ゾーイと辺境伯家
いきなり正体がバレている。
もっともらしい誤魔化しも言い訳も思いつかず、ゾーイの顔は蒼白になった。
「あぁ、気にしないで。私も在学中は、やりたいことをやるためによく欠席したものだよ。アイツも同様にね。3年の時なんて、殆ど行っていなかったんじゃないかな。」
きっとロッシュ先生の事だろう、とゾーイは思った。
「わ、私だとよく気が付かれましたね。」
「髪を染めたくらいでは、骨格や瞳の色ですぐにわかってしまうよ。それにしてもあの美しい赤毛を、こんなにもくすんだ黒にしてしまう染料とは…市井に知り合いでも?」
とんでもなく鋭い洞察力を持つカーラに、ゾーイは絶句した。
「あはは!気をつけなさい、お嬢さん。表情に出てしまっているよ。社交界でそれはまずいんだろう?」
「失礼しました…。ご明察の通りです。平民の知人が街におりまして。」
口元に手を添えながらゾーイは言った。
「ところで、髪まで染めてこんな場所にどうやって一人で?家出かい?深窓のご令嬢にしては大胆だね。その資料が必要なのか?興味を持つにしては…またささやかな題材だな。」
ズケズケと指摘してくるカーラとヴァレンティンが重なって見え、ゾーイは頬を引き攣らせた。
「少し気になる事がありまして…。これもその事に関係するものなので。」
資料に目を落としながら言う。
「それならうちの屋敷においで。原本を見せてあげよう。それにその恰好は…お世辞にも奇麗とは言えないしね。」
肩を竦めたカーラは、“付いて来い”と言わんばかりに身を翻し、歩いて行ってしまう。
逡巡したが逃げようもなく、慌てて後を追いながら司書に本が片づけられていない事を謝罪する。
その様子を、カーラは振り返りながら静かに見守っていた。
ドニエ辺境伯の屋敷は街の東、隣国と接する城壁のすぐそばにあった。
屋敷と言うよりほとんど城で、ゾーイを尻込みさせた。
二人が大きな玄関に近付くと、勝手に両開きの扉が開き、中には若い執事と侍女が控えていた。
「お帰りなさいませ。カーラお嬢様。」
「ただいま。こちらは友人のゾーイだ。この二人は、執事のラファエルと私の専属侍女だったリナだ。」
ゾーイに一礼したリナは、カーラに抗議した。
「お嬢様、“だった”ではありません。なかなかお帰りにならなくとも、私は変わらず専属侍女でございます。」
「あはは、そうだね。それでは私の専属侍女のリナ。ゾーイの身なりを何とかしてやってくれ。終わったら私の部屋へ。それとラファエル、この資料の原本を探して持ってきてくれ。」
ラファエルは恭しく一礼し、去って行った。
「畏まりました。ゾーイ様、お初にお目にかかります。リナと申します。こちらへお越しください。」
ゾーイは、茶色のポニーテールを靡かせ、美しい所作で歩くリナの後に続きながら、視線だけ周りに向けていた。
伯爵令嬢としてのゾーイですら恐縮してしまうレベルだが、今の恰好では、もはや居たたまれない。
ゾーイの部屋の2倍はあろうかという、恐らく客間に通され、入浴の手伝いを申し出られた。
丁重に断り、急いで沐浴を済ませる。
たくさん並んだドレスの中で、一番シンプルな紺のワンピースドレスを選び、着替えを済ませた。
再びリナの案内で、カーラの部屋へ向かう。
彼女の部屋はかなりシンプルだった。
天蓋付きベッド、ソファと楕円のローテーブル、姿見とドレッサー以外のものが無い。
カーラはソファに腰掛け紅茶を飲んでいた。
「あぁ、来たね。私のお古で申し訳ないが、良く似合っている。」
「とんでもありません。このお洋服は後日洗濯してお返ししますね。」
ニコッと笑うカーラは、きれいな本を差し出した。
「さあ、これが欲しがっていた資料だよ。ここで見てもらう分にはいくらでもどうぞ。メモしても構わない。」
そう言ったカーラは、こちらが気を遣わないようにするためか、静かに読書を始めた。
緊張した面持ちでお礼を言い、資料を広げる。
(…。ううん。これだけでは当然、関係性は分からないか。)
難しい顔をしながら書き留めているゾーイに、カーラは声をかけた。
「夕食を食べていくだろう?今日は家族皆いるから、紹介しよう。」
「なっ、いえ、そこまでして頂く理由がありません。宿で待っている知人もおります。それに、私がここにいることは誰にも、義父にも知らせないで欲しいのです…。その…少し仲たがいをして…。」
あまり長居すると、アーサーにも連絡が行ってしまうかもしれない。
「あぁ、家出だもんな。ふふふ。それは楽しいな。それでは、宿で待つ知人も招待しよう。安心しろ。うちの家族は口が堅い。」
ギョッとするゾーイは困り果てて言った。
「いえ、知人は平民のお爺さんなのです。このような場所では恐縮するでしょう。辞退させてください。」
「その人の名前は?どこの宿にいる?ここにはよく平民が出入りするんだ。気にするな。」
(ダメだわ…、この人はロッシュ先生と同じ人種ね。仕方ない…。)
「お爺さんはルドルフと言って、“ネロの宿屋”に泊まっています。」
「よしきた。しばらくこの部屋で資料を見るなりして過ごしなさい。しばし席を外すよ。すぐ戻る。」
そう言ったカーラは、首元から青い下地に、金のドラゴンの透かし彫りデザインが付いたペンダントを取り出すとグッと握る。
その瞬間、彼女は忽然と消えた。
「あ…カーラさんの魔道具はペンダントなのね…。」
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「宿に辺境伯様んとこの騎士が来て、オイラを連行した時はもう、何かの刑を覚悟したね。」
お酒が入り、良い感じに酔いのまわったルドルフがワハハ!と豪快に笑っている。
カーラに招待された夕食の席は、現辺境伯で、カーラの兄であるカルロ、その妻イザベル、カーラの双子の弟ルカ、現在隠居しているカーラたちの父と母であるポールとミッシェル、そしてゾーイにルドルフという、何とも居たたまれないものだった。
しかしルドルフは強靭な精神力のせいか、はたまた単に無神経なせいか分からないが、すっかり場に馴染んでいた。
「ルドルフ、その話はもう3回目だぞ。それより君の魔道具についてもっと聞かせてくれないか?」
そう言ったのはご隠居様のポールだ。
ポールは、肩まである緩くウェーブした白銀の髪を耳にかけ、白い口髭を蓄えた、老人とは思えないがっしりとした肉体を持つ男性だった。
妻のミッシェルは銀髪で線が細く、シャープな顔に大きく存在感のある銀の目が印象的な女性だ。
ルドルフは年齢の近いポールとあっという間に意気投合し、不思議な関係性が出来上がっている。
「あの、ルドルフさん、お酒はその辺にして…。」
恐縮しきっているゾーイは、こっそりと話しかけるが取り合ってもらえない。
ため息を吐いて美味しそうな魚のソテーを見た。
「ゾーイ、見ていても腹は膨れないよ。美味しいから食べてみなさい。うちの料理長は王宮の料理人だったんだよ。」
カーラはとても美しい所作で食事をしながら話しかけてきた。
「カーラにヴァル以外の友人がいたなんてな。滅多にうちに寄り付かないから、ルカが知らせてくれなきゃ生きているかどうかも時々分からないことがあるけど。」
カルロはニコニコしながら言った。
カルロはカーラと同じ銀髪・銀の目だが、クリッとした目が優しそうだ。
その反面、短髪にガッシリとした肉体は、屈強な辺境伯そのものだ。
妻のイザベルは少しふっくらとした美人で、ふわふわの金髪に青の目の持ち主だった。
彼女は現王国の第一皇女で、およそ6年前に辺境伯家へ降嫁してきた。
もしかしたら妊娠しているのかもしれないと、ゾーイは思った。
「ヴァレンティンを友人と言わないでくれって言ってるだろう。アイツとは単なる腐れ縁だよ。」
カーラは苦虫を噛み潰したような表情で言った。
「ヴァルは本当に図々しい。この前だって、2日で通信具を作れなんて言って、本当に訪ねてきたんだ。しかもお礼もそこそこに、すぐ行ってしまったんだよ。」
そう言うルカを見て、ゾーイは合点がいった。
聞き覚えのある名前だと思ったら、以前魔道具研究所でヴァレンティンが用があると言っていた人物だ。
眼鏡が無い事以外はカーラとそっくりだ。
(カーラさんが男性だったらこんな風…、いえもはやカーラさんだわ。双子って不思議ね…。)
ゾーイは無意識に、リュックに入れてきた魔道具を思い浮かべていた。
何とも賑やかな食事の席は、ゾーイにとって落ち着かないものだった。
レフェーブル家のそれは、食器を扱う音が響くくらい静かで、会話も一言二言ある程度だ。
ゾーイは興味深く感じる一方で、この環境に決定的に一線を引いていた。
ゾーイは、もう誰かと親しくなりたくないと感じていた。
恐れていると言っても良かった。
「カーラさんは、どうしてここまで良くして下さったんですか?」
ゾーイは探るように聞いた。
「ん?以前会った時より、数段痩せていただろう。なぜか黒髪だし一人だし。だからだよ。」
「え…?それは…どういう…?」
「心配したってこと。ここで会ったのも何か縁だろう。」
ゾーイは一瞬顔を引き攣らせ、曖昧に微笑んだ。
“心配する”という言葉の裏に、いったい何があるのだろうかと、身構えてしまったのだ。
そんなゾーイの表情を見てカーラは優しく微笑んだ。
(今流れているあの噂の人物と、目の前の人間が同一人物だと…?司書への態度といい、何か引っかかるな。)
カーラはここ数日、王都で流れている不穏な噂について考えていた。




