トーマスと歪んだ感情
トーマスは、ゾーイを本当に妹のように思っていた。
幼い頃から付き合いがあるのはもちろんだが、お転婆だったゾーイが、自分の言葉によって淑女らしくなったと感じていたトーマスは、ほの暗い優越感も抱いていた。
ある時、トーマスすらまだ知りえない魔術に興味を持っていたゾーイに、なぜか焦りを覚えた。
屈託なく笑うゾーイを、とても遠くに感じてしまったのだ。
「ゾーイ、色々な事に興味を持つのは素晴らしい事だが、君もそろそろ貴族のご令嬢として、落ち着きを持った方が良いかもしれないね?」
トーマスは、“妹”であるゾーイが自分を越えてしまうのを恐れたのかもしれない。
「そ、そうかしら?トーマスは、落ち着いた女性が好きなの?」
ゾーイが自分に少なからず好意を抱いているのには気が付いていた。
「そうだね…、まあ、大人になっても落ち着きのない人よりは、落ち着いた人の方が好ましいかな。ご令嬢に必要以上の魔術は不要だしね。」
その言葉に、ゾーイは衝撃を受けたようだった。
ある時から、次第にゾーイは自分の感情を抑え、おとなしい淑女を装うようになった。
その変化がトーマスを安心させたのだった。
ゾーイが学園に入学した日は、トーマスにとって運命の出会いの日だった。
たどたどしくカーテシーをし、太陽のような笑顔を向けたベラから目が離せなかった。
クリッとした大きな目に、温かい髪色。一目惚れだった。
屈託ない笑顔、利発な性格。どれも見ていても好ましいものだった。
それがかつて、ゾーイに抱いていた感情だとは気が付くはずもなく。
自分で何でもするが、それは決してトーマスを越えるものではない。
トーマスを不安にするほどの有能さはない。
ある意味“自分にとって都合の良い”自分を飾り立てる装飾品。
そんな内なる思いに無意識に蓋をして、トーマスはますますベラに思いを寄せて行った。
学園生活を送る中で、ゾーイがベラを虐げているという噂を耳にするようになった。
ゾーイと長い付き合いのトーマスは、始めその噂を信じなかった。
しかし次第に疑いを持ち、ある日の出来事がトーマスの考えを変えてしまった。
「ベラ、どうして森の深くに行ってしまったんだ。」
任意の野外演習の日、中級の魔物に襲われたベラはケガを負い、意識を失った。
急いで学園の救護室へ駆け込むと、医務員は大したことのないかすり傷だと、処置してさっさと部屋を後にした。
その後意識を取り戻したベラに問いただしたのだ。
「あ、ゾーイが、どんどん行ってしまって…。その、気が付いたら…。」
ベラは何かを隠すように苦笑した。
「やっぱりゾーイの勝手な行動だったんだな。はぁ。認められたいからってベラも巻き込んで…。」
「ゾーイを責めないであげて。あの子は…少しかわいそうな子だから。」
「ベラ…。まさかとは思うのだが…、ゾーイが君を、軽んじているという噂は、本当なのか?」
ベラはハッとした顔をし、眉を下げてほほ笑むだけだった。
その表情にトーマスはかっとなった。
「ゾーイに俺から言おう。君も距離を置いたらいいだろう。」
「いえ…。ゾーイは…私の友達だから…。」
はっきりは言わないが、ベラはゾーイに友人がいない事を憂いているのだと感じた。
「ベラ、君の優しさは美徳だが、自分を大切にしてくれ。君に何かあったら、俺はどうしていいか分からないよ。」
ベラは苦笑するだけだった。
そんなやり取りがあった後だった。ベラの死。その出来事は、トーマスの何かを壊すのには十分だった。
あの日トーマスは、ゾーイに死ねと言ったも同然の言葉を吐いた。
(あんな風に叱責するつもりはなかった。あの時、何故手なんて上げてしまったのか。)
ベラが生き返った事に安心した一方で、ふと後悔した。
しかし、“二度とベラを失いたくない、ゾーイは脅威だ”と頑なになってしまった心は、そう簡単にほぐれるものではなかった。
エントランスでも、元気そうな彼女を見てほっとしたが、言うつもりもなかったような言葉が口から飛び出し、トーマスは焦ってしまった。
あの時ゾーイは、本当にベラを心配しているようだった。
しかし、言ってしまった言葉をなかったことには出来ず、逃げるようにあの場を去ったのだ。
(今度会った時謝ろう。彼女なら気にしないだろう。)
そう思ったトーマスの元に、信じられない知らせが入る。
ゾーイが体調不良による無期限の休学。
何故かどうしようもない焦燥感を覚えた。もう彼女に許してもらう機会を得られないような焦り。
しかしそんな思いとは裏腹に、行動を起こすことも出来ずにいた。
そんな時、いつも一緒にいたベラが王宮に呼ばれたのだ。
聖人となったベラは、既に何度か王宮に呼ばれていた。
彼女が王国にとって重要な存在になるのは当然だろう。
しかし、一心に考える存在がいなくなると、途端に心の片隅で燻っていたゾーイの存在が気になって仕方なくなった。
一体どこが悪いのだろう。休学するほどだ。友人として訪ねていくのは不自然でないのではないか。
そう思ったトーマスはいてもたってもいられず、ゾーイの屋敷に向かった。
トーマスは、そこで目を疑う光景を目にする。
「先生、この魔道具について、今度お話を聞かせて頂けます?」
そう言った彼女の笑顔は、かつて自分に向けられていたものだった。
トーマスの心臓がおかしな程バクバクと拍動した。
「心配してきてみれば、教授と逢引とはな。」
想像以上に冷え切った声が、ゾーイを委縮させたようだった。
(しまった。こんなことを言いたいわけではないのに。)
謝りたかっただけだった。
(体調が悪かったのではないのか?なぜ見ず知らずの教授なんかと…)
“マイヤー様 私はもう関係ありません”
(マイヤーだと…?いつからそんな風に…。あの教授のせいか…?)
ゾーイは、教授に促されるまま、トーマスの方を向くことなく屋敷へ消えて行った。
しばらく呆然と立ち尽くしていたトーマス。
「クソっ!」
悪態をつき、足早に立ち去った。




