ベラの表と裏
ベラは学園の授業を終え、その足で王宮へ向かい皇妃教育を受けた後、夜更けに公爵邸へ戻るという慌ただしい生活を続けていた。
疲れは全く取れなかったがそれでも、特別な人間のみに感じられる疲労感に酔いしれていた。
夜半に戻った公爵邸は既に静まり返っていて、迎えた侍女を連れて自室に戻る。
王宮で着替えたドレスを脱ぎ、湯あみを済ませるとようやく息を付けた気がした。
ベッドに横になると、今日の出来事が頭を掠め不愉快そうに顔を顰める。
王宮の一室で毎日行われる授業は、それほど詰め込まれているわけではないが、実際のところベラは苦戦していた。
「ベラ様は呑み込みが早くていらっしゃいますわ。」
ニコニコと笑うその教師は、そうやっていつもベラを褒めてくれた。
「ありがとうございます。ですが、まだまだ足りませんわ。寝る間も惜しんで勉強しなければ…」
「ご無理はいけません。皇妃教育は一朝一夕にはいきませんもの。体を大事になさってくださいね。」
今日も優しい言葉を受け取り帰路に付こうとした時、王妃様への挨拶をしていなかったと思い出して慌てて踵を返した。
「どうしましょう…。全く授業が進みませんわ。聖人様とは一体何に優れているのですか?今のところ、私にはそれが何なのか全く分かりません…。」
通りがかった部屋の、開きかけた扉の向こうから先ほどベラを褒めていた教師の愚痴が聞こえ立ち止まる。
「始めは聖人の蘇りに国中が湧いていましたが、これといって何か起きるわけでもありませんしね…。何か特別な能力が発現したという訳でもないのでしょう?」
何名かの人間がいる気配がする。
「こう言ってはなんですが、どこにでもいる平凡なご令嬢ですよ。」
はぁ、とため息が聞こえ、ベラは沸々と怒りが湧いてくるのが分かった。
(何なのよ…。やっぱり私をバカにしていたのね。)
扉を開けて怒鳴りつけたい衝動に駆られたが、それでは今まで築いてきたものが崩れてしまうと、必死で自制する。
(私が皇妃になった暁には、あの教師を真っ先に外国に追放してもらいましょう。)
怒りを何とか内に留め、王妃への挨拶へ向かったのだった。
公爵邸の自室のベッドで横になりながら、天蓋を見つめる。
(ゾーイったら、一体どこに隠れているの?あなたがいないせいで…。)
ベラはベッドのスプリングが音を立ててきしむほど、強くベッドを叩いた。
次の日は学園が休みで、朝から王宮へ行くことになっていた。
(昨日のことがあるから、あの教師の顔を見るのも嫌だわ。)
退屈な授業が行われる部屋へ向かう外廊下を歩いている時、何気なく視線を庭園に向けた。
雪景色の中に、ベラが待ち焦がれた人が歩いている。
庭園へ出たベラは、王宮専属侍女が止める間もなく足早にその人の元へ向かった。
「フィリベール殿下!」
長い足でスタスタと歩いていたフィリベールが立ち止まって振り返る。
舞踏会では煌びやかな正装に身を包んでいたが、今日は紺色の外套を羽織っていて季節の割に軽装だった。
サラサラとした美しい茶髪が揺れ、サファイヤのように透き通った青い目がベラを捉える。
「ベラ嬢。ご無沙汰しています。今日は皇妃教育の為にこちらに?」
背の高い彼は腰を折りながら、ベラの手をそっと取り、手の甲にキスをするふりをした。
「ご無沙汰しております。もう留学先から戻られたのですか?」
「急きょ戻る用事が出来たのですが、すぐに向こうに戻りますよ。」
頬を赤らめていたベラは、目に見えてシュンとする。
「そうでしたか…。」
「それでは、先を急ぎますので。」
そう言うと再び歩き始め、あっという間に見えなくなってしまった。
舞踏会の時も今日も、婚約者候補だというのに、甘い雰囲気など全くないことにベラは憤りを感じていた。
しばらくフィリベールが去った方を見ていたベラは、彼に取られた手を見つめ、諦めて授業へ向かったのだった。
王族の系譜について呪文のように唱え続ける教師を見つめる。
(この教師を見ているとゾーイを思い出すわ。いつも澄ました態度で…。でもあの時は…)
僅かに口元を緩める。
* * * *
ベラがゾーイの存在を知ったのは、とあるお茶会だった。
親に連れられ、デビュタントを終えていない貴族令息令嬢が交流する場。
ベラは子爵令嬢で、こちらから声をかけられるのは同等の貴族のみだったし、そもそも両親が恐縮しきっていて上手く立ち回る事も出来なかった。
「あちらにいらっしゃるのが、レフェーブル伯爵とご息女のゾーイ様よ。」
母がこっそりと耳打ちし、指し示した方を見ると、威厳のある男性と無表情だがとても奇麗な女の子が立っていた。
(ちっとも楽しくなさそうね。私もそうだけれど。)
何となく気になったベラは、挨拶をして回る二人を盗み見ていた。
伯爵が離れると、ゾーイはすかさず隅の席へ移動し、静かにお茶を飲みだしたことにベラは驚いた。
本来なら多くの人から声をかけられそうなものだが、まるで気配を消した彼女は、ただ時間が過ぎるのを忍耐強く待っているようだった。
静物画でも見ている気分になったベラは、視線を自分の座るテーブルに移し、お茶を口に含む。
カチャンッ
小さな音がした。
ゾーイがティカップを置いた音だったようで、背後に立つ男の子の方を振り返り、何事か話している。
男の子が立ち去ると、ゾーイはテーブルに置いた両手を強く組んで小刻みに震えながら俯いているように見えた。
(何か嫌なことでも言われたのかしら…。)
誰一人その様子を気にも留めない。
離れた席に座る少女が、たった一人世界に取り残されているようだった。
ゾーイは徐に立ち上がると、伯爵に何事か告げ、早々にお茶会を退席していった。
次に会ったのは、今にも空から雪が落ちてきそうな寒い日。
聖ロムール教会だった。
背後で寝入ってしまっているのがゾーイだという事にはすぐに気が付いた。
しかし知らないふりをして話しかけた。
何故なら下位貴族から高位貴族へ話しかけるのは、無礼だと教えられていたから。
ゾーイはあのお茶会で見た時よりも痩せていたし、影を落としているようだった。
ベラはこの瞬間から薄々感じていたのかもしれない。
“彼女の上に立てる”と。
それは共に過ごすうちに確信となってベラに優越感を与えた。
(ゾーイは私がいなきゃ駄目。爵位の優劣なんて関係なくね。)
しかしその優越感が揺らぐのは簡単だった。
「ドレスを自分で選ぶの?侍女がやるのではないのね。」
ただ疑問を投げかけただけのゾーイの言葉が、ベラに突き刺さった。
ベラは自分が名ばかりの子爵家に生まれたことも、侍女がいないことも、両親が上昇志向のない人間たちであることにも強い劣等感を抱いていた。
(ただ私より少し上の伯爵家に生まれただけなのに。家族から相手にされていないくせに…。)
彼女の上に立ったようなつもりでいて、決して変わる事のない立場。
全て奪ってやりたくなった。
(あんたは所詮、自分の不幸に酔っているんでしょう。そのまま一人ぼっちになってしまえばいいわ。それが望みみたいだし。私が協力してあげる。)
* * * *
最後に見たゾーイの表情は、最後の綱を切られて落ちていくような絶望的なものだった。
思わず笑みが深くなってしまう。
(ああ、ゾーイ。早く会いたいわ。あの顔が見たい…。)
話を聞いていないことに気が付いた教師が、訝しげな表情でベラを見ている事も知らず、不気味な笑みを浮かべ続けていた。




