出会いと嫌な過去
ゾーイとベラが出会ったのは、二人が12歳の冬だった。
その日、トーマスと初めて口論になり、恐ろしさのあまり、雪の降る中聖ロムール教会に駆け込んだのだ。
教会に入ると、たった一人ベンチに座って牧師の説教を聞く女の子に気がいた。
彼女のサラサラとした肩甲骨まであるミルキーブロンドの髪は、とても温かみのある色をしていた。
ゾーイは、何となく彼女の後ろのベンチに、少し距離を置いて腰を下ろし静かに説教を聞いた。
「ねぇ、大丈夫?」
肩を叩かれたゾーイは、ハッと目を覚ました。
肩を叩いたのは、ミルキーブロンドの女の子。
薄紫の大きな瞳が、心配そうにゾーイを覗き込んでいる。
釣り目気味のゾーイとは違い、クリッとした目の美少女だ。
「だ、大丈夫よ。あれ、牧師様のお話は終わったのかしら。」
いつの間にか寝てしまっていたことに恥ずかしさを覚えたゾーイは、赤面しながら誤魔化すように聞いた。
「うん。さっき終わりましたよ。外は寒いのに、この中は暖かくって快適ね。」
ニコッと笑った彼女は、そう言ってゾーイの失態をなかったことにしてくれた。
(あぁ、笑顔がお日様みたいだな。まるでお母さまみたい…。)
ゾーイの母クロエは、オレンジ色の髪に薄いオレンジ色の瞳を持ち、屈託なく笑う人だった。
ゾーイはクロエに対し、深い愛情と、どうしようもない贖罪の気持ちを同時に抱いていた。
彼女に母を重ね、ゾーイの胸は締め付けられるように痛んだ。
「私はベラ・デュポンというの。あなたは?」
「私は、ゾーイ・レフェーブルというの。起こしてくれて、ありがとう。」
ベラは慌てた表情を浮かべた。
「レフェーブル伯爵令嬢でしたか。失礼しました。私はデュポン子爵家の長女です。」
デュポン子爵は、レフェーブル伯爵家が所有する領地の一部を任されている貴族だ。
「かしこまらないで。ベラと呼んでいいかしら。さっきみたいに、気さくに話してくれると嬉しいのだけれど。」
ゾーイには、同性の友達と言える人がいなかった。
唯一仲の良いトーマスも男の子だったし、ソレイユは義弟だ。そのためゾーイは、ベラと話すことが出来てうれしかったのだ。
「そう…ですか?それなら、ゾーイと呼んで良い?」
そう言ってベラは笑顔を浮かべた。
それ以来、二人はまるで姉妹のように仲良くなった。
クロエが死んで以来引きこもりがちだったゾーイを、ベラは度々外へ連れ出した。
彼女との出会いは、ゾーイの深く沈んだ心をほんの少し持ち上げてくれたのだった。
デュポン子爵夫妻は、始めは伯爵家長女への娘の態度に戦々恐々としていた。
しかし、時折訪れる物静かな少女を、まるで娘のように迎えてくれるようになっていた。
ベラの屈託なく笑う太陽のような笑顔や快活な性格は、ゾーイにとって羨ましいものだった。
ある時、ドレスを選んでいるベラに、侍女の仕事ではないのかと聞いた事があった。
「そうなのね?ふふ、私の家は子爵だけど、そんなにお金持ちではないからね。小さい頃からなんでも自分でするんだよ。侍女がやってくれるっていうのも、素敵だね!」
そう笑ったベラは、とても大人びて見えた。
15歳になったゾーイとベラは、ジルメーヌ魔術学園に入学した。
その日ゾーイの心は珍しく浮足立っていた。
何しろ、1年早く入学していたトーマスと同じ学園に通う事が出来るのだ。
(どこかで会えるかしら…?)
期待を胸に、ゾーイはベラと共に教室に向かう。
「ゾーイ?」
廊下で後ろからかけられた声に、ゾーイの心臓は高鳴った。
ふり返ったゾーイは、令嬢教育で身に付けた澄ました笑顔を向けた。
「トーマス様。お久し振りです。1年ぶりでしょうか。」
「おや、1年会わない間に随分令嬢らしくなったみたいだな。」
「お褒めにあずかり光栄ですわ。トーマス様はお変わりないようですね。マイヤー伯爵と伯爵夫人もお変わりありませんか?」
「もちろん、とても元気だよ。ところで、そちらがゾーイを射止めたご令嬢か?」
トーマスはベラを見た。
「射止めただなんて。ベラは私の大切な友人なんです。」
ベラは慌ててカーテシーをした。
「ベラ・デュポンと申します。デュポン子爵家の長女です。ゾーイ様にはとても仲良くして頂いています。」
ベラが持ち前の太陽のような笑顔を向けた。
友人の言葉に気分を良くしたゾーイは、トーマスに目を向け、眉を顰めた。
トーマスの目が、ベラを見つめて動かないのだ。
「あのう?」
ベラがおずおずと言葉を発した。
「あ、あぁ、こんにちは、ベラ嬢。ゾーイと仲良くしてくれてありがとう。彼女は俺の妹のように大事な存在なんだ。最近は良い友人が出来て相手にしてもらえなかったが、こんな素敵なご令嬢では仕方ないな。」
(どうしてそんなに見つめているの?それに、私は妹なんて…。)
「よろしければ、ベラと呼んでください。」
ベラは人と距離を縮めるのがとても自然だとゾーイはいつも思っていた。その時予鈴が鳴った。
「それじゃあベラ、ゾーイ、また。」
ゾーイは、片手を上げて去っていくトーマスをしばらく見つめていた。
「ゾーイ、急がないと、同級生が見えなくなってしまうわ。教室が分からなくなっちゃう。」
この廊下が嘘みたいに真っすぐ長くて助かったわね、と笑うベラを見て、ゾーイはほっとした。ベラはいつものベラだと。
入学式の日以来二人でいると、度々トーマスと会うようになった。
その度に、トーマスとベラは仲良くなっていった。
学園に入学した生徒は、その冬社交デビューを兼ねて、学園の大きなダンスホールで行われる王家主催の舞踏会に参加する。
ゾーイは密かにトーマスからのエスコートの申し出を期待したが、その誘いは無かった。
仕方なくゾーイは、エスコートの申し出てきたクラスメイトとともに参加することになった。
そのクラスメイトとは殆ど初めて話したので、何ともぎこちない雰囲気が漂っていた。
ダンスを踊ろうとホールに出て来たゾーイは、一点を見つめて固まった。
トーマスが、ベラをエスコートしている。
音楽が流れ始め、楽しそうにお互いを見つめ合いながら踊る姿から、目が離せなかった。
ゾーイは眩暈を覚え、とてもダンスなど踊れそうになかった。
一向に動かないゾーイに痺れを切らしたクラスメイトは、飲みものを持ってくると言って立ち去ってしまった。
壁際に避け、しばらく待ったが戻ってくる気配が無い。
(もう帰ろう。ここにいてもみじめなだけね。彼に一言声を掛けて…。)
「ゾーイ!待って!」
出口に向かいながらクラスメイトを探すゾーイの元に、慌てて駆け寄ったのはベラだった。
「ゾーイ、エスコートは?一人か?ダンスもせずに何してるんだ?」
トーマスが不躾に聞いて来る。
「少し体調が悪くて、帰ろうかと思っているの。」
「大丈夫?何か出来る事はある?」
ベラが心配そうにゾーイの顔を覗き込んでくる。
「それなら、私のエスコートをしてくれたギルマン様に、伝言をお願いできる?体調を壊して先に帰ると。」
「もちろんよ。気にせず帰って。お大事にね。」
「ベラは優しいな。ゾーイ、早く帰った方が良い。送ってやれなくて悪いな。」
ドクンドクンと心臓が脈打っていた。左手を胸に当て、俯きながら会場を後にした。
愛らしくはにかむベラと、彼女を愛おしそうに見つめるトーマスが頭から離れなかった。
“あんなに優しくて可愛いベラを好きにならない人なんていないわ”
二人の距離は当然のように縮まって行った。
それを見ていられなかったゾーイは、無理をして授業を取り、二人から距離を取ったのだった。