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アンナとゾーイの過去

1週間を過ぎてもなお、ゾーイの消息が掴めない中、レフェーブル邸から1台の馬車が出発した。


アンナ・ヴォワールにっとてそこは、12年間住み込みで働いた、思い入れの強い場所だった。


退職する日に主が失踪したため屋敷を出るのが遅くなったが、元々退職予定だったアンナを気遣って、アーサーが出て行くよう指示したのだった。


馬車に揺られながら、俯くアンナの手には、はち切れんばかりに宝石やアクセサリーの類が詰め込まれた袋がある。


この袋を渡された時、アンナは固辞した。


しかしアーサーは引かなかった。


“これはゾーイの意思だ。私に言うものではない。もし異論があるのならば、ゾーイが戻った時本人に言いなさい。”


「ふ、、、ふふっ。」


俯くアンナの口から声が漏れる。


「ふっぐっ…。」


アンナのスカートにポトリと雫が落ちた。



* * * *



アンナ・ヴォワールは幼い頃、両親の働くガルシア伯爵邸に住んでいた。


母は伯爵夫人の侍女、父は伯爵邸の執事として仕えていた為、子どもも一緒に住めるよう、レオン・ガルシア伯爵が配慮してくれたのだ。


レオンは、肩まである茶髪を細い青のリボンで結わえ、茶色いの目を優しげに細める、正装を崩さない紳士だった。


ヴォワール男爵は領地を持たない名ばかりの貴族で、その為アンナの住まう領地を治めるガルシア伯爵家で働いていたのだった。


伯爵夫人は、クロエ・ガルシアと言った。


アンナが10歳の頃、一人の可愛い女の子が生まれた。その子はゾーイと名付けられた。


ゾーイは幼い頃から活発で、最も年の近いアンナが、自然とゾーイの近くにいることが多かった。


ゾーイが3歳、アンナが13歳の頃、事件が起きた。


ゾーイとクロエ、レオンが庭園でお茶をしていたある昼下がり、レオンの元に弟が訪ねて来た。


アンナはその日もゾーイと遊ぼうと、庭園に入ってきた所だった。


その弟は放蕩者で、しかし兄が伯爵家を継いだことを心底不快に思っていた。


その日は何か言い争いになり、弟がレオンの胸倉をつかむほど険悪な雰囲気が漂っていたのだ。



たまたまそばにいた執事であるアンナの父が止めに入った時、空気が揺らいだ。


唐突に泣き出すゾーイ。


芝生にちょこんと座るゾーイを中心に、渦を巻くように不穏な魔力が漂い始めていた。


鬼気迫る勢いで弟を突き飛ばし、ゾーイの元に駆け寄るレオン。


弟は慌てて逃げだし、周囲の人間が皆騒然とする中、レオンは構うことなくゾーイを強く抱きしめた。


依然として泣きじゃくるゾーイの背を優しくトントンとするレオン。


クロエも近付こうとするが、渦巻く魔力に阻まれ身動きが取れずにいた。


泣き止まないゾーイ。クロエを庇う侍女。レオンを助けるため近付こうとする執事。逃げ惑う使用人たち。立ち尽くすアンナ。


まるで時間がゆっくりと流れるように、アンナは感じた。


次の瞬間、弾けるように吹き飛ばされるアンナ。


シンと静まり返る。


恐る恐る目を開けると、13歳の少女が目撃するにはあまりにも悲惨な光景が広がっていた。


気絶し芝生に横たわるゾーイの横には、片手が無い状態でゾーイを守るように倒れる、全身が焼けただれたレオン、クロエを下敷きにして背中を真っ赤に焼き尽くされた侍女、近くの木の根元に、執事がぐったりと横たわっていた。


誰一人として動けずにいる中、アンナは震える足を何とか動かし、母の元へ向かう。


クロエは気絶し、アンナの母は息をしていなかった。


母の焼けただれた背中を震える手で触り、弱々しくゆすりながら、父の方に振り返る。


ピクリとも動かない父は、母と同様に息を引き取っているようだった。


声を上げることも、涙を流すことも出来ないアンナは、その場で気を失った。



そのすぐあと、ガルシア伯爵位は弟に引き継がれ、クロエはゾーイとともに家を出た。


クロエは始め、アンナをガルシア邸に残して行くつもりだった。


両親の死の原因であるゾーイが一緒では、傷が深まるのではと懸念したのだ。


しかしガルシア伯爵は受け入れなかった。孤児の娘を預かるほどの余裕は無いと。


その為クロエが一緒に行くことを提案し、抜け殻と化したアンナは殆ど無意識に付いて行ったのだ。


「お姉しゃま!これを見て!」


事件について何も覚えていなかったゾーイは、クロエの生家でも無邪気に近付いてきた。


しかしアンナは、恐怖と得体のしれないどす黒い感情から、彼女を受け入れることができなかった。


そんなアンナを否定するでもなく、クロエは静観していたのだった。



クロエの再婚が決まった時、アンナはクロエの元を訪れ言った。


「夫人、私をゾーイお嬢様の侍女にしてください。」


アンナをジッと見つめるクロエ。


彼女の中で一体どのような感情が渦巻いたのか定かでは無かったが、クロエは静かに頷いたのだった。




何故あの時、ゾーイの侍女になると言ったのか、アンナ自身分からなかった。


復讐がしたかったのかもしれないし、一人孤独に置かれる苦痛に耐えられなかったのかもしれない。


クロエが息を引き取る直前、ゾーイと共に見舞った時の事を、アンナは昨日のことのように覚えている。


「ゾーイを生まなければ…幸せだった…。」


ゾーイは当時、たったの8歳だった。



「お母さまごめんなさい、幸せを壊してしまってごめんなさい…。」


時折耐え切れず、アンナの胸で泣くゾーイは酷く震えていた。


アンナはその頃から、ゾーイへ向ける感情が分からなくなっていった。


“お嬢様だって、あんなことをしたくてしたわけではない。だからと言って、両親を殺した事に変わりはない。”


自分を痛めつけるように過ごすゾーイを、アンナは放っておけなかった。


レフェーブル伯爵邸でのゾーイの扱いは、特別悪くもなかったし、不幸だったわけではない。


しかし彼女はいつも孤独だった。


“あなたは何も悪くない。避けられない事故だった。”


アンナはとっくに、ゾーイを許していた。



しかしゾーイの日常が動き出したある日、伯爵邸に信じられない人物が訪れた。


ガルシア伯爵の長子、ドミニク・ガルシアだった。


ドミニクは父親に似て、茶髪に細長いキツイ目つきをした男だ。


身長はアンナとさして変わらないように思われた。


その日ゾーイはまだ意識を取り戻していなかったし、アーサーも取り合おうとせず、家令が対応していた。


それをたまたま目撃したアンナは胸騒ぎを感じた。


“なぜ今になって、ガルシア家の人間がここへ来るのか。”



数日後、執念深いガルシア子息は、父を連れてアーサーを再び訪ねて来た。


数刻と経たず追い出されたようで、苦い顔でエントランスへ向かう二人と、アンナはバッタリ出くわしてしまった。


顔を見られた直後、慌てて姿勢を正し頭を下げた。


「おや。君は…。」


ガルシア伯爵は、アンナの顔を覚えているようだった。


「まさかあの事件の被害者が、加害者と共にいるなんて。」


ニヤリと不気味な笑みを浮かべるガルシア伯爵。


「君も復讐を考えてここに?彼女が幸せになるなんて許せないだろうね。」


「恐れながら、私はお嬢様を恨むなどしておりません。お嬢様は幸せになる資格のあるお方です。」


毅然とするアンナの言葉を聞き、不愉快そうに顔を顰める伯爵。


「馬鹿を言え!あの女は両親の死にも顔色一つ買えない冷酷な奴だぞ!悪魔が幸せになってたまるか!」


ドミニクが口角泡を飛ばして叫んだ。


「ドミニク止めなさい。しかし、そうだ。名案があるぞ。」


耳打ちするようにアンナに話しかけるガルシア伯爵は、どこかネジが外れたように笑っていた。


アンナは耳を疑った。


「なぜお嬢様の監視など。私が引き受けるとお思いですか。」


「君はその狂った忠誠心から、受けざるを得ないだろうね。外部とのやり取りで、彼女が余計なことを知ってもいけない。手紙などは私の所に持ってきなさい。さもなくば、世間があの事件を知る事になるだろう。そうなったら、彼女の立場はどうなるだろうね?」


アンナは驚愕した。


(事件を公表しないことを条件に、伯爵位を賜ったのに…!)



しかしアンナは従わざるを得なかった。


これ以上ゾーイが傷つくのを見たくなかったのだ。


ヴァレンティンからの手紙は、ガルシア伯爵へ引き渡した。


しかし時間が経てば経つほど、その行いが正しかったのか分からなくなった。


そしてこれ以上監視役としてゾーイのそばにいられないと思ったのだった。



* * * *



帰る場所などないアンナは、馬車の中で嗚咽を漏らした。


「お嬢様…、どうか、ご無事で。」

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