ヴァレンティンの心とゾーイの心
ヴァレンティンの扉で帰宅するソレイユを見送ると、ゾーイは息を付き、ソファに腰を下ろした。
カチャッと扉が開き、そこにはヴァレンティンが立っていた。
「弟君との話は済んだのかい?」
「はい、随分長い事、私たちはすれ違っていたみたいです。」
苦笑するゾーイを切なそうに見つめるヴァレンティン。
「少し庭園を散歩しない?」
時間を設けると約束したし、以前よりもヴァレンティンに対する疑心は薄らいでいた。
「はい、喜んで。」
ドニエ邸の庭園は、大きなドーム型の温室だった。
温室のそこかしこに保温具が設置され、一定の温度が保たれているために多種多様な花々が咲いている。
「凄いですね。ドニエの皆さんは、お花が好きなんでしょうか。」
ゾーイは感嘆しながら言った。
「うーん。ドニエというより、元皇女のイザベル様のご趣味だよ。」
「そうでしたか。イザベル様は植物がお好きなんですね。」
しばらく温室を眺めながら歩いく二人。
ヴァレンティンから見つからないために隠し部屋にいたのにも関わらず、その当人と庭園を散歩しているなど、何だか可笑しな状況だとゾーイは思った。
「本当は、君を遠くから見守る予定だったんだ。」
ヴァレンティンはぽつりと言った。
「僕に強い不信感を抱いているようだったし、近くにいるのも嫌そうだったから。」
自分の言葉に苦笑したヴァレンティンはゾーイを見た。
「カーラさんとそのような…?」
「うん。彼女を悪く思わないでくれ。やきもきしている僕を見兼ねてこの計画を立てたんだよ。」
「そう、でしたか。」
「そ、その…、聖人に関して君の言った予想は実に興味深いと思う。しかし、今後ゾーイに一体どのようなことが起こるか分からない。何しろ、意識を持ったかもしれない魔道具と取引なんて、前例がないから。」
「は、はい…。」
「しかも指から取れないだなんて、まるで体に爆弾を巻いているようじゃないか。」
返す言葉もなく、俯きながらゆっくりと歩くゾーイ。
「ゾーイ?すまない、怖かった?ゾーイに何かあるかもしれないと思ったら気が気では無くて…。もっと早く言ってくれたら…。いや、それほど親しい間柄では無かったか。」
肩を竦めながら自嘲気味に言う。
「それでも、せめて僕の手紙には返信してほしかったな。」
ヴァレンティンの言葉を聞き、一拍置いたゾーイは首を捻った。
「手紙…、ですか?」
ゾーイのその反応にヴァレンティンは足を止める。
「舞踏会前、僕は君に手紙を出したろう?突然家から呼び出しがあり、約束を守れず申し訳ないって。」
今度はヴァレンティンが首を捻る番だ。
「い、いえ…、私の知る限り、そのような手紙は受け取っていません。」
お互いに困惑な表情で見つめ合う。
「そうだったのかい?それでは、何か手違いがあったのかもしれないね?」
ゾーイの言葉を聞き、ヴァレンティンの心は僅かに上向いた。
(受け取っていなかったんだ。無視したわけではなく。)
ヴァレンティンはニヤけそうになる口元を手で覆いながら、視線をそらして言った。
「それではお互い誤解があったのかもしれない。僕は君に危害を加えるつもりは無いよ。むしろ心配していたんだ。」
「は、はい。」
ゾーイの微妙な表情に、ヴァレンティンは不安を抱いた。
「信じられない?」
ゾーイがヴァレンティンの方に視線を向け、不意に視線が絡む。
「い、いえ…、その…、ベラと親密なようでしたから、私に関わっては誤解を招くのではと…。」
ヴァレンティンは、ピシリと音が鳴ったのではと思うほど体を固まらせた。
「ま、待ってくれ、親密?彼女は公爵家の養女になったんだ。そのせいで面倒を見ることになってしまったんだよ。それに、彼女は第二皇子殿下の婚約者候補だ。」
その言葉を聞き、ゾーイは一瞬ポカンとした顔をした。
「養女…ですか?第二皇子殿下の婚約者候補?し、知りませんでした。」
ゾーイは混乱した。
「君が行方不明になる直前に明らかになった事だ。知らなくて当然だろう。これで僕への疑惑は晴れたかい?僕と彼女との間には、何らやましい事は無いんだよ。」
まるで浮気を疑われ、喧嘩をした恋人に言うようなセリフを、無意識にも必死に言い募るヴァレンティン。
「そ、そうですね。そんな事情があったなんて。カーラさんといい先生といい、善意を疑ってしまって。」
「私は善意で良くしているわけではないよ、これは君への好意だ。」
サラリと言ったヴァレンティンの言葉に、一瞬混乱したゾーイは押し黙った。
(こ、厚意…よね、これは…。)
「あ、ありがとうございます。その…これまで随分無礼な態度を…。」
視線を彷徨わせ、しどろもどろに言うゾーイを見て、ヴァレンティンは笑った。
「構わないよ、お互い誤解があったわけだし。でも、ゾーイが不用心なのは頂けない。」
「え?」
「フィリップは若い男だ。しかもまるで身元が分からない。何をしでかすか分からないんだよ。密室で二人になるなど、言語道断だ。分かるね?」
ヴァレンティンの言葉は間違っていないし、酷く昔に感じる貴族令嬢時代の常識を思い出させた。
「た、確かにそうですね。私がいずれどこかに嫁ぐとして、醜聞があってはいけませんものね。」
ゾーイの言った言葉に目を細めるヴァレンティン。
(どこかに嫁ぐ…?そうだ。貴族令嬢は、学園卒業と共に誰かと結婚するのが通例だ。)
そう思ったと同時に、胸の辺りにムカムカとした得体のしれないものが溜まってきた。
「そうだね。君の名誉のためにも、フィリップと必要以上に近くにいる事は避けた方が良いだろう。」
怖がらせたくなくて笑顔を作ったものの、ムカムカといした感情がぬぐえない。
(僕だけに頼ってくれたら、それで良いのに。)
「それじゃあ部屋に戻ろうか、そろそろ晩餐の準備が整う頃だろう。」
「はい、ロッシュ先生。」
そう言ってヴァレンティンに背を向け、歩き出したゾーイの背中をジッと見つめる。
(そうか。僕はゾーイを、誰にも渡したくないんだ。)
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その晩開かれたドニエ邸での晩餐は、まるでお祭りのようだった。
見たこともない豪華な食事と、賑やかな辺境伯家の面々。
仕事を終えて、ルカも駆けつけて来た。
「ゾーイ、あの後ケガはどうなったろうと心配したけど、良くなったみたいだね!」
お酒が入り陽気に話しかけるルカ。
年上にも関わらず、何だかソレイユのようだと頬が綻ぶゾーイ。
「ルカさん、あまりお酒を召すのは体に…」
「ゾーイ、君はルカを名前で呼んでいるの?それなら仲間の僕も名前で呼ぶべきでは?」
当然のように隣に座り、吹っ切れたようにゾーイに絡んでくるヴァレンティンに、訝し気な視線を向けるゾーイ。
「ど、どうしたんですか、先生。先生もお酒を召され過ぎましたか?」
ゾーイの言葉を聞き、ムッとするヴァレンティン。
「ゾーイはどうして僕にだけそんな態度を取るんだい?僕の疑いはまだ晴れないのか?」
「う、疑いなんて…。先生は先生ですし。」
訳が分からず言葉に詰まるゾーイ。
「見苦しいぞ、ヴァレンティン。大人の余裕はどこにいったんだ。」
可笑しそうに笑うカーラは、ジョッキにワインを手酌で注いでいる。
「カーラ、その辺にしなさい。あなたはお酒に弱いんだから。」
心配そうに言ったのは元皇女であるイザベルだ。
「イザベルの言う通りだぞ、カーラ、お前の悪がらみは手に負えない。」
先ほどから、水を飲んでいるかと錯覚するほどのスピードでビールをあおるカルロは、クックと笑いながら言った。
その後はドンチャン騒ぎだった。
現辺境伯もその妻も、元辺境伯もその妻も双子も、一様に楽しそうに笑っていた。
その光景を見ながら、以前ほど自分自身を遠くに感じなかった。
「ゾーイ?どうした?ぼうっとして。」
心配そうにのぞき込むヴァレンティン。
そんなヴァレンティンを、ゾーイは静かに見つめ返した。
ヴァレンティンはグッと息を飲み、僅かに顔を赤らめる。
(そっか。)
ゾーイは一つの答えが見えたようだった。
(信じられるか、不安が無いとはまだ言い切れないけれど。)
ヴァレンティンに向け、ニコッと笑うゾーイ。
その笑顔を見たヴァレンティンの顔はいよいよ真っ赤に染まった。
(今は信じたいわ。この人達を。私は、今一人ではないのね。)
ゾーイの心に、松明のような明かりが灯った。




