逃走と次なる目的地
荷馬車を引いて宿を後にするルドルフを見送った二人は、しばし沈黙した。
「さて、この後どうするつもりだい?帰らないなら、目的があるんだろう?」
「はい…。教会へ行こうかと。まずはここまで生き残れたことを、リネー様に感謝しに。」
その言葉を聞き、肩を竦めたヴァレンティンだったが、何も言わずに後を付いて来た。
「あの…、先生。学園はどうしたのですか?授業がおありでしょう?」
「あぁ、心配しないで、授業の合間に来ているから。君の手伝いも授業の合間を縫ってくるから時々向こうに戻るけど、その時は無茶しないんだよ。」
その言葉を聞き黙り込むゾーイの前に回り込み、顔を覗き込んだヴァレンティンは言った。
「分かったね?」
「え、あ。はい。もちろんです。」
教会は図書館の隣にあり、その裏には孤児院も併設されているようだ。
教会に入ると、ゾーイはその規模に驚いた。
ロムール教会よりもずっと大きく、もしかすると王都の大聖堂に匹敵するかもしれない。
天井にはステンドグラスが何か所も設置してあり、入り口から祭壇までの長い床に七色の光を落としている。
祭壇の後ろには大きなパイプオルガンがあり、魔道具なのか、無人で音を奏で続けていた。
「凄く立派ですね。」
「ここが聖人の蘇った場所なのは知っているね?僕の資料を見ただろう。そのお陰もあって、教会と孤児院への寄付金がなかなかのものらしいよ。」
ゾーイは青い顔でハッとした。
資料の事や、落とした魔道具のことをすっかり忘れていたからだ。
「先生、すみませんでした。魔道具を壊してしまって…。それに資料も勝手に…。」
「壊した?あぁ、通信具の事?あれは壊れていないよ。いささかワイルドな使い方をしたみたいだけどね。それに資料も、頭に入っているから別に持っていても構わないし。」
あの量が頭に入っているなんて、やはり優秀な男だとゾーイは思った。
教会には、まばらにベンチに腰かけている人がいる程度で静かだった。
祭壇前にたどり着くと、祈りに来たと説明した手前、一応両手を組んで祈りを捧げた。
しばらくして目を開けたゾーイは、何となしに祭壇に手を触れた。
キ――――――――ン
これまでと比べ物にならないほど強烈な耳鳴りがして、ゾーイは思わず頭を抱えて座り込んだ。
「ゾーイ!?どうした!頭が痛いのか!?」
慌てるヴァレンティンは、ゾーイの横に膝をつき肩を支えた。
《…壊して…。必ず…。ここへ来ては……》
耳鳴りの中に、これまでとは違い、明らかに女性の声が聞こえた。
その声が聞こえなくなると、耳鳴りも止んだ。
ゾーイは恐る恐る顔を上げた。
横からヴァレンティンが心配そうにのぞき込んでいる。
「大丈夫か?ゾーイ。頭痛がするのか?吐き気は?」
「大丈夫です。少し耳鳴りがしただけで…。ええと、でも、今日はもう、宿に戻って休みます。」
宿に到着するまで、心配そうにチラチラとゾーイを見るヴァレンティンに気づかないふりをし、前を見ながら粛々と宿を目指した。
(壊してって、何を?さっきのは誰だったの?)
分からない事の上に更に分からない事が加わり、ゾーイの頭痛の種が増えたのだった。
「僕は明日の午前は授業が入っている。今日のことがあるんだ。君は僕が戻って来るまで、部屋で休んでいるんだよ。」
宿に着き、ドアの前でヴァレンティンが言った言葉に、黙って頷くゾーイ。
そんなゾーイをジッと見ていたヴァレンティンだったが、「それでは明日の午後」と言って帰って行った。
ゾーイは急いで準備を始める。
どちらにせよもう滞在できないのだ。次の目的地を目指さなければいけない。
荷造り、宿の支払い、必要な食料や備品の購入を済ませた頃には、日が傾き始めていた。
(明日の朝一番にここを出なければ。)
次の日窓を開けると、昨夜降ったと思われる雪が積もり、外は凍てつくような寒さだ。
(ルドルフさんの魔道具が恋しいわ。)
ゾーイは白い厚手のニットワンピースに厚手のカーディガン、更にその上にブラウンの厚手のローブを着込み、タイツを履いた左足にカーラから預かったアンクレットを付けた。
“ゾーイ、これは一回地面を蹴ると、10キロは有に飛び越えることができるものだ。魔力を貯めるシステムを搭載しているから、私の魔力を貯めてある。しばらくは持つだろう。どこまで持ったかは…、後で教えてくれ。あと、まだ誰も使ったことが無いから、かなりの距離を飛んで体がバラバラになったら、ごめんな。”
(バラバラになったら、もう文句も言えないわね。魔力切れが…何もないところで起きない事を祈るばかりだわ。)
次の目的地は、12人目の聖人が蘇った場所だ。ここから最も近いのは、7人目だが、そこではすぐ見つかってしまうだろうと考えたのだ。
ゾーイは街の門を出た所で、購入した地図とコンパスで方向を確認した。
“お嬢ちゃん、コンパスの使い方も知らないのかい?旅には必要不可欠だよ“
これらを購入した店の店主は、笑いながら地図の見方と、コンパスの使い方を教えてくれた。
ゾーイは一度強く地面を蹴る。
周りの景色がものすごいスピードで流れていく。
とんでもない風を想像したが、そんなことは無かった。
タッとつんのめるように地面に着いた。そこは何もない森の中。
もう一度強く蹴る。
それを繰り返す事10回、小さな村が見えた。
村の入り口には、“ようこそアミンへ”と書かれた標札が立っていた。地図を開く。
(アミン…、あ、この近くだわ。あの丘の上に見えるのがきっと…。それにしても、随分体が…。)
「んー?こんな辺鄙なところに知らん顔だな。あんた何してる?」
突然の言葉に慌てて振り向くゾーイ。
そこには、馬にしてはいささか小さい、耳の垂れたロバのような何かに乗った黒髪ショートヘアの女性と、それを引く丸刈りの男性がいた。
黒の厚手のローブをきっちりと着込んでいる。
二人とも、垂れた目が僅かに怪訝そうに細められていた。
何もない場所に突然人が立っていれば、不審に思うのも無理はない。
「あ、あの、こんにちは。リースを目指しているのですが…、あの丘に見えるのがリースでしょうか?」
恐る恐る訪ねたゾーイに、ロバのような何かに乗る女性が納得したようにうなずいた。
「あぁ、そうなのかい?あそこに移住を?そう、あそこがリースだよ。」
彼女は、ゾーイを移住目的の平民だと思ったようだ。
(これなら、もういっそこのままひっそりと平民になろうかしら。)
そのあまりにも自由な選択肢に、僅かに胸が躍った。
しかし同時に、自分の背負う十字架に思い至る。
ゾーイは無駄な考えを振り払おうと、頭を振った。
「いえ、リースに、少しばかり調べ物が。」
ゾーイは二人にそう言った。




