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エリックの過去その2と、ダニエルの告げ口

落ち着きなさい、と言った老人を見下ろすエリック。


その老人は、舞踏会に相応しくない真っ黒なマントを首元のブローチで留め、白髪をやんわりと後ろで束ねていた。


「君、まだ制御を学んでいないね。さぁこれを。」


そう言った老人が差し出した手は、黒い手袋で包まれている。


その手の平の上に、フヨフヨと漂う丸い透明な物体があった。


(水…か?何でこんな形で浮いてるんだ?)


エリックは怪訝な表情を浮かべた。


その丸い物体は、ゆっくりと覚束ない動きをしながら、エリックの頭上に上がってくる。


その動きを目で追っていたエリックの顔面に突然バシャッと水が降り注いだ。


丸い物体は実際水だったようで、エリックの頭上で重力に従い落ちてきたというわけだ。


顔面に水を浴びたエリックはそのまま固まり、誤作動を起こしていた魔道具は一斉に沈黙した。


シンと静まり返った会場で、一拍置いてエリックに絡んでいた令息たちが笑い出した。


「あはは!ようやくお似合いの恰好になりましたね。」


「こんな無様な姿を晒さなければいけないなんて、私は耐えられませんよ。」


目の端に涙を浮かべながら笑う令息たち。


エリックは、ふぅと息を吐き、髪をかき上げた。


「魔力制御を学んでいない人間に対して魔力で威圧したね、1年生の諸君。さて、これはどうした事か…。」


ハッと青ざめた顔になる令息たちを見て、エリックは僅かに首を傾げた。


「が、学園長!ぼ、僕たちの方が威圧されたのですよ!彼のピアスの魔道具なんて、どこかに飛んで行ってしまった!」


慌てた令息の一人が、白髪の老人に言った。


「学園の規則に従い、罰則を与えよう。休み明けに皆学園長室に来るように。」


「そ…!そんな…!!」


青かった顔を白くした令息たちは何か言いかけたが、老人がエリックに話しかけたことで押し黙った。


「それで君は、どこの誰だね?」


「あなたこそどこの誰です?人に尋ねる時には、先に名乗るものでしょう。」


真っ白になった目を丸くした老人は、わっはっはと笑い始めた。


「君の言う通りだ。私は王立ジルメーヌ魔術学園学園長で、グレゴール・ボネという。因みに前ボネ公爵だ。それで、君の名は?」


(貴族の通う高尚な学園がある事は両親から聞いていたが、そこの学園長か。)


「私はエリック・マルシャンです。最近爵位を賜った、成り上がり男爵家の嫡男ですよ。」


エリックは、ふんと鼻を鳴らした後、視線をよそにやりながら吐き捨てるように言った。


「そうかエリック。それでは明日、魔術学園の私を訪ねなさい。入学手続きをするからね。」


グレゴールの言葉を聞き、顔を正面に向けたエリックは、眉間に深い皺を寄せた。


「は?何を言っているんですか?」


「君、さっきの会場の状況に気が付いていた?かなりの魔道具が、君の魔力に反応しててんやわんやしていたよ。魔力を持つ貴族は、須らく魔術学園で学ぶことが義務付けられている。まさか、王国法に背くつもりはないよね?」


飄々とした態度のグレゴールに、エリックはすっかり毒気を抜かれた。


「私に魔力があったんですか?それは初耳ですね。」


「さっきの状況を見るに、かなりの魔力量を持っているだろうね。加えて、恵まれた肉体がこれまで魔力の暴発を防いでいたんだろう。しかし、このままでは危険だ。」


その言葉を聞いたエリックは、面倒くさそうに息を吐いた。


「面倒ですが、分かりました。法律に背いて拘束されるのも癪ですし。」


「エリックは気持に素直な態度を取るね。それでは明日。風邪を引かないようにねぇ。」


はっはと笑ったグレゴールは、さっと踵を返し去って行った。


(あの爺さん、俺のことを見下さないんだな。公爵なんて、かなり上の爵位だろう。)


エリックが初めて、社交界で一人の人間として認められた瞬間だった。



* * * *



(ボネ学園長、この訳の分からない状況を何とかして、アンタの無念を必ず晴らしてやりますよ。)


馬車に揺られながら、エリックは鋭い視線を窓の外に向けた。


――――――――――――――――――――――――


王命などまるで無かったように、エリックは変わらず学園の業務に励んでいた。


(そろそろレフェーブル君が動き出す頃か。フィリップから一報が入るかもしれないな。)


コンコン。


「学園長、ご報告が。」


書類仕事と考え事を両立させていたエリックの元に教員が訪れた。


入室を許可すると、入ってきたのは国史を担当するダニエル・ショパンだ。


「ダニエル先生。どうかしましたか?」


エリックは書類から顔を上げ、持っていた羽ペンをスタンドに戻して、高級感のある椅子の背もたれにもたれ掛かった。


「2点ご報告があります。まず3年のトーマス・マイヤーについてですが、ここのところ授業をさぼりがちで、マイヤー伯爵家へ連絡したところ、家にも戻ったり戻らなかったりだそうです。」


ダニエルは現在3年の担任を務めている。


「ふむ。おかしな連中とつるんでいないと良いが。何か心当たりは?」


「ええ…、その、彼はかなりデュポン君に夢中でしたから、第2皇子殿下との婚約内定に、傷心したのではと…。」


「つまり失恋をしてグレているという事か。」


「あ、有り体に言えば…そのような状況かと。」


エリックは肩を竦めた。


「まぁ、3年だし殆どの学科は終えているだろう。彼なりに心の整理が必要だろうし、少し様子を見ましょう。それでもう一点とは?」


「ええ、ヴァレンティン・ロッシュ教授についてですが。」


エリックは無表情を貫いたが、次の発言を慎重に待った。


「ご存じかもしれませんが、教授は少し前、行方不明になっているレフェーブル君と噂になっていました。深い仲なのではと。」


ダニエルをジッと見つめるエリック。


「それで?」


「そ、それで、最近彼は忙しいようで、あまり学園に寝泊まりしていないようですし、授業も教員に任せる事もしばしばで。」


「ふむ?」


「もしかしたら、ロッシュ教授はレフェーブル君の逃亡に関わっているのではと。」


意を決したようにダニエルが言った。


ダニエルを見つめていたエリックは、フッと息を吐いた。


「逃亡…。何から逃げているというんだ?」


「ですから、デュポン君をいじめていたという噂があったではないですか。そのデュポン君が聖人となったのですよ。罪に問われるのではと…、いえ、今はロッシュ先生の話を…。」


「噂、そうなのでは、では、ではではでは。」


「が、学園長?」


「君の口から出る話は、どれぐらいの割合で事実なんだ?」


「えと…。」


「ロッシュ教授については、私が預かろう。君は関与しなくていい。あ、それとも学園に寝泊まりする泊数を把握する程、ロッシュ教授を心配しているのか?」


「何を…!いえ、ロッシュ教授が同期というだけで、何かと私に面倒を押し付けられるのですよ。うんざりしているくらいです。」


「そうか、それでは報告は以上か?私は引き続き、この書類をやっつけていいだろうか?」


「あ、はい、以上です。失礼します。」


不満げな顔を隠そうともせず、ダニエルは退室していった。


(ロッシュ教授…。まったく。どいつもこいつも世話の焼けることだな。ダニエルも、思っている以上にロッシュ教授を憎んでいるようだ。)


エリックは、書斎机の端に置いてある、スズランを模したデスクライトの魔道具に手を伸ばした。


その魔道具は、小さな花のようなランプがいくつもついており、一つ一つが小さな光を放っている。


その一つに触れと、リンと小さく鳴った。


「はい。学園長、お呼びですか。」


女性の声が聞こえる。


「忙しいか?仕事を頼みたいんだが。」


「学園長が私の職務状況を気にして下さるなんて感激です。たとえ言葉だけだったとしても、です。」


エリックはクックと笑った。


「君は一言多いな。まぁ何とかやりくりして、3年のトーマス・マイヤーの動向を調べてくれ。危険はないと君が判断するようなら、放っておいて構わない。」


「危険があるようなら?」


「命の危険があれば即介入してくれ。報告は後で良い。」


「はぁ、承知しました。まるで探偵や保安隊のような仕事ですが、謹んでお受けいたしますよ。」


再びスズランの花がリンと小さく鳴り、静かになった。


書類仕事に戻るため、エリックがペン立てから羽ペンを取ろうと手を伸ばした時、壁に埋め込まれた姿見からヒョコッと人が現れた。


「来ちゃった。」


その人物をジトっと睨みつけるエリック。


「フィリップ冗談はよせ。その姿見は外から使わないように言っているだろうが。」


エリックの言葉を聞き、一瞬キョトンとしたフィリップは、ニヤリと笑った。

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