二人の距離と急転直下
「さて、準備は良いかい?」
朝食を済ませたゾーイとヴァレンティンは、宿の外でアタッシュケースを扉に変えていた。
「はい、お願いします。」
「よし、それでは次の目的地エクセロンへ向かおう。」
ヴァレンティンは扉を開けながらゾーイに言った。
扉の先には、想像以上に大きな街が広がっていた。
南部は、ノーブルやドニエとは比較にならいほど温暖な土地だった。
着ていたローブを脱いだ二人は、久しぶりの軽装に軽い足取りだ。
「南部は初めて来ましたが、とっても温かいんですね?」
ゾーイの声は弾んでいた。
「そうだね。僕も実はこの時期に来るのは初めてだ。どうりで南部は冬の行楽地なわけだね。」
花壇に咲く大ぶりな花や、ちょろちょろと流れる道の脇の小川に視線をやるゾーイ。
「そう言えば、先生の金髪もきれいですが茶髪も似合いますね。」
不意に振り向いたゾーイは言った。
雰囲気にあてられたのか、ゾーイはいつもよりも気楽な気持ちだった。
「そう?ありがとう。」
ぎこちない不自然な動きで頭を触り笑うヴァレンティン。
「さて、魔術師が仕えていたという侯爵家へ向かうのが先決ですかね。」
ゾーイは観光気分に浸りそうになる自分に気づき、慌てて気持ちを切り替えた。
「そ、そうだね?しかし侯爵邸は6年前訪れていて、何の情報も無い事は分かっているんだ。」
かなり昔の話の上、国家変遷の混乱期に合併した街の情報は曖昧だったらしい。
「それでは、そもそも先生のこの聖人についての情報は一体どこから?」
ゾーイは至極もっともな疑問をぶつけた。
「あー、前にも少し話したことがあったと思うけど、僕より前に、聖人について調べていた人がいたんだよ。僕が最初に訪れたのはオーレリアンだった。最初の聖人が誕生した地ね。そこで高齢の牧師に古びた資料を渡されたんだ。最初は内容なんて信じられなかったけれど、僕も調べるうちに事実だと分かった。」
「その方は、何故先生に資料を渡したんでしょうか?」
「うん、彼は病気だった。自分は先が長くないと自覚していたんだ。聖人について調べる変わり者なんてそう出会えないから、僕に託したんだろうね。」
そういえば、と疑問を抱いたゾーイは首を捻る。
「聖人について調べる人は変わり者だなんて、どうしてそう思われているんでしょうね?」
「授業では触れなかったかな?かなり昔に出された政令のせいだよ。確か900年ほど前。聖人について公の場で研究発表は許されないと。神聖な存在を、そうやって人目に晒すことは許されざるべきことだそうだよ。」
肩を竦めるヴァレンティン。
「でも先生は発表する気が無いから調べていると?発表も出来ないのに研究することは無駄だから、変わり者だということですか?」
「その通り。言ったでしょう?ただの趣味だって。」
ニコリと笑うヴァレンティンが嘘を吐いているようには見えない。
(なるほど、聖人についてそこまで深い授業がないのもそのせいなのね。)
ヴァレンティンと聖人についてきちんと話を出来ていなかったため、ゾーイはようやく納得できたのだった。
「それでは私たちは…街の図書館に行ってみましょうか。」
ゾーイは顎に手を添え、少し考えてから言った。
「そうだね。あの資料があったから、侯爵邸に行く以外に街を回っていない。僕もまだ図書館を調べていないから、何か手がかりがあるかもしれないね。」
そうヴァレンティンが言った直後、突然背後で馬車の止まる音がした。
「あら、ロッシュ様では?」
下りて来たのは女性2人で、ヴァレンティンと同年代くらいの女性と、少し若い女性が日傘をさしながら近づいて来た。
「ええと…、失礼。どこかでお会いしましたか?」
「まあ、覚えていらっしゃいませんか?学園でのデビュタントでご挨拶致しましたのに…。パトリシア・ピレネーですわ。こちらは義妹のメラニー。エクセロンへはお忍びでご旅行?お供が侍女一人だなんて、ご不便がおありでは?我が侯爵邸にいらっしゃいませんか?私たちはこれからお茶会ですので、ぜひ晩餐を…」
頬を赤らめながらズケズケと言い募ってくるパトリシアに、ヴァレンティンはスッと表情を消した。
「申し訳ありません。見知らぬ方の邸宅にお世話になるのは。それにこちらは友人であって侍女でもありません。」
「あ、あらそうでしたの…。そのもしよろしければ…」
諦めの悪い彼女はそれでも引き下がろうとしない。
「それでは僕たちは先を急ぎますので。」
絶対零度の表情でパトリシアの言葉を遮ると、ヴァレンティンは徐にゾーイに手を差し出した。
「さあ、行こうか。時間が押してしまった。」
ゾーイに向けたヴァレンティンの笑みは今まで見た中で最も美しく、ゾーイだけでなくパトリシアとメラニーも頬を赤らめた。
「え、はい…。」
おずおずとヴァレンティンのエスコートを受け入れたゾーイの手が、ギュっと握られる。
歩き出したヴァレンティンの表情を伺うと、先ほどまでの冷たい物言いからは想像できないほど穏やかだ。
「あの二人は例の魔術師が仕えたピレネー侯爵家のご夫人と義理の妹だ。ご夫人と僕は同年代らしいね。」
他人事を決め込むヴァレンティンは、なかなか手を離さない。
「あの…、もうお二人も見えませんし、手を…」
ゾーイがゆっくりと手を離そうとすると、ヴァレンティンはグッと優しく握ってくる。
「せっかくだし、このまま君をエスコートする栄誉を僕にくれるかい?」
輝く笑顔を向けられたゾーイは直視できず、顔をそむけた。
「それは構いませんが…。」
(変な先生。私のエスコートが栄誉だなんて。)
二人はそのまま手を繋いだまま図書館へ向かった。
訪れた図書館は、貴族のみが利用できるという何とも敷居の高い場所だった。
「敷居が高いと言っても、そういうきまりにしている図書館は意外と多いよ。平民が本を持って行ってしまうこともあるし、確認作業なんかも大変だから。申し訳ないが、ここでは君は僕の侍女ってことにする。」
そう言ったヴァレンティンは、先に立って歩き始める。
入口で司書に名乗れば、ゾーイのことなど確認せずにすんなりと通された。
「案外簡単に通れるのですね。」
司書に、貴族の出生と死亡記録、住所録、聖人についての関連書物があれば持ってくるように指示を出し、ヴァレンティンとともに閲覧スペースに座ったゾーイはコソコソと耳打ちした。
「結局抑止力程度のものだからね。貴族でない者が、貴族だと名乗るのは犯罪だから。入口で名前を聞かれると分かっていながら挑んでくるのは、豪胆な者か浅慮な者のどちらかだろう。」
(なるほど。言われてみればそうだわ。)
運ばれてきた本の気になる箇所をメモするのに、ヴァレンティンはガラスでできた魔道具のペンに魔力を乗せて、クルクルと軽快に動かしていた。
そのペンを見つめていたゾーイは、徐に口を開いた。
「先生…、まだ完全ではありませんが、魔力が戻ってきているようなんです。」
パッと顔を上げるヴァレンティン。
「それは本当??どうやって…?」
「先日カーラさんが発見したことなのですが、その後ももう少し強くなっているようで。でも、元々の魔力と比較したら無いようなものですが…。」
「どういった原理なんだろうね…。聖人の地を巡っていることと関係が?そうだとしたら、全て回れば魔力が完全に戻るんだろうか。」
閲覧スペースで向かい合って座る二人は黙り込む。
「出来る限り回りたいと思います。でも私の魔力を取り戻すことが目的ではありませんから、聖人と指輪についての関連が分かれば戻る事になるかもしれませんが…。」
その後二人は日が暮れるまで図書館で資料を読みふけったが、めぼしい情報は得られなかった。
ゾーイは持っていた本をパタンと閉じる。
キュルルルルル
ハッとしたゾーイは、派手に鳴った自分のお腹を押さえ腹筋に力を入れた。
「ははっ。お腹空いたね?どこかで食事をしよう。すっかり日が暮れているじゃないか。」
真っ赤になった顔を伏せ、小さく頷くゾーイ。
その頭に、ヴァレンティンはそっと手を乗せた。
思わずヴァレンティンの方に目を上げると、優しい表情でゾーイに笑いかけていた。
「あ、暑いですね、南部は。」
居心地が悪いゾーイは、熱くなった顔をパタパタと手で扇ぎながら言った。
「熱い?ね、熱があるんじゃないよね?大丈夫?」
(何なのこの人?どういうつもりなの?ああ、訳が分からないわ。)
ゾーイはヴァレンティンの態度も自分の感情も、何一つ満足に分からない気分だった。
「早く行きましょう。」
「ま、待って!本当に大丈夫?あ、出た所で待っていてくれるかい?司書に本の片付けを頼んでくるから。」
「わかりました!」
ゾーイは居たたまれない気持ちをかかえ、速足で出口に向かう。
外に出ると、夕暮れの気持ちの良い風がゾーイの頬を撫でた。
(先生はどうしてあんなに優しくしてくれるのかしら?私も何か変だわ…。)
先ほどのヴァレンティンの表情を思い出し、ゾーイは慌てて首を振る。
気持ちを切り替えるべく、スーッと息を吸い込んだ直後、ゾーイの記憶は途切れた。




