ゾーイの疑心とカーラの厚意
ベラとの個人指導の最中、ローブのポケットに入っていた魔道具に異変を感じたヴァレンティンは、慌てて研究室に戻った。
(対の魔道具の蓋が開いたみたいだ。ゾーイが開けたのか?)
すぐさま香水瓶の魔道具で移動した。
そこは狭くて埃っぽい部屋だった。
周囲に視線をやった時、どこからか、ゲホッというせき込む声が聞こえた。
開いた扉の隙間から中を覗き見る。
見知らぬ男が目隠しされた黒髪の女性の頭に足を乗せ、グリグリと踏みにじっていた。
着ているローブは、つい先日会ったゾーイの身に付けていたもののようだった。
そう理解した瞬間、ヴァレンティンの体を、これまで感じたことのない稲妻のような衝撃が走った。
体中から、ほとばしるように怒りの感情があふれ出た。
迷うことなく杖を振る。
ゾーイの頭を踏みにじっていた男の体が、まるでおもちゃのように吹っ飛び、壁に当たった。
「なん…!誰だ!」
口端から血を流しながら激昂する男と駆け寄る女に、氷のような視線を向ける。
「死ね。」
そう言うや否や、振った杖から発せられた閃光をもろに受けた二人は、一度壁に当たって床に倒れ、動かなくなった。
ヴァレンティンは、小さく震えながら固まるゾーイのそばにそっとしゃがむ。
目隠しを外そうと触れた手にひどく驚いたゾーイに、「目隠しを外すだけだから」と優しく言葉を掛けた。
スルリと外れた目隠しの下にあった目は涙で濡れ、頬は床に擦られ真っ赤だ。
それを見た瞬間、そばに倒れる男女の体を更に切り刻みたい衝動に駆られた。
しかしその時、震えながら掠れた声を発したゾーイが、今にも消えそうで思わず抱きしめた。
(良かった。本当に良かった…生きていて。こんなにも傷付いているが…。)
「でも大丈夫です。痛みは引いてきましたし。折れている感じもしない…。」
無頓着に言ったゾーイに、無性に腹が立ち思わず怒鳴ってしまった。
(どれだけ心配したか。頭を踏みにじられて傷だらけの君を見て、僕がどれだけ驚いたか…。)
カーラの屋敷でも、一向に視線を合わせようとしない。
胸の辺りに不快な鈍痛が続いていた。
カーラに急き立てられ退室した後も、なかなか離れることができなかった。
そばに控える侍女に水を持ってくるように指示を出す。
扉の前でノックをしようか思案していたその時、ドサッと大きな音がした。
“まさか倒れたのでは。”そう思ったらいてもたってもいられず、扉を乱暴に開いた。
床に座り込むゾーイを見て、ヴァレンティンは頭が真っ白になった。
(どうして…。?僕に何が出来る?)
ヴァレンティンは、どうしたら良いのか全く分からない自分に失望した。
浴室まで支えた肩は今にも壊れそうなほど細く、力を加えるのも怖かった。
本当なら全快するまでずっとそばにいたかった。
(どうかお願いだから、もういなくなったりしないでくれ。もしまた見失ったら、次は命の保障は出来ないかもしれない。)
そう考えただけで、のどが焼けるような痛み、胸の鈍痛が増した。
痛む胸元の服を右手でグッと握る。
“助けてくれ”と一言言ってくれれば、何だってするのに。
ヴァレンティンはグッと拳を握り、用意された寝室へ向かった。
――――――――――――――――――――――――
ゾーイは簡単に入浴を済ませると、痛む体をベッドに横たえた。
ヴァレンティンの態度が全く理解できなかった。
(まるで本当に心配しているようだった。)
ヴァレンティンはそれほど切実で切迫した表情だった。
しかし、そんなはずはないとゾーイはかぶりを振った。
(そんなはずないじゃない。善意の裏には、必ずしも悪意が無くとも、何かあるものよ。)
いずれにしても、まだ戻れない。
聖人の蘇りにこの指輪が関係しているのは間違いないだろう。
ならばこの指輪が何なのか突き止めなければならない。
(“あの声”の正体だってまだ分かっていないもの。全て分かれば、きっと何かが変わる。)
「先生はお義父さまに知らせるかしら…。」
そうなれば、明日、いや今夜にでもレフェーブル家の騎士たちがやって来るかもしれない。
ゾーイは焦りを感じた。
しかし要塞の街からこっそり抜け出す事なんて、出来そうにない。
そう思ったゾーイは、カーラに話してみようかと考えた。
(カーラさんは私の“家出”を面白がっている風だったわ。それなら、先生にバレずにここを発つことを許してくれるかもしれない。)
居てもたってもいられなくなったゾーイは、部屋の前に待機する侍女に声をかけ、カーラの在室確認と訪室許可をお願いした。
しばらく待っていると、コンコンとノックの音がした。
「ゾーイ、私だよ。用があるというから来た。」
驚いたゾーイは「どうぞ」と声をかけた。
「けが人に来させるわけにはいかないからな。それで、どうした?寝られない?添い寝しようか?」
茶目っ気たっぷりの笑顔を向けるカーラを見て、幾分肩の力が抜けた。
「いえ、カーラさんの添い寝なんて、恐れ多いです。あの…、どうかここを出て行くのを見逃して頂けませんか?このままでは、先生から知らせを受けた義父が私を連れ戻しに来てしまうかもしれないんです。」
カーラはゾーイの言い分に僅かな引っかかりを覚えた。
ヴァレンティンはむしろ自分の為にゾーイを探しているようだった。
“あの噂”だって心底不快そうに否定していた。
ゾーイを連れ戻したとしても、どこかに隠すくらいの奇行に走りそうなほどに。
「あの噂が原因で連れ戻されると?」
「あの噂…ですか?」
「…君がマルア教の悪魔の力を借りてベラ・デュポン子爵令嬢を呪い殺し、代償として魔力を失ったという。」
ゾーイはギョッという表情で固まった。
「そ、そんな噂があるのですか?」
「あぁ、でも王都でまことしやかに囁かれている程度だよ。単なる噂に過ぎない。」
そう言って肩を竦めるカーラを見ながら、ゾーイは必死に考えていた。
(まさかその噂を信じた義父が、処罰を与える為に先生を送ったの…?でも魔力の事はどこから…。)
ゾーイは強く頭を振った。
誰が、とか、何故なんてもうどうでも良い。とにかくここにいてはいけない。
「その噂は初めて聞きましたが、まだ帰るわけにはいかないんです。逃げるのではないのですが、まだやるべきことがあって…。その…。」
酷くしどろもどろになってしまい、怪しまれたかとカーラをそっと見た。
「ふむ。まぁ、協力するのはやぶさかではないが、うーん。ヴァレンティンがな。」
「せ、先生が何か?」
カーラは不安そうな表情のゾーイを見つめる。
(この子、ヴァレンティンの態度に気が付いていないのか?)
「うん。また君を見失ったら、あいつも自分を見失いそうでね。どうしたものか。」
「そ、それはどういう…。いやまさか、もうベラをそんなにも…。」
真っ青な顔で呟くゾーイを見て、思わずカーラは苦笑した。
このすれ違いは何だ。いや第三者的には面白いが。
「よし、それならこうしよう。私が全面協力しようじゃないか。移動や身の安全は任せてくれ。」
ゾーイは瞠目する。
「な…。」
「ヴァレンティンに細かい事は知らせないが、私が協力していることを知れば少しは安心するだろ。」
「でも…、そんな噂があるのなら、私に協力する事でドニエの皆さんにご迷惑がかかってしまいます。それに、カーラさんは私を…信じるのですか。」
「ドニエの地位を舐めてもらっては困るな。王族も簡単には手を出せない実力者だぞ。それに、私は自分の目で見たものを信じるよ。」
自信に満ちた笑みを浮かべるカーラ。
「そう…ですか。でも…。」
笑っていたカーラの顔がスッと真面目になり、ゾーイを見つめた。
「君が何を憂いているのかまでは知らないが、目的を果たすためには嫌でもしなければいけない事があるだろう?君にとってそれは、人を頼る事だ。そうしなければ今回の目的は達成しないと思うが。それとも所詮、その程度の目的なのか?」
厳しい言葉にゾーイは押し黙った。
カーラの言わんとしている事は嫌と言うほど理解できた。
パン!とカーラが両手を合わせる音が沈黙を破った。
「という訳でだ。明後日ヴァレンティンが戻っても、出て行った事にしよう。しかしそのケガだ。治るまでは我が家の隠し部屋で過ごしなさい。」
「わ、分かりました…。」
提案のようでいて、殆ど決定事項だ。
「うんうん。よろしい。それで、一体何を調べるのか聞いても?」
その質問に、どこまで話すべきか逡巡した。その時フラッと眩暈を覚えた。
「おや、熱が出て来たのかもしれないな。この話は後日にしよう。もう寝なさい。」
そう言って笑ったカーラは部屋を出て行った。




