行き詰まりと混乱
目が覚めて次の日は、自宅療養を余儀なくされた。
しかしベラの事も気掛かりだったため、2日後、アンナに無理を言って学園に向かう事にした。
伯爵は、ゾーイが目覚めた日から領地視察のため屋敷を空けていた。
(4日間も気を失っていた、義理でも娘が目覚めたその日に出て行くなんて、よっぽど目覚めたのが不愉快だったのかしら。)
アンナが来るよりも前に目が覚めたゾーイは、自ら制服に着替え始めた。
王立ジルメーヌ魔術学園の制服は、白いブラウスに赤いリボン、紺色のジャケット、ひざ下までのふわりと広がる紺色のプリーツスカートに、下は紺のタイツを履く。
このジャケットは学年によって色が異なり、トーマスは明るい茶色、ソレイユは灰色だった。
概ね着替え終わる頃、アンナがドアをノックし入室してきた。
「おはようございます、お嬢様。お召替えのお手伝いを致しましたのに。髪結いは私に任せて頂けますか?」
ゾーイは久しぶりのこのやり取りに苦笑し、うなずいた。
「数日しか経っていないのに、何だか酷く久しぶりに学園へ行く気がするわね。」
ドレッサーの前に座り、鏡に映るアンナに話しかける。
「お嬢様は入学以来、一度もお休みされたことがありませんからね。」
この国の魔力を持つ貴族の子息令嬢は、15歳から18歳まで王立ジルメーヌ魔術学園で学ぶことが義務付けられている。
魔力制御を学ばず大人になると、魔力暴発の危険があるためだ。
義弟であるソレイユも15歳となる今年、入学している。
この国では、貴族が必ず魔力を持って生まれるというわけではない。
しかも平民に魔力持ちはほぼ生まれないので、魔力持ちはステータスとされ、結婚にも家督継承にも有利に働く。
魔力を持つ貴族令嬢はジルメーヌ魔術学院で学び、卒業と共に然るべき相手と結婚するのが通例である。
ゾーイも、留学中の第2皇子の婚約者候補と目されていた。
ゾーイは今年2年生で、とりわけ優秀な生徒だ。
1年では学年トップの成績を修め、魔力は学園一どころか、現存する魔力持ち貴族の中でも群を抜く。
ゾーイは入学以来一度も会った事は無いが、ジルメーヌ魔術学園の学園長が唯一、この国でゾーイを越える魔力量だと言われている。
自室で朝食を済ませると、馬車に乗り学園へ向かった。
一般的に貴族は護衛を付けるものだが、ゾーイは普段から一人で行動した。
並大抵の者では、ゾーイの魔術に敵わない。
その為、ゾーイが必要ないとアーサーに断ったのだ。
馬車の中から小高い丘が見える。ゾーイは咄嗟に御者に向かってノックした。
「少し寄り道をして頂戴。聖ロムール教会へ。」
馬車は緩やかに上り始め、がたんと停車した。御者に少し待つよう指示し、教会のアーチをくぐる。
「辞めた…??」
見知らぬ牧師を前に、ゾーイは開いた口が塞がらなかった。
青みがかった黒髪短髪で、小ぶりな青い瞳に眼鏡をかけた若い牧師は言った。
「はい。ご家族に不幸があったとかで。でもあの日は聖人の蘇りの奇跡が起こったので、失礼な言い方ですが、それどころではなくて。はは。」
ヘラヘラした顔といい、言い方といい、本当に失礼な男だとゾーイは思った。
「何しろ、聖人の蘇りは200年ぶりですからね。一生に一度お目にかかれるかどうかというものです。仕方のない事でしょう。」
はぁ、とため息をつくゾーイ。唯一の手がかりが無くなってしまった。
仕方なく馬車に揺られ、学園に向かった。
王都にある学園は、王立というだけあってかなりの規模を誇っている。
広さは離宮並とも言われており、建物の入り口に至るまで続く一本道の左右には、豪奢な庭園が広がっている。
広いエントランスは、通学してきた学生が多くいた。
ゾーイが一歩足を踏み入れると、水を打ったように静まり返った。
次第にヒソヒソと話す声があちこちから聞こえてきた。
「嘘でしょう?レフェーブル伯爵令嬢だわ…。」
「退学になったと聞いたのに…。」
さざ波のように聞こえてくるその声に、ゾーイは耳を疑う。
(今のは、私の話…?)
「人殺しが、よく学園に来られるわね。」
思わず声が聞こえた方を振り返る。
噂話をしていたと思われる令嬢が、慌てて顔を逸らした。
訳が分からず、足早に教室に向かう。
2年の教室に入ると、半数以上の生徒が来ており、ゾーイの存在に気が付くとチラチラヒソヒソと囁き合っている。
ベラはまだ来ていないようだ。
(休む前よりも敬遠されているみたい。)
クラスメイトがゾーイを避けるのは今に始まった事ではない。
しかし、“人殺し”などという物騒な言葉を掛けられたことは無かった。
何とか足を動かし、自分の席に座ると少し心が落ち着いた。深く深呼吸をする。
(ダメよ。平常心。心を乱してはダメ。)
「またベラ様を殺しに来たの?」
「魔物を差し向けたんでしょう?魔物を操れるなんて、本当に人間なのかも怪しいわね?」
聞こえてくる囁き声を拾い、ゾーイは甚だ納得いかないが理解できた。
“あの事件”はゾーイの仕業で、それがベラの死因だと思われているのだ。
割り当てられた二人分の幅はある机の下で両手を組み、静かに前を向く。
(何を言われたっていい。私はやるべきことをするだけ。)
その時、教室のドアが荒々しく開かれ、教室の視線が一斉にそちらに向いた。
一直線にこちらに向かってくる男性が視界に入り、ゾーイの心臓は可笑しな挙動をした。
「ゾーイ!お前!どうして!」
「おはようございます。マイヤー様。どうされましたか?」
「…マ?いや、聖人の殺害容疑がかけられているお前が、なぜこんな場所に来ている!」
「何を根拠に仰っているんですか?私はこうして何事もなくここにいますが。」
「お前!よく平然としているな。親友を殺しておいて。」
「私がベラを殺したと?」
トーマスからの叱責に頭がクラクラしてくる。
未だに捨てきれないトーマスへの想いが、胸に突き刺さるようだ。
ゾーイは平静を装い、深く息を吐いた。
「真実を話せ。私は見たんだぞ。あの時。」
“あの事件”の事を考えると、捨て置かれた孤独を思い出す。そしてこの理不尽な物言いに、ゾーイは落ち着きを失いつつあった。
「私が倒した魔物に慄いて、ベラを抱いて逃げて行ったあの時ですか?」
「!?」
「私がやった」「…!やっぱ」
「と言えば、あなたは信じるでしょうし、やっていないと言えば嘘を言うなというでしょう。随分と、その頭は都合よくできていらっしゃるようですね。」
「その減らず口を今すぐ閉じろよ。この…!」
トーマスが手を振り上げた。
「そこまで。マイヤー伯爵家では、女性に手を上げるよう、教育されるのか?」
「誰だ?」
声の方に振り返ったトーマスが動揺し、一歩後ずさる。
「あれは誰…?真っ黒なカラスのようだわ。」
「おい、し、知らないのか?あの黒髪と黒服、紫の瞳…。あれは、エリック・ルー侯爵。学園長だ。」