次の旅立ちと帰る場所
ゾーイはドニエ邸での晩餐の後、静かな部屋のソファで物思いにふけっていた。
ゾーイの人生において最もやかましく、最も温かい晩餐だった。
席に着く人間の、誰も空気のような存在はおらず、誰もが誰かを思いやっていた。
ゾーイにとってそれは、痛いほど羨ましいものだった。
(明日先生が戻ったら、ここを離れるのね。)
そう思うと、ゾーイの胸が久方ぶりに痛んだ。
まるで家族のように接してくれる彼らとの離別は、ゾーイが考える以上に辛いようだった。
コンコン。
「ゾーイ、私だよ、カーラだ。」
パッと顔を上げたゾーイは、慌てて入室を許可した。
部屋に入ったカーラは、先ほどまで酔っていたとは思えないほどしっかりした足取りでソファに腰を下ろす。
「あ、あの…、今日は…」
ゾーイが口を開いたのと同時に、カーラが言った。
「今日はありがとうな。…ん?何か言ったか?」
「い、いいえ…。どうして私にお礼など?」
まさに今自分が言おうとした言葉を先に言われてしまったゾーイは、口ごもった。
「いや、無理言ってうちの家族と晩餐を共にしてもらったから。お陰で皆安心したようだった。改めて礼を言おう。ありがとうな。」
ゾーイは何故か無性に涙が流れそうになった。
「む、むしろお礼を言いたいのは私の方です。素敵なご家族の晩餐に…。」
(カーラさんたちが、私の家族だったら良かったのに。いえ…、私にもソレイユという家族がいるじゃない。)
「何言ってるんだ。ゾーイはもううちの家族みたいなもんだろう。」
カーラの言葉に、ゾーイは唇を噛んだ。
「明日からまた、ここを離れるんだな。」
「は、はい…。とてもお世話になってしまって。ありがとうございました。」
ゾーイは何とか言葉を絞り出し、膝の上に置いた自分の両手を見つめる。
「うん。まあ、いつでも戻っておいで。」
下を向いていたゾーイは恐る恐る顔を上げ、カーラを見た。
「ゾーイ、君が初めてうちに来た時、うちの家族に言ったことを覚えているか?」
「え、ドニエの皆さんにですか?私…何かご無礼を…?」
青い顔になるゾーイに、カーラは慌てて言った。
「いやいや!そんなんじゃない!ゾーイは当たり前のように言ったから、忘れてしまったのかもしれないな。」
「えと…?」
「君は私たちにこう言ったんだよ。“我が国を、いつも守ってくれてありがとうございます。皆さんの存在がどれだけ尊いものか、言葉では言い表せないでしょう”ってな。」
恥ずかしそうに笑って、カーラは頭を掻いた。
「え、ええ。もちろんです。な、何かおかしな事が…?」
「いやまぁ、そんな風に言ってくれるのは、バラトの住民くらいなものだからな。」
ゾーイは心底理解できないと言った顔で首を傾げた。
「ドニエは王家もむやみに手を出せないほどの権力を持っている。実力と言えば良いか。長年隣国との均衡を保ち、時には戦った。その事実を知る者は我々をないがしろに出来ないだろう。ただ、常に戦うドニエは、優雅な人間たちにとっては野蛮なのだよ。」
カーラの言葉が一瞬理解できなかったゾーイは、ポカンと口を開けた。
「野蛮…?」
「あぁ。王都の社交界で優雅に過ごす紳士貴婦人方にとっては、我々は血生臭いんだよ。だから君のように、純粋に我々に礼を尽くしてくれる人など、滅多にいないんだ。」
真面目な顔でカーラは言った。
「だから、我々もゾーイに敬意を示すんだよ。君を敬い認める。君が路頭に迷った時は、迷わず手を差し伸べよう。」
ゾーイは頭が真っ白になった。
“敬い認める”
その言葉がどれだけ稀有なものか、ゾーイは知っていた。
「ゾーイ、ここは君の家だ。いつでも戻っておいで。」
ゾーイはもう堪えられなかった。
ゾーイの目からポロポロと涙が溢れた。
「ゾ、ゾーイ?あ、大丈夫か?あれ?どうしよう。」
オロオロしだすカーラ。
「大丈夫だよ。ゾーイは感極まっただけだろう。」
突然聞こえた声に、カーラは素早く振り返り、ゾーイはしゃっくりをひとつして、涙は引っ込んだ。
そこには、ソファの背もたれに頬杖を突き、ニコニコ笑う男がいた。
「フィリップ。女性の部屋に入るのに、許可を得ないのは許されることじゃないだろう。」
「ノックは何回かしたんだよ?」
フィリップは飄々と肩を竦める。
「明日ロッシュが戻った後、どうするか確認したくて来たんだ。」
「あ、そうですね。ロッシュ先生がいるので、もはやどこでも良いと言えば良いのですが…。ベジェに行こうと思います。」
頬を伝う涙をぬぐって、鼻声のゾーイは言った。
「ベジェか。ここからそう遠くないな。」
ゾーイは立ち上がり、ベッド脇に置いてあったリュックから地図と羊皮紙を取り出し、ソファの前のテーブルに広げた。
「そうですね。近いので、元々次の目的地でした。ここは今から1200年前、聖人が誕生した地です。男爵令嬢が蘇ったのでしたね。」
羊皮紙の文章を指でたどりながら、ゾーイは言った。
「この資料によれば、その令嬢は病死し2日後に蘇っています。しかし…、その後消息を絶っているようですね。男爵家も、彼女が失踪して途絶えたようです。今は…、誰が治めているんでしょう。」
「ふむ。ベジェは確か…。」
「ドニエだ。元々ドニエの土地だからな。ベジェの統治権がドニエに戻る前、男爵は堅実に街を治めていたようだぞ。しかし娘が失踪し失意の末死んだとか。先日うちの古い資料を調べたんだ。」
ゾーイは、ハッとカーラの顔を見た。
「うん。ここも、近しい人間が死んでいるな。貴族だから、魔力を持っていた可能性も大いにあるだろう。」
ゾーイは無意識に自分の肩を抱き、僅かに身震いした。
「どうして…、男爵令嬢は失踪したんでしょうか…。」
「それは…分からない。何せ1200年前だ。そんな細かい事は記録に残っていないだろう。」
「…現地に行ってみれば、何かわかるかもしれませんね。」
ゾーイは羊皮紙と地図をまとめ、トントンとテ―ブルの上で揃えた。
「明日ヴァレンティンは昼頃戻ると言っていたか?くれぐれも危ない真似はしないんだぞ、ゾーイ。」
キッと睨みつけるカーラの顔を見て、ゾーイは無性にくすぐったい気持ちになった。
「はい、分かりました。」
ゾーイは顔を赤らめながら笑顔で言った。
「ロッシュが見たら心底不快な顔をしそうだな。」
ポツリとフィリップが言った。
「え?何ですか?」
「いや、目的地も分かった事だし、私は部屋に戻るとしよう。それではまた明日。」
言いたいことだけ言って、フィリップは部屋を後にした。
「さて、私も部屋に戻ろう。明日以降、私は必ずしもドニエにはいない。でも何かあったら、必ずここに来るんだよ。分かったな。」
「はい、分かりました。カーラさん。」
「それから、これも引き続き持っておきなさい。」
そう言ったカーラが差し出したのは、アンクレットとオレンジのブローチの魔道具だ。
「ブローチはいつでも連絡出来る。それにアンクレットにも魔力は充填してあるが、それが無くなっても、前のように君の魔力で動くだろう。」
渡された魔道具を両手に受け取ったゾーイは、カーラの言葉に首を振った。
「いえ、カーラさん。私の魔力は事実…」
「ゾーイ、以前君は確かに魔力を失ったと言っていた。しかし最近、意識して魔道具に魔力を込めようとしたことがあったか?本当に、今もないのだろうか?」
「それは…どういう…。」
「このアンクレットの魔道具は、実は時計台の魔道具を参考に作った試作品なんだよ。つまり、魔力を選ばない魔道具。そして、君に初めて渡した時は、悪いが試させてもらったんだ。失敗するか、成功するか。」
「つまり…、私は無意識にこの魔道具に魔力を込めていたと?」
「ああ、恐らくそうだろう。私は7回も飛べる程の魔力を込めておかなかった。つまり君は今、全く魔力がないわけではないはずなんだ。」
カーラの言葉が、まるで異国の言葉のように理解に時間がかかった。
恐る恐る左手に付けた金の指輪に魔力を込めようと意識を集中する。
チリッ
部屋にある燭台のロウソクに、明かりが灯った。
「カ、カーラさん…。」
「やっぱりな。銀の指輪を使った時、ゾーイは確かに魔力が無くなったのかもしれない。しかし、今は前ほどではなくとも、多少の魔力は戻っているんだろう。」
「でも…、魔力枯渇を起こした時は、意識を失うのではなかったですか?」
「うん、常識的にはそうだ。しかし、現状起こっている出来事の大半は常識から外れているだろう。魔力枯渇、という言葉が相応しいかどうかさえ、分からない。」
深く眉間に皺を寄せていたゾーイは、右手の銀の指輪に視線を向ける。
「そうですね。分からないことばかりです。」
「そういう事だ。気を抜くなよ。ヴァレンティンもいるが、あいつはどうも、ゾーイがいると腑抜けだから。」
「え?」
「いや…、とにかく他人頼りにせず、自分の身は自分で守れるように。」
ゾーイはコクリと頷いた。
「ゾーイ、どんな結果に突き当たろうと、それが真実ならしっかり受け止めるんだよ。」
カーラの言葉は、思いのほか重たかった。
「はい。私は一人ではありません。もう大丈夫です。」




