謎の共有と謎の男
エリックの言葉を理解した瞬間、体中の汗腺が開いたように汗が噴き出してきた。
“この右手に付けている指輪についてだが。”
ゾーイは誰にも指輪の事を話していないし、誰かが気に留めたことも無かった。
だからもしかしたら、この指輪は他人には見えないのではないかとすら思っていた。
「指輪?指輪なんてあるのか?」
突然聞こえた声に驚くゾーイ。
エリックの登場にあまりの驚きに、不法侵入者がもう一人いる事に気が付かなかったのだ。
その男はエリックの右側から覗き込むようにゾーイを見ていた。
茶色いフワフワとした癖のある髪に青い目。鼻梁が通り、平凡な中にも美しさが垣間見えるような容貌だ。
身長はエリックと比較すると180㎝と言ったところか。年はゾーイと近いように見えた。
寒いのか、スッポリと首まで厚手のこげ茶のローブを羽織っている。鼻の頭が僅かに赤い。
「見えないのか。」
この状況に理解が追い付かず、ゾーイは目を白黒させた。
「あ、あの…。手を…。それにそちらは…。」
ゾーイは男性に手を握られた経験が少なかったので、エリックに握られた右手と頬が段々と熱くなってきてしまった。
「あぁ、不躾にすまない。君には色々と話を聞こうと思っていたんだが、なかなかタイミングがね。こちらは、私の友人のフィリップだ。たまたま君に会いに行こうとした時にうちに来たものだから。」
曲がりなりにも隠し部屋にいたゾーイを、とんでもなく軽いノリで訪ねて来たようだ。
「こんにちは。フィリップさん。ところで…お二人は私に何を聞きに…。」
どこかに置いて来ていた警戒心がようやくゾーイの元に戻り、じわじわと不安になる。
さらに言えば、学園長に至っては、もはやゾーイの変装について言及すらしない。
(これでは私の変装って…。)
「まぁ座りなさい。私は回りくどいのは嫌いでね。単刀直入に聞くが、その右手の指輪を君はどこで?以前から付けていたものではないだろう?」
まるで我が家のように寛ぐエリック達を唖然として見ながら、テーブルを挟んで向かいのソファにそろそろと腰を下ろす。
ゾーイは無意識に右手の指輪に触れた。
「あれ、ほんとだ。さっきは見えなかったんだけどなぁ。」
エリックの隣に座り、不思議そうに体を乗り出しているフィリップが言った。
「見えたのか?恐らく“そこにある”と自覚して見なければ見えない作りになっているんだろう。」
そう言ったエリックは、ゾーイに真っすぐ視線を向ける。
「君が話す内容によっては、君を拘束する必要があるかもしれない。」
ギョッと身を固くするゾーイ。
エリックの鋭い視線を受け、嘘は吐けないと直感した。
「こ、これは…。」
ゾーイは、指輪に関する事実を包み隠さず話した。
指輪を牧師に渡された事、おかしな夢を見た事、意識を失って4日後目覚めると、ベラが蘇っていた事、指から外れない事、魔力を失った事、単身で調査に乗り出した事、数回、何か声が聞こえた事。
たどたどしくゾーイが話している間、エリックは鋭い視線を向けていた。
「わ、私が調べなければいけないわけでも、解き明かさなければいけないわけでもない事は分かっていますが…、何もせずにはいられなくて。それに、指輪も取れませんし…。」
話した直後に拘束されるかもしれないという恐怖がゾーイを支配していた。
「ふむ。なるほどね。聖人と…指輪ね。」
しばらく沈黙していたエリックがおもむろに立ち上がり、開いた窓に近付き、静かに閉めた。
「君は5年前のレジスタンスによる王都襲撃事件を知っているか?」
「も、もちろんです。学園長がお一人で一掃したと…。」
「そのように言われているが、しかしあの時、私はたった一人取り逃がしているんだ。」
窓の外に視線をやりながら、エリックはふぅ、と息を吐いた。
「マントを被り全く容貌の分からない者だったが、負傷したその者が“消えよう”とした瞬間、魔力を感じた。」
ゾーイの方に振り返るエリック。
「5年間その者の消息は全く掴めなかったが、先日君が学園から伯爵邸に戻る際、手を取った時に失踪した者と酷似した魔力を感じた。そして君の指に、突然指輪が見えた。」
鋭い視線を向けられ目を背けられないゾーイは、息をするのを忘れていた。
「ストップ!エリック待ちなさい!ゾーイが息してないから!」
突然挟まれた大きな声に、ゾーイの呼吸が戻った。
声を出したのはフィリップだった。
はぁはぁと荒い呼吸をするゾーイの横に移動し、背中をさするフィリップ。
「その者を捕らえたいのは重々分かっているが、見境が無さすぎるぞ、エリック。」
「すまない。しかし5年だ。爪の先ほどの手がかりも掴めなかったレジスタンスの残党に、酷似した魔力を感じたんだ。」
エリックはクシャっと髪をかき上げた。
「5年前、君は12歳だ。あの者ではない事は分かっている。だが、全く関係ないとも言い切れない。」
しばらく沈黙が部屋を支配した。
「ふむ。つまり、エリックはゾーイを信じきれない、と言う事だよね?」
ゾーイの背中に手を添えながら、フィリップは言った。
「それなら、私がゾーイの名目上の護衛として、しばらくそばにいよう。そうすれば下手に行動できないだろう?」
呼吸が落ち着いてきたゾーイはギョッとした。
「何を…。危険を顧みない性格を、お前はもう少し治した方が良いぞ。」
エリックは苦言を呈した。
「ご心配ありがとう。しかし、魔術や体術については、君のお墨付きだろう?それに、5年でようやく見えた光だ。これを逃す手は無い。」
フィリップは肩を竦め、その様子を見たエリックはため息を吐いた。
「君を連れてくるべきでは無かったな。分かった。一度言ったことは曲げない頑固者だ。私が何を言っても無駄だろう。」
二人のやり取りを、まるで全く関係ない第三者のような感覚で見ていたゾーイ。
何しろ全く話についていけないのだ。
(指輪同様、私が見えなくなってしまったかしら…。)
「それではレフェーブル君。」
エリックの視線が再びこちらに向き、思わずビクッとするゾーイ。
「君はこれから、聖人の誕生した地を巡り、聖人の真実をつまびらかにしようとしている。それに関して止めはしない。しかしフィリップと行動を共にすること。また私が必要な時に、必ず会う事。分かったね。」
「は…はい…。」
自分の意思で行動を起こしたつもりが、いつの間にか他人に舵を取られている事に、抵抗を感じざるを得なかったが、ゾーイは従わないわけにはいかなかった。
「よし!それじゃ、そろそろ日も暮れるし、エリックは帰りなよ。ゾーイ、この部屋の隣が空き部屋のようだから、私は君の回復までそこで過ごそう。」
重い空気を仕切り直すべく、フィリップは明るく言ってのけた。
ジトッとした視線をフィリップに向けたエリックは、さっと踵を返し、窓へ向かった。
「それではレフェーブル君、また。」
そう言ったエリックは、窓を開けた瞬間消えた。
ゾーイは驚いて窓に駆け寄り、フィリップの方を振り返る。
「飛び降りたわけでは、無いですよね?」
その言葉に、一瞬ポカンとしたフィリップは、ふふっと笑った。
「あんなに無神経な言葉をかけられて、それでも心配するのかい?君はお人よしだね。」
よいしょっとソファから立ち上がったフィリップは、部屋の扉に向かった。
「この右隣りにいるからね。君はまだ静養中だろう?ゆっくり休んで。」
ゾーイは正直、このファーストネームしか情報の無い男をそばに置くことに、多大なる不安を抱いていた。
しかし学園長から厚い信頼を受けているようだったし、今のゾーイにはこの男をのしていく事などできるわけもない。
「あぁ、それからエリックをあまり恨まないでくれ。レジスタンスの一件を話したという事は、君の事を真実疑っているわけではないのだろう。藁にも縋る思いなんだ。」
フィリップはそう言って苦笑した。
そんな彼には、ゾーイを害そうという様子は見られなかった。
はぁ、とため息を吐くゾーイ。
「お隣の部屋に保温魔道具があるか分かりませんよ。寒いかもしれません。」
フィリップは一瞬固まり、ポリポリと頬を掻きながら苦笑した。
「君は変わっているね。何だか…変な感じだ。私たちは以前、どこかで会った?」
「まるで古典文学の口説き文句のようですよ。そんなにもこもこに着込んで、鼻を赤くしていたら誰だって寒いんじゃないかって思います。その…、今カーラさんに事情を説明して、リナさんに保温魔道具を持ってきてもらいましょうか。」
ふっと息を吐いたフィリップは、困ったように笑った。




