ゾーイの負傷とヴァレンティンの不安
再び静まり返った部屋の外から、かなり賑やかな声が聞こえ、唐突に扉が開いた。
「おい!勝手に私の部屋に入るなって!」
「ゾーイ!大丈夫?こんなにケガをして…!」
「こらイザベル、そんなに慌てるとお腹に障るだろう。…いやいや…、ゾーイ大丈夫か?」
「あわー。ゾーイ、君やばいくらいケガしてるな。大丈夫か?」
そう言って近づくルカを、ヴァレンティンは手で制した。
「あれ?ヴァル?」
きょとんとするルカ。
「あの…お坊ちゃま方…、この方の手当をしたいので、一旦出て頂けますか?」
カルロ、イザベル、ルカは、女医の言葉に素直に従い扉に向かった。
当然のようにソファから立ち上がらないヴァレンティンを一瞥したカーラは、強くその肩を叩いた。
「おい!妻でもないレディの裸を見るつもりか!何とも破廉恥な奴だな!さっさと出ていけ!」
「そ、そんなつもりは…!ただ心配で…。」
「私が付いてる。いなくなりやしない。早く出ていけ。」
カーラに冷たく言われ、シューンという効果音が聞こえそうなほど肩を落としたヴァレンティンは、部屋を出て行った。
「さて、少し見させて頂きますね。服を脱いで頂けますか?」
女性の言葉に従うゾーイ。
その体には、複数の擦り傷と打撲、出血が見られた。
冷静なカーラであっても、眉を顰めるほどに。
特に腹部の痣がひどい。
「腹部の打撲が特にひどいですね。軟膏を処方します。他に特に痛むところはありますか?」
「あの…後頭部が…殴られたようで…。」
「まあ、大きなこぶが出来ていますね。これは痛いでしょう。同様の軟膏を使いましょう。今夜あたり熱が出るかもしれません。痛み止めを処方しておきますね。」
真っ赤な頬に軟膏を塗りたくられ、その上から顔の半分が隠れるのではないかというガーゼが当てられた。
(これでは顔に大けがしたみたいね。)
ゾーイは苦笑した拍子に、痛みで顔を顰めた。
一通りの診察を終えた女医は、一礼して退出していった。
すれ違うように居室に入ってくるヴァレンティンは、大げさなガーゼを見ると酷く顔を顰めた。
カーラの家族は気を使ったのか、姿を見せなかった。
「それで?どうなんだ?」
「ふん、打撲がいくつかひどいものがあったね。腹と頭。今夜あたり熱が出るかもしれんと言っていたから、このまま屋敷に泊まると良い。」
カーラのその言葉に、ヴァレンティンは眉を寄せた。
「そんなにひどいなら、すぐにでもレフェーブル邸へ。自宅の方が落ち着けるだろう。」
「どちらでも?ゾーイに決めてもらおう。」
そう言ったカーラは、ゾーイの方に顔を向けた。
今帰るわけにはいかないと、決意を固めた。
「今夜はここでお世話になります。すみません。せ、先生…、義父には私の居場所は伝えないで頂けないでしょうか…。」
その言葉を聞き、ヴァレンティンは無言でゾーイを見つめた。
「構わないよ。こんなに広い屋敷だ。一人増えたってネズミが一匹迷い込んだのと変わらないだろう。」
何てことはないと肩を竦めるカーラ。
「それでは、僕も今夜はここに泊まらせてもらうかな。」
ヴァレンティンは当然のように言った。ゾーイはグッと押し黙る。
「何だって?お前授業は?明日は無いのか?」
「明日は休日なのも忘れてしまったのか?明後日だって、すぐ戻れるし構わないだろう。」
「どうだろうな?部屋が空いているだろうか?」
面白そうに言ったカーラの言葉に、ヴァレンティンは口端を片方上げ、不敵に微笑んだ。
「ネズミが二匹迷い込んだようなものだろう。部屋なんて腐るほどあるだろうに。」
肩を竦めるカーラ。
ゾーイはこの屋敷の住人ではないのだから、異論を唱えるわけにはいかない。
静かに流れを見守っていた。
「ゾーイ。今は伯爵に連絡をしないでおこう。しかし、僕の目の届く所に。それが条件だよ。」
グッと唇を噛むゾーイ。
「仕方ないな。それではゾーイ、今夜はゆっくり休みなさい。あの扉の向こうが浴室だ。あまり手伝われるのが好きではないようだから、自由に使うと良い。何かあったら外に侍女がいるから声をかけるように。さあ出た出た!ゾーイには休養が必要なんだ!」
追い立てるようなカーラの言葉に立ち上がるヴァレンティン。
彼は最後までゾーイの方を振り返り微妙な視線を送っていたが、ゾーイは目を合わせなかった。
静かになった部屋のベッドで両膝を抱え、先ほどの出来事を振り返る。
“あんなにも簡単について来るなんて、どうしようもない間抜けだ”
(本当にそうだわ。私があんなに簡単に掴まりさえしなければ、こんなことにならなかったし、ロッシュ先生に見つかることも無かった。)
度し難い愚かさだと、ゾーイは唇を噛んだ。
ふと気が付くと、絡まった髪に汚れた手足が目に入った。
「お風呂を借りましょう。」
立ち上がったゾーイは、痛みでフラつき無様に倒れた。どさっと派手な音がする。
「っつぅ…。くぅぅ…。」
愚かで無力な自分が無性に嫌になった。
その時、ドンドンドン!と、どう考えても壊そうとしているとしか思えない勢いのノックが聞こえた。
「ゾーイ!?大丈夫か!入って良いだろうか!?」
逼迫したヴァレンティンの声が聞こえた。
突然のことで言葉を失ったゾーイは、倒れた姿勢のまま固まった。
短時間で痺れを切らしたヴァレンティンは、許可もなく扉を勢いよく開いた。
床に無様に倒れて固まるゾーイを見たヴァレンティンは、眉間に皺を寄せ駆け寄ってきた。
「どうした?痛むところが?」
痛むのはヴァレンティンなのではと疑うほど悲痛な表情だ。
「いえ…、お風呂に行こうとして転んでしまって…。先生は何故ここに?」
その質問に、ヴァレンティンは視線を彷徨わせた。
「いや…、きちんと眠れているか気になって、その…。薬を飲む水も無いかと思って持ってきたんだ。」
水の入ったピッチャーとコップはベッド横のチェストの上にあったし、彼は手ぶらだ。
「大丈夫ですよ。汚れた体をきれいにしたくて。お水もほら。あそこに。」
そう言ったゾーイを、不安そうに見つめるヴァレンティン。
どうしてこんな表情をするのか理解できず、視線を下に向けた。
「そ、そうだね。今日はゆっくり休んで…。明後日は授業があって戻るから、どうか…。」
しばらく沈黙したヴァレンティンを訝しがったゾーイは、そっと視線を上げた。
「お願いだから、どこにも行かずここにいてくれ…。」
ヴァレンティンはゾーイの両肩を弱々しく掴み、俯きながら言った。
「ロ、ロッシュ先生…。」
どう言葉をかけて良いか分からず、ゾーイは口ごもった。
「あ!申し訳ない。あちこちケガをしているのに。浴室まで肩を貸すよ。今日はしっかり休養を取ってくれ。」
そう言って肩を貸したヴァレンティンは、浴室の扉の所でそっと手を離し、退出していった。
「な、何だったの…。」
ゾーイは静かに閉まった扉を見ながら、無意識に強張っていた肩から力を抜きながら呟いた。




