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ゾーイと旅の始まり

ゾーイの失踪を受け伯爵邸が騒然としている頃、ゾーイはくたびれたローブにすっぽりと覆われ、荷馬車に揺られていた。


捜索に関わる全員が、ゾーイを“深窓のご令嬢”というフィルターを通して見ていた為、市井でのふるまいに長けた彼女を見つけることができなかったのだ。


「寒くないかい?奥の方にいるんだよ。」


御者のお爺さんが言った。


コンコン、と荷馬車をノックし返事をするゾーイ。



* * * *



ゾーイは幼い頃、よく隠れてノーヴルの街へ出かけていた。


この街は王都への出入りの最終中継地点のような役割があり、様々な荷馬車が出入りしている。


その荷馬車の御者と仲良くなると、色々な事を教えてもらえた。


“遠くに行きたいなら、乗り合い馬車より荷馬車”“御者を選ぶなら若者よりじいさん”


運賃も安く済む上、隠れたい場合にも最適だった。


しかし、ゾーイの恰好は市井では目立ちしすぎる。


ある時、仲良くなった街の小料理屋ヴェリントの女将マリーに注意されたことがあった。


「ゾーイ、あなた気を使っているようだけど、もう少し小汚くした方が良いわね。ご令嬢のオーラが出てしまっているよ。すぐに誘拐されてしまう。」


ゾーイがどこの令嬢だか知った上で、それを気にせず親身になってくれた。


どのような恰好が良いのか、わざわざ街の古着屋に行き服を見繕てくれ、ヴェリントの2階の小さな部屋で、美しい髪を町娘風に仕立ててくれた。



* * * *



(あの小料理屋はまだやっているかしら…。)


ゾーイは屋敷を出て一番に、記憶に残るそこへ向かった。


見覚えのある小料理屋の看板がある。


扉の前で懐かしさを感じていると、後ろから声を掛けられた。


「こんな早い時間に誰だ?まだ店開きじゃないよ。んん……?ゾーイ?」


ふり返ったゾーイを見て目を見開いたのは、記憶に残るその顔よりも幾分老けたマリーだった。


一つにまとめた黒髪には白髪が混じり、切れ長い黒目には、以前はなかった眼鏡をかけている。


「あらら、随分と美しいお嬢さんになって!いつから会っていないかね!お転婆は封印されたと思っていたが。」


「女将さん!ご無沙汰しています。」


マリーは開店前の店にゾーイを通し、お茶を出しながらからかった。


「また街に散策に来るようになったのかい?あの頃は、家が窮屈だとか言って下りてきていたけど、学校や社交界もあんたにとっては狭い世界なのかね?」


「恥ずかしいわ…。まだ子供だったんです。女将さん…私、これから少し長い家出をするの。」


ゾーイは両手で包むように持ったティカップに視線を落とす。


マリーはゾーイの向かいに腰を下ろしながらゾーイを見つめた。


「うちの息子も、小さい頃家出をすると言って、2軒先の爺さんの所で3日間隠れていたことがあったなぁ。」


懐かしむように笑って腕を組んだ。


「大人になったゾーイの家出は、何か重要な意味がありそうだね。」


「ええ…。きっと行かなければ、後悔するような気がするんです。」


切実なゾーイの顔を見て、マリーは目を細めた。


「随分大きくなったようだから、私の服が着られるだろう。何着か持っていくといい。しかし、そんなお奇麗ではなぁ。ふむ。市井の染料で良ければ、髪を染めてやるよ。黒が目立たないだろうね。平民には多いから。」


そう言って立ち上がったマリーは、テキパキと準備をし、あっという間にゾーイの髪を黒に染めてしまった。


市井の染料のおかげで艶がすっかりなくなった髪は、街に入れば雑踏に紛れてしまうほどありふれたものになった。


マリーが貸してくれた服は、茶色いふくらはぎまであるワンピースに前掛けを掛けたもの。


お古のロングブーツと厚手のローブもおまけしてくれた。


「女の一人旅はもちろん危険だ。でも下手に男装するよりも、堂々としていた方が変な目で見られない。」


もっともな意見だと思った。


明らかに男装していれば、訳アリだと思われるだろうと。


「さて出来上がりだ。早く出た方が良いだろう。荷馬車に乗っていくのかい?」


「ええ、お爺さんの荷馬車に。東に向かうの。」


「それなら、さっき仕入れの時に見た爺さんが良いだろう。あいつはこれからイレールに帰るだろうから。」


イレールは、目的地であるバトラと、ここノーヴルの間に位置する小さな村だ。


「マーケットにいる紺色のコートを着て、白髪を一つに結んだ爺さんに声を掛けな。良く知る人だし、悪人じゃない。店と私の名前を出せばわかるだろう。」


頷いたゾーイは立ち上がり、マリーを恐る恐る伺う。


(女将さん…、何も聞かない…。)


「わたし…。」


ゾーイは無意識に両手を組んで強く握った。


「お、お金を…。色々良くしてもらったから。」


口ごもるゾーイに優しく微笑みかけるマリー。


「長い旅になるんだろう。持っておきなさい。帰ってきたら、また飯を食べにきておくれ。」


足元に視線を落とすゾーイ。


深々とお辞儀をし、立ち去ろうとするゾーイの背中に声がかけられる。


「ゾーイ、必ず無事に帰っておいで。あんたの帰りを待っているから。」


ヒュッと息を飲み、ゾーイは振り返って曖昧に微笑んだのだった。




マーケットでお爺さんを見つけ、ゾーイがノーヴルを出た頃、伯爵家からは多くの騎士が街の四方に散っていた。


しかし、夜明け前に屋敷を出たゾーイを見た者はおらず、マーケットでは既に黒髪になっていたゾーイに気が付く者もいなかった。


捜索範囲はノーヴルの街全体だったので、もちろんヴェリントにも騎士が来た。


しかしマリーは知らぬ存ぜぬを通した。


(伯爵様、申し訳ないが、私はゾーイの味方だ。大丈夫、大丈夫と言って、我慢ばかりしてしまうあの子に、きっと何かあったのだろう。あの目は、母親が死んだ時のようだった。とにかくあの爺さんがいれば、あの子は安全だから。)


こうしてゾーイは、誰にも知られる事無くノーヴルの街から消えた。

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