フィリップの焦りと離脱
フィリップは宿泊部屋に入ると、カチャリとカギをかけた。
音もなく窓に近付くと、窓枠からそっと外をのぞき、カーテンを閉める。
再び音もなくベッドの前に移動すると、しばらく周囲に耳を澄ませ、ゆっくりとベッドに腰を下ろした。
(エリックに一報入れておくか。)
ローブのポケットから手のひらほどの小さな青いコンパクトを取り出す。
蓋にはデイジーの模様が彫り込まれ、パカッと開けると鏡にフィリップが映った。
「エリック、いるか?」
『フィリップか。今どこだ。』
「今は東。ベジェの宿だよ。明日はエクセロンへ向かう。」
『南部か。それで、彼女の様子は。』
「うーん。非常に気の利く頭のいい女の子だね。」
『その後誰かと接触しているか。』
「いや、全く。本当に純粋に指輪と聖人の関係性を調べようとしていると思うよ。」
『そうか…。まぁ実際、幼い少女に何ができるのかと、自分に呆れるが。お前もそろそろ戻った方が良いのでは?』
「うん?うーん。何かが重要な事が分かりそうな気がするんだよね。それに、面白いし、あの二人。」
フィリップはクククッと笑う。
「私たちの目的のその為なら、どんなことでもしよう。おじい様の無念は必ず果たすよ。」
『そうだな。…私は、明日大聖堂に行ってくる。』
「大聖堂?教会が怪しいと?」
『レフェーブル君が教会の牧師に指輪を渡されたと言っていただろう。関係無くは無いと思ってな。授業の関係で元々訪問予定だった。』
「そっか。そういえば、ヴァレンティンが…。ちょっと待ってて。」
そう言ってコンパクトを一方的に閉じると、フィリップは立ち上がり部屋を出た。
コンコン。
バタン、ドンと喧しく音がしてドアが開いた。
「何だ、フィリップ。どうした。」
ククッと笑うフィリップ。
「ゾーイかと思った?ノックされたらまず相手が誰か聞きなさい。」
「分かっている。ちょっと慌てただけだ。それでどうした。」
(全く、ゾーイが関わらなきゃ落ち着いた男なんだが。)
「ちょっと失礼するよ。」
「おい勝手に…」
言いかけたヴァレンティンを無視して部屋にずかずかと入り込む。
丸テーブルのそばにある椅子に腰かけると、またコンパクトを開いた。
「エリック?」
『何だ身勝手男。』
「ヴァレンティンは、ゾーイに指輪を渡した男について調べた?」
「あぁ、そうだ。かなり色々なことが起きたのですっかり忘れていた。」
ハッと額に手を当てたヴァレンティンは、愕然とした顔をした。
「ゾーイに指輪を渡したのはクリストフ・モレー牧師。大聖堂の主任牧師の一人、モレー主任牧師の三男だ。そして、少々違法な調査だったが、クリストフ牧師はどうやらマルア教の隠れ信者だ。」
『それは事実か。』
「はい、今はモレー主任牧師がクリストフ牧師を、療養という名目で軟禁しているようです。その部屋での会話だったようですから。」
「異端であるマルア教信者から渡された指輪か。」
椅子に座り、コンパクトを丸テーブルに置いたフィリップは腕を組んだ。
「クリストフ牧師は、リネー教こそ異端だと言っていました。」
『相手を認められない場合、そちらこそが間違っていると思うのが人間だからな。』
「マルア教が異端と言われるようになったのは確か、ルシニョール王国建国頃だったはずですよね。」
ヴァレンティンの言葉にフィリップが頷く。
「正確にはルシニョール王国建国年だ。ルビン王国国王が死亡し、国王殺害の容疑をかけられたのが、マルア教大主教だった。その後マルア教は事実上廃止され、表向きの信者はいなくなった。」
『どんな宗教であろうと、単なる人間の拠り所の一つだろう。』
「神が実在しているか否かは別にして、拠り所となる宗教という器を、舐めてはいけない。」
フィリップは重々しく言った。
「いえ、私が言いたいのは、ルシニョール王国建国年にも、聖人が蘇っているという点です。」
「馬鹿な!そんなはずは…!そんな歴史は聞いたこともないぞ。」
フィリップが丸テーブルに拳をバンッと叩きつける。
「いや、これは恐らく事実だ。僕は聖人を調査する過程で、同じく聖人を調べていた人間の過去の記録を見つけた。そして、実際ルビン国王が死んでいる。蘇ったのは確か…、皇女だ。」
フィリップはこれまでにない焦燥感に駆られていた。
「…それが事実なら…。王宮の内部情報なら、私が探ってこよう。その年の聖人の蘇りについては、しばらく私に任せてくれ。しばらくここを離れるよ、ゾーイによろしく。」
『おい、ちょっとま…』
エリックが言い終わらないうちにフィリップはコンパクトを閉じ、ヴァレンティンが止める間もなく部屋を後にした。
(ルシニョール王国建国年に、聖人が誕生しているだと…?その事実が伏せられているとしたら…)
宿の外に出ると、点在する家屋から漏れる明かりのみで、周囲はかなり暗く人通りも無かった。
フィリップは、ローブのポケットから手のひらサイズの単眼鏡を取り出す。
かなり年季の入ったもので、持ち手は木で作られ、先端に至るまで全てくすんだ金色だ。
フィリップが単眼鏡を引っ張ると、カチャンカチャンと小さな音を立てながら、彼の腕程の長さになった。
「王都は…。」
フィリップはおおよその方向に見当をつけ、単眼鏡で覗く。
ジリジリと位置を微調整したフィリップは、単眼鏡の側面に付く小さなボタンをカチッと一度押し、念じた。
(王都 ボネ公爵本邸 2階隠し部屋)
次の瞬間、フィリップの姿は忽然と消えた。




