金の指輪と終焉のはじまり
「…爵令嬢。レフェーブル伯爵令嬢。」
イザークの声にハッとするゾーイ。
2日前からゾーイは心ここにあらずといった状態だ。
ここ数日舞踏会の準備でベラの皇妃教育も無く、人と顔を合わせる事自体が少なかったのは幸いだった。
2日前の夜、皆で共有した情報はゾーイにとって衝撃的なものばかりだったし、消え入るようにゾーイを呼んだ声が頭から離れなかった。
(まさか、あの場に伯爵がいるとは思わなかった…。)
ゆっくりとベラの居室へ向かいながら、ふう、とため息を吐く。
「体調が優れませんか。」
「いえ…、大丈夫です。」
気を取り直したゾーイは前方に視線を向けるが、再び気持ちが沈み込みそうになる。
* * * *
2日前、各自の共有すべき情報が殆ど出た頃、突然ソレイユが声を出した。
『父上。』
『っ…。あ、あぁ。ゾーイ…、無事でよかった。何もしてやれなくてすまない…。いや…、何か言う資格など無いと分かっているが、どうか…ケガだけはしないでくれ…。アンナも心配している。』
ゾーイは首元を締め付けられるような感覚を覚えた。
「何故…」
何故そこにいるのか、何故今更そんなことを言うのか、何故懇願するような声を出すのか、何故ナゼなぜ…
「誰か部屋に来たようです。私はこれで失礼します。」
ゾーイは思わずブローチの魔道具を握りしめ、通信を切ろうとした。
『すまない!ゾーイ、帰ってきたら、遅すぎたが話をする時間をくれ!私は…』
プツリ
切ってしまってから、ゾーイは大人げなかったと思った。
しかし到底受け取れない言葉だったのだ。
* * * *
(さすがにすぐに切ってしまったのはマズかったわよね…。でも手が震えてしまって勝手に切ってしまったのもあったし…。いえ、今はそれどころではないでしょう、ゾーイ。)
耳に張り付いた声を振り払うように、強く頭を振る。
今日は王宮主催の大規模な舞踏会だ。
立場上参加は見送られると思っていたのに、“私のそばにいてくれるだけで良いから”というベラの言葉で、急きょ参加が決まったのだ。
ベラは朝から、何人もの侍女によって身支度を行っているはずだ。
ゾーイは開始前に部屋に来るようにとだけ指示されていた。
コンコン
イザークがベラの居室をノックする。
入室すると、まだ完全に終わっていないのか、侍女が右往左往していた。
「ゾーイ!来てくれたのね。私が選んだドレスも似合っているわ。ごめんね、私どうしても不安で…。」
ベラは、大ぶりなピンクのバレッタで、パーマの掛った髪をハーフアップに纏めていて、フワリと髪をなびかせながら振り向いた。
ドレスのスカートは幾重にも重なり、大胆に開いた首元には大きなピンクダイヤのネックレスを付けている。
ベラが動くたびに不思議な輝きを放っているようだ。
両肘までを覆うシンプルな白の手袋を、ゾーイはジッと見つめた。
一方のゾーイは、赤い髪をキレイに一本に編み込み片方から前に流し、濃紺のドレスはすとんと落ちるAラインで、首元はキチっと閉じる仕様だ。
少し華やかに着飾ったガヴァネスといっても差し支えない。
「とても素敵なドレスをありがとうございます。本日は大きな舞踏会ですもの。緊張してしまって当然です。」
コンコン
二人が言葉を交わしていると、扉がノックされる。
「ロッシュ公爵令嬢。皇太子殿下がエスコートの為来られています。」
ゾーイは耳を疑った。
(ベルナール皇太子殿下は…既婚者だったはずでは…?)
混乱するゾーイをよそに、扉が開かれベラが出て行こうとする。
慌てたゾーイはベラの後について外に出た。
部屋の前には複数人の護衛を連れたベルナールが立っていて、ベラとゾーイ、イザークは恭しく頭を下げた。
「面を上げてくれ。」
ゾーイはゆっくりと顔を上げ、盗み見るようにベルナールに視線を向けた。
ゾーイとベルナールの視線が一瞬バチリとかち合うが、すぐに逸らされる。
「今回は弟が帰国できず、私が代役を務めることになってしまい申し訳ない。」
「とんでもないことでございます。大きな舞台で皇太子殿下にエスコートして頂けること、恐悦至極に存じます。皇太子妃殿下には申し訳なくて…。」
「妻は理解してくれているし、私たちの仲はその程度で揺らぐものでは無いから心配しないでくれ。」
ベラの後ろに控えながら、ゾーイは状況が理解できたのだった。
開催の挨拶の為、王族専用の椅子が置かれた2階に国王が立つ。
ベルナールにエスコートされたベラは国王の後ろに控え、まるで既に王族だ。
ベラの希望によりゾーイはベラの後ろに控えていたが、居たたまれなさで消えてしまいそうだった。
監視とはいえ、しばらく時間を共にしていたイザークがいないのも不安を煽る。
「既に知っている者は多いが、改めて紹介しようと思う。奇跡の聖人である、ベラ・ロッシュ公爵令嬢だ。第2皇子の婚約者という立場でもある。皆無礼の無いように。」
国王の紹介にあずかり、ベラは美しいカーテシーをした。
挨拶が済むとファーストダンスはベラとベルナールだ。
二人が階下に降りるのを見送り、ゾーイも裏側から降りようと動き出した直後、突然国王が声をかけてきた。
「待ちなさい。ベラ嬢が許可しているからといって、つけあがらないことだ。お前が咎人である可能性はゼロではないのだからな。くれぐれも行動には気を付けなさい。次は無いのだから。」
言いたいことだけ言うと、国王はそっぽを向いてしまう。
あまりの一方的な物言いにゾーイは言葉を失ったが、カーテシーをしてその場を後にした。
階下に降りるとダンスは既に始まっている。
皆が二人のダンスを見守る中、ゾーイは周囲に視線を走らせていた。
アーサーとソレイユが目に入り、ゾーイは慌てて陰に隠れる。
隠れた位置からロッシュ公爵一家や、エリックと彼がエスコートする小柄な女性が見えた。
辺境伯は舞踏会に参加しないので、カーラを含めドニエの面々は見当たらなかった。
ベラはファーストダンスの後も、次から次へとダンスに誘われている。
壁と一体化してしまいそうなほど微動だにしないゾーイは、そんなベラを見るともなしに見つめていた。
「次のダンスにお誘いしても?」
突然聞こえた声が、自分に向けられたものだとは一瞬気が付かず、反応がワンテンポ遅れた。
「ロ、ロッシュ先生…?」
「そうだよ。とてもきれいなドレスだね。まるで夜空に浮かぶ女神のようだ。」
彼の口から出たとは思えない言葉に、ゾーイは開いた口が塞がらなかった。
「あれ?おかしい事を言ってしまったかな?」
ワタワタとしだすヴァレンティンを見て、ゾーイは思わず声を出して笑った。
「私は今日は踊らないのです。ベラ様の付き人ですから。」
「…そうか。残念。それでは…」
「ゾーイ!ごめんね、ずっとダンスが続いたものだから。あら、ヴァル様。ご無沙汰していました。」
駈け寄ってきたベラを見て、ヴァレンティンはグッと表情を引き締めた。
「久しぶりだね。」
「ゾーイをお借りしても良いですか?ねぇ、少しのどが渇いたの。皇太子殿下はあちらでお話しをしているみたいだし、飲みものを取ってきてくれない?」
「承知しました。」
ゾーイはぶどうジュースを持ってベラの元へ戻った。
ヴァレンティンはどこかへ行ってしまったようだ。
「ありがとう。あら、ぶどうジュース。私が好きなの覚えてくれていたの?」
ベラはニコリと笑ってゾーイからグラスを受け取ろうとした。
その時ベラの手が勢いよく触れてしまい、チャポンとはねた紫の水滴がベラの白い手袋を汚した。
「申し訳ない事でございます。今新しいものを取ってまいります」
「良いのよ、大丈夫。手袋は取ってしまえばいいんだから。」
気分が良いのか、ベラは何事も無かったように汚れた左手の手袋を取った。
ゾーイはベラの一挙手一投足を食い入るように見つめる。
ベラはフッと遠くへ視線を向けた後、右手の手袋を取ってポトリと床に落とした。
驚いたゾーイが手袋の行方に視線を取られていると、周囲から小さな悲鳴が聞こえ慌てて顔を上げた。
どこからともなく現れた屈強な騎士が、剣を携えてこちらへ突進してくるのが目に入る。
その形相は凄まじく、どう考えても一振りでゾーイを殺そうとしているようだった。
「きゃあああああ!」
ベラのつんざくような悲鳴が会場中に響いた。
剣を持っていた騎士は、控えていた多くの近衛騎士によって床に抑えつけられた。
「私を殺そうとしたの!?やっぱり…!」
「え!?ベラ様…!」
床に押しつぶされた騎士は何かを言おうとしたが、取り押さえた騎士たちによって素早く連行されていく。
それはほんの一瞬の出来事だった。
水を打ったように静まり返る会場。
震える肩に触れようとゾーイが手を伸ばすと、ベラはビクッと飛びのいた。
「ゾーイ!どうして…?私があなたに何をしたというの!?」
「え?何を…」
不自然に大きな声は、静まり返った会場の端まで響き渡る。
「あの騎士は私の護衛騎士だったけれど、最近行動が変だったの…。ゾーイ、あなたがやったんでしょう…?私を殺せって、彼をそそのかしたんでしょう!」
ワッと泣き出したベラを見つめ、時間が止まったように身動きが出来なかった。
「その者を捕らえろ!!」
国王の怒号が響く。
息をする間もなく、ゾーイは騎士たちによって取り押さえられてしまった。
ツカツカと近付いて来た国王は、捕らえられたゾーイを鋭い目で見下げた。
「言っただろう、次はないと。西の塔に幽閉しておけ。誰とも会う事を禁ずる。処刑は、明朝執り行う事とする。レフェーブル伯爵一家も捕らえておけ。」
唐突に飛び出した“処刑”という言葉に、会場中が騒めいた。
ゾーイの時間はゆっくりと流れていた。
遠くでヴァレンティンが何か叫んでいるようだ。
ソレイユとアーサーが、抵抗も虚しく取り押さえられているのが見えた。
ベルナールがこちらへ駆け寄って来ようとしている。
(何故…)
自分の身に起きている出来事とは思えず、ゾーイは顔を顰めながらベラを見た。
両手で口元を覆ったベラは、ポロポロ涙を流している。
ゾーイの目は、ベラの右手を捉えた。
その右手の中指には、金の指輪が光っていた。




