ゾーイと例の事件
次の日ゾーイは、侍医の診察を受けた。
4日間気を失っていたことによる栄養不足以外は特に不調は見られないとの診断で、その旨はアーサーにも伝えられたようだった。
診察後ゾーイは、書庫にいた。
(昨日見つけられなかった情報があるかもしれない。)
ふと、ゾーイは持っていた書籍から視線を上げた。
「明日休学届を出したら、ベラと顔を合わす機会を失うわね…。」
仮に学園に通っていたとしても、今のような噂が付きまとうゾーイを、王宮の護衛騎士が近付けるとも思えないが。
そんな事をぼんやりと考えていたゾーイは、学園での出来事を無意識に思い出していた。
* * * *
12歳からの付き合いであるベラとは、入学してからもずっと仲が良かった。
ベラの周りには、不思議と爵位を越えて多くの友人が集まっているのをよく見かけた。
一方ゾーイは入学しても変わらず、一心不乱に勉強に打ち込んでいた為、“ベラ以外に親しい人間のいない鉄面皮”とか“陰気な女”、“血も涙も無い魔女”など陰口を言われていることも知っていた。
「ゾーイ、皆あなたの事を誤解しているだけだから、気にしないで。」
ベラはアタフタと噂を否定していた。
始めは多少傷ついたりもしたが、ゾーイは「すべきことをしているだけ」と毅然としていた。
2年生になり始まった実技の授業中、ゾーイは無詠唱で魔道具を操る事に成功した。
学園内でも出来る者は少なく先生は大絶賛したが、この日から同級生から向けられる目が変わった。
今までは、必要があれば話しかけてきていたクラスメイトも、言葉を交わすことがなくなった。
「何をあんなに必死に勉強することがあるのかしらね。」
「シッ!聞こえてしまうわ。魔術で呪い殺されてしまうわよ。」
クスクスと聞こえる陰口を無表情で聞き流せば、当人たちは不服そうな顔で立ち去った。
伯爵令嬢という立場にありながら、これほど軽んじられていたのは、伯爵の再婚相手の連れ子で、血の繋がりのない義父や義弟に冷遇されているという世間の認識があったからだった。
わざとぶつかられたり、ぶつかった拍子に落とした物を踏みつぶされるような行為も、一度や二度では無かった。
そんな中でもベラの態度は変わることなく、それはゾーイの心の支えだった。
しかしある時から、授業の最中にゾーイがベラをケガさせてしまうという出来事が度々起こるようになったのだ。
ある時は火を灯す課題でやけどをさせ、ある時は水を操る課題でベラを溺れかけさせた。
そんなことを繰り返すうち、ゾーイは唯一の友人のベラを羨んで嫌がらせをしている、魔力の強さを笠に着て、ベラを害そうとしているというような噂が広まるようになった。
噂は収束する事無く次第に過激に広まり、いつの間にかトーマスからも注意されるようになった。
「ゾーイ、ベラは親友だろう。何故傷つけるようなことをするんだ?」
「そんな…事を、するつもりはないの…。」
実際ゾーイは、ベラがケガを負う時はいつもそばにいたが、魔力を使っていなかった。
なぜこんなことになるのか、ゾーイが知りたいくらいだった。
そんなある時、“その事件”は起きた。
それは任意の課外演習での事。学園の近くにある森で、低級魔物を倒すという課題だった。
ゾーイは当然その授業にも参加した。
ベラはゾーイにくっついて参加していたし、そんなベラを心配してトーマスも参加していた。
あまり遠くへ行かないようにという教員の指示があったが、いつの間にか森の奥に入ってしまったゾーイとベラは、中級の魔物に遭遇してしまった。
ゾーイはベラを守ろうと前に出た。しかし、ふいに動いたベラに興奮した魔物は、ベラに襲い掛かった。
ゾーイの魔術で何とか倒すことに成功したが、ベラは怪我を負い気絶していた。
震える体を何とか動かそうとした時、大きな声が聞こえた。
「ベラ!」
トーマスが駆けつけてきた。ヘタリと座り込むゾーイの横を走り抜け、ベラに駆け寄る。
「ベラ!目を開けろ!ゾーイ!!お前…!!」
「こ、この魔物が襲ってきて…。」
「何をしていたんだ!お前が守るべきだったろう!」
鋭い視線を寄越してそう言い残すと、トーマスはベラを抱えて走り去ってしまった。
ゾーイはその背中を見ながら、うまく呼吸ができなくなった。
ヒューヒューという自分の呼吸音が聞こえ、目の前がぼやけてくる。
その時、また魔物の声がした。苦しくて俯いたまま顔を上げることができない。
(ああ、死ぬのかしら…。)
ゾーイは目を瞑った。その時、魔物の絶叫が聞こえた。
何とか視線を向けると、目の前に立つ人の後ろ姿がぼんやりと見えた。
その人の髪は金色に輝き、眩しいくらいだ。
あっという間に魔物を倒したその人は、ゾーイの前にしゃがみ込む。
「足をケガしたのかい。一人では立てそうもないな。」
その言葉を聞き、ゾーイの意識は遠のいたのだった。
ゾーイが目を覚ましたのは学園の医務室だった。
目を覚ました時には助けてくれた人はおらず、医務員が事務的に対応した。
ベラは意識不明のまま自宅へ搬送されたと聞き、不安を抱えたままゾーイも屋敷へ帰った。
その数日後、ベラが急死したという知らせが入ったのだった。
* * * *
“あの事件”がベラの死因だったと、皆が思っているのは明白だった。
しかしあの事故は偶然だったのだ。
ベラと話しながら分け入ってしまった茂みは深く、道に迷うのは当然だった。
ゾーイは持っていた本を閉じ、寝室に戻った。
自室に戻ると、ゾーイは窓際の一人がけソファに腰を下ろした。
ひじ掛けに頬杖をつく。分からないことが多すぎる。
「はあ、熱い紅茶が欲しいわ…。こういう時、魔力を使えないのは本当に不便ね。」
(今から呼びに行くのも…。)
そう考えていると、コンコンとドアがノックされた。
「お嬢様、アンナです。温かいカモミールティをお持ちしました。」
驚いたゾーイは、入室を許可した。
まさかこんなに丁度いいタイミングで欲しいものを持ってきてくれるなんて…。
彼女は人の心が読めるのかもしれない。しかも遠距離に対応しているようだ。
ソファの前の丸テーブルにカモミールティをセットするアンナを、食い入るように見つめた。
「お嬢様、私は人の心は読めませんよ。」
ゾーイの視線に耐え切れなくなったアンナは苦笑しながら、またも読心術を披露した。
「読めるじゃない。私は今、あなたが人の心を読めるのかもしれないって思っていたのよ。」
「お嬢様の顔に書いてあるからです。それに、私はお嬢様が5歳の頃からお仕えしているんですよ。舐めてもらっては困りますね。」
どうだ、と胸を張るアンナをポカンと見つめるゾーイ。
この初めて出会った頃から風貌の変わらない、年齢不詳な優秀侍女は、どうやらゾーイの事などお見通しのようだ。
「そう、なのね。…何だか、アンナと話すとホッとするわ。」
背もたれに寄りかかりながら、ゾーイはぽつりと言った。
「それは何よりでございます。」
「明日は、朝からいつも通り学園へ行くわ。休学の手続きをしに行かなければいけないの。」
「承知いたしました。それでは、いつも通りの時間にお部屋に伺います。」
アンナが一旦退出したのを見送ると、ゾーイは窓に目を向けた。
(ベラはどうしているかしら…。会いたいわね。彼女が会いたがっているか分からないけど。)