ゾーイの過去と微々たる隠し事
その夜ゾーイは熱を出した。
夢うつつの中で、ゾーイは幼少期の夢を見た。
それは自分さえ忘れかけていた幼い記憶。
クロエがまだ健在だった頃。
「ゾーイ、転ばないように気を付けて。こちらへいらっしゃい。一緒におやつを食べましょう。」
忘れかけていたクロエの声が優しく聞こえる。
「ゾーイ、お勉強は楽しい?」
クロエはしばしばゾーイのそう質問した。
「はい!知らないことがたくさんあって、とっても楽しいです!」
ゾーイは侯爵邸に来た当時から、魔術の家庭教師が付き、勉学に勤しむ毎日を送っていた。
本来であれば母と共にお茶会に出かけ、友達の一人でも作るような年齢だったにも関らず。
ゾーイの返事を聞き、クロエは安堵したような、悔やむような表情をしていた。
視界が暗転したかと思えば、そこは寝室だ。
クロエが臥せっている。
“あの日だ”
その日、ゾーイはアンナと二人、クロエを見舞うため寝室を訪れていた。
「お母さま、早く元気になって。見て欲しいの。今度は水を操れるようになったのよ。お母さまがいつも言っていたみたいに、きちんと制御も出来るようになってきたわ。
病床に伏す母に必死にすがる。
この頃クロエは、痛み止めのせいでほとんど意識がはっきりしなかった。
ぼんやりとした表情でベッドの天蓋を見つめている。
「ゾーイ…。」
「どうしたの?お母さま。」
ゾーイの声は届いていないようだった。
瞳は酷く濁っている。
「あなたを生まなければ…、…幸せだった。」
誰かに言うでもなく零したクロエの言葉が理解できず、ゾーイは固まり、アンナは息を飲んだ。
「もう誰も死なせないで…。でなければ…。」
クロエはスッと目を閉じた。その日から意識を失い、数日後帰らぬ人となったのだった。
その言葉の意味を、ゾーイは後日知る事になる。
視界が再び暗転し、場面はお茶会だ。
それはゾーイが無意識に記憶の奥底にしまっていた恐ろしい記憶。
そのお茶会は、上級貴族の子どもが顔を合わせる為催されたようなもので、母の死から2年ほど経った頃、義父に連れられ参加していた。
滅多に外に出なかったゾーイは、緊張した面持ちだった。
「おい。よくもそんなに涼しい顔で生きていられるものだな。」
突然後ろから声が聞こえた。
ゾーイは慌てて振り返る。
そこには見知らぬ茶髪に茶色い目の男性と、男性に似た男の子が立っていた。
「お前とお前の母親が瑕疵なくうちを出られたのは、父上のおかげだろう。お前を守ろうとなんてしなければ、叔父上は今も健在だっただろうに。実は母親もお前が殺したんじゃないのか?全く、身の程を弁えて死んだように過ごせよな。」
(私を守ろうとした…?)
ポカンとするゾーイに、男の子は畳み掛けるように言った。
「何も知らないのか?父親を殺しておいて。死んだ母親は、そんなことも教えなかったんだな。後継者にならず縁を切って家を出れば、お前らの責任は問わない事にしてもらったくせに。」
「もうやめなさい。行くぞ。」
父親のような男に連れられ、男の子は蔑みの目を残し去って行った。
そうか。と幼いゾーイは理解した。
なぜ母があんなにも一生懸命に、幼いゾーイに魔力制御を学ばせていたのか。
なぜ長子であった父の娘である自分が後を継がず、母と家を出たのか。
なぜ母は死ぬ前に、あんな言葉を言ったのか。
“私の魔力暴走で、父は死んだのだ。”
「私が生まれなければ、お母さまは幸せだったのね。」
その時から、喪に服すように自分を殺してきた。
(私は幸せにはなってはいけない。だって私は親殺しだもの。)
始めは教会に入り、シスターとして生涯を終えることも考えたが、貴族でなければ学園で魔力制御を学ぶことができない。
ならばこの力で他者を傷つけてしまわないように学ばなければ。
元々学ぶことが好きだったゾーイは、のめり込むように勉強するようになった。
時に時間を忘れるゾーイを、静かに窘めたのはアンナだった。
「お嬢様、温かいカモミールティを淹れました。お飲みになりませんか?」
ハッと顔を上げたゾーイはアンナを見つめた。
「アンナ…。私怖いの。生きているだけで誰かを殺してしまうかもしれないなんて。」
涙ぐむゾーイをアンナはそっと抱きしめた。
「ご無礼をお許し下さい。お嬢様はちっとも悪くありません。防ぐことができない事故というものは、たくさんあるのです。」
アンナの肩に顔をうずめ、声を殺して泣いた。
「お母さま、ごめんなさい。幸せを壊してしまってごめんなさい。」
フッと目が覚めた。ドニエ邸の寝室だ。
起き上がると、頬を涙が伝った。寝ている間に泣いたようだ。
熱は下がったようで、幾分体は軽い。
「久しぶりに…あの夢を見たわね。」
チェストに乗る水差しから水を飲んでいると、昨日見てくれた女医とカーラが部屋を訪れた。
「お加減はいかがですか?」
「熱は下がったみたい。どうもありがとう。」
女医は頬のガーゼや頭と腹部の処置をし、一礼して出て行った。
「痛み止めが効いてるのか、いくらか顔色がいいな。」
カーラの言葉にうなずいた。
「はい。熱も引いて体が軽くなりました。」
「良かった。それでは早速で悪いが、部屋を移ろう。ヴァレンティンが王都に戻ったから。」
ハッとするゾーイは窓を見る。日が傾いているようだ。随分長く寝てしまった。
「辺境伯家にはいくつも隠し部屋があってね。ちゃんと窓もあるし広さもあるから。」
僅かな荷物を侍女に任せ、カーラの後を付いて行きながら聞いた。
「窓もあるのに隠し部屋なんですか?」
「うん。うちの優秀な魔術師が目隠しの魔術をかけているからね。おたくの学園のエリック・ルーでもなければ、あそこは見つけられないだろう。」
「学園長はそんなに優秀な方なんですか?」
「そりゃもう。彼の逸話はいくつもあるが、最も有名なのは5年前のレジスタンスの殲滅だよね。あれで侯爵位を得たから。」
その話は、ヴァレンティンの授業でも聞いたことがあった。
ヴァレンティンはかなりエリックに心酔していて、殆ど神聖視していると言って良く、授業での語りも熱かった。
本来エリックが殲滅戦で使った魔道具についての内容だったが、そんなことはそっちのけで、いかに熾烈な戦いをたった一人で繰り広げたかを語っていた。
そしてそれはゾーイの記憶にも残る歴史だ。
とはいえゾーイは変わらずノーブルにいたし、当時の記憶は曖昧だったので、ひとづてに知る程度だ。
「そんなわけで、ヴァレンティンごときに見つかることは無いから心配するな。」
ニヤリと笑うカーラを見て、ゾーイは苦笑した。
移った部屋は、ゾーイの部屋よりも一回りほど大きく、古めかしい家具の揃った奇麗なものだった。
「ここは祖母が昔使っていた部屋でね。ちょっと家具類は古いけど、不便はないだろう。」
ソファに落ち着いた二人の前に、紅茶が運ばれて来た。
「それで、ゾーイは一体何を探しているんだ?」
カーラの核心を突く質問に、いよいよこの時が来たとゾーイは思った。
(ここまで良くしてもらって、嘘は言えない…。でも…。)
全てを話すには、決意が足りなかった。
「ロッシュ先生が、聖人について調べているのはご存じですよね?」
「もちろん。あの暇人は、この5年ほど飽きもせず調べているからね。おかしな奴だよ。」
「ええと。まあ趣味ですから、おかしいとは思っていません。むしろ…カーラさんは私をおかしな人だと思うかもしれません。」
「そうなの?続けて。」
「今回蘇った聖人は、私の唯一の親友でした。」
そう言ってゾーイは、経緯を語り始めた。
しかし指輪には触れず、教会で倒れ、夢でベラの蘇りを願った事、目が覚めた時に実現していた事、死ぬはずだったかもしれない事を話した。
ゾーイがたどたどしく話している間、カーラは頷くことはしても、言葉を挟まず真剣に聞いていた。
「そんなわけで、私の夢が全く聖人と関係ないとも言えないような気がして…。」
全てを聞いたカーラは、しばらくゾーイを見つめて苦笑した。
「失敗したな。」
「え?」
「いや、それにしても可笑しな夢だったな。その友人は、命を懸けるほど価値のある人だったのか?」
「私にとって彼女は、絶望している時に光を与えてくれた人だったので。」
カーラは静かに頷いた。
「なるほどね。実に興味深い話だ。しかし、まだ先は長いが、一人で調べられるのか?」
「移動や身の安全が一番のネックですから。カーラさんのご協力に感謝しています。」
「そうか。それなら、体調が戻り次第調査再開と行こうか。今は回復に努めなさい。」
そう言って立ち上がったカーラに倣い、ゾーイも立ち上がった。
「ありがとうございます。私事に付き合ってもらってしまって。」
「いや、これは私事にとどまらないかもしれないな。」
カーラのつぶやきが聞こえず、ゾーイは「え?」という顔をした。
「なんでもない。それではまた。私は一旦仕事に戻るから、この通信具を渡しておこう。私の方の魔道具に常に魔力を充填しておくから、何かあったらいつでも連絡しなさい。ヴァレンティンの事は私に任せて。」
そう言ってカーラは、オレンジの小ぶりなブローチを渡した。
「それと、前に渡したアンクレットの魔道具はあるか?」
そう言われて、ポケットに入れていたそれを取り出す。
「ふむ?これは何回くらいで使って使えなくなった?」
「充填した魔力が切れているんですか?えと、7回ですね。7回でリースに着いたので、使えなくなったことには気が付きませんでした。」
「…。」
「カーラさん?」
突然黙り込んだカーラを訝し気に見るゾーイを、カーラはハッと見た。
「そうか?それならまた魔力を貯めておくよ。しばらく預からせてくれ。また行動を起こすときに渡すから。」
「ありがとうございます。何から何まですみません。」
申し訳なさそうに頭を下げるゾーイの頭にそっと触れた。
「気にするな。何だか、妹がいたらこんな感じなのかと、少し面白い気分だよ。」
そう言って笑ったカーラは、ではまた、と言って部屋を後にした。




