これはあまりにも突然すぎます。処刑を取り消してください。事実確認もせず事を起こせば、多くの貴族から反感を買う事は間違いないでしょう。」
ゾーイが連行され、騒めく会場でベルナールは国王に詰め寄った。
「黙りなさい。ベルナール。皇太子ともあろうものが、異端に魂を奪われたか?」
「異端…?」
「聖人を害するなど、異端以外の何物でもなかろう。」
ゾッとするような笑みを浮かべる国王を見て、ベルナールは言葉を失った。
ベルナールは父親のことを、昔から短絡的な人間だと思っていた。
しかし統率者として必要な威厳は持ち合わせていたし、尊敬は出来ないまでも、ここまで愚かではなかったはずだ。
「立場を失いたくなければ、慎重に言葉を選びなさい。そうすべき人間が、他にもいるようだが。」
国王の視線の先に目をやると、ロッシュ小公爵に捕まえられ、それでもこちらを睨みつけるヴァレンティンの姿があった。
ベルナールはヴァレンティンと目が合うと、ほんの僅かに首を振る。
(今はお前の出る幕ではない。)
ベルナールは視線を国王に向けた。
「みな、何をしているのだ。今日は聖人が参加しているのだぞ。さぁ舞踏会を再開しなさい。」
国王の声に、一瞬静まり返った会場に再び音楽が流れ始めた。
「何をしているベルナール。お前のすべきことをしろ。」
威圧的な国王の言葉に、グッと表情を引き締める。
ベルナールはベラの元へ向かった。
「皇太子殿下。私怖くて…。殿下は私を信じて下さらないのですか…?」
ベルナールはベラに視線を落とした。
涙を浮かべ、肩を小さく震わせるベラ。
「何か飲み物を持ってこさせよう。」
近くにいた給仕に指示しながら、ベルナールは会場に視線を巡らせる。
ヴァレンティンは連れて帰られたようだった。
エリックとジョゼットは、既に何かしらの行動を起こしているのだろう、会場には見当たらない。
カーラはすぐにこのことを知るだろう。
ベルナールは日が沈んだ頃、会場を出た。
ベラは多くの人間に囲まれていたし、国王も随分前に会場を後にしている。
(入れるとは思わないが…)
足早に西の塔へ向かう。
西の塔は、極刑に処された人間を幽閉する為、厳重に管理されている。
罪人を担当する特定の人間以外の立ち入りが出来ないよう、魔術が施されているはずだ。
そう思いながらも、足を向けないわけにはいかなかった。
華やかな王宮の片隅、夜の闇にひっそりと建つ塔を見上げた。
「こ、皇太子殿下!」
突然声を掛けてきたのは、ゾーイの護衛騎士という名の監視をしていた男だ。
ベルナールは、イザークを無表情に見つめた。
本来であれば、格下の者から話しかけるのはご法度である。
「ご無礼をお許しください。レフェーブル伯爵令嬢より言伝を預かっております。」
片膝をつき頭を下げたイザークは言った。
「聞こう。」
「“ベラが持っていた。私は諦めません”と。」
イザークはそこで初めて呼吸を出来た気がした。
最悪な状況にありながら、彼女はまだ頭を働かせようとしているのだ。
ベルナールは今しかないと、決断をする。
「私からも言伝を。“当日花火を打ち上げる。合図を待つように。”」
イザークはそう言うと、さっと踵を返し自分の部屋へ向かう。
豪華な部屋に不釣り合いな、簡素な鏡の前に立つ。
「エリックのところへ。」
そう言って手を付くと、水に沈み込むように手が吸い込まれた。
「さぁ、もう後戻りはできないぞ。」
ベルナールは不敵に笑うと、鏡の中へ消えた。




