23-3その後 もういい、どうせ変態だ
(まずい、まずいぞこの格好では)
横になる自分、覆いかぶさるシーナ。眠ったまま、彼女は動かない。
事故だ。故意的なものではない。事故だ、事故……
―――
「あなたがくれたんだって、嬉しかった……嬉しかったのに……なくしちゃった」
どれくらい時間が経ったか分からない。
ぽろぽろ涙をこぼした彼女のしゃくりあげる声も落ち着いて、シーナは大人しくなった。そっと顔を覗き込むと、眠っている。
僕に身を預けて、寝息を立てていた。
ふぅ。と、息を吐く。
(落ち着け、落ち着け)
自分に言い聞かせる。いま僕がするべきことは何だ。そう、彼女を寝台で休ませることだ。
(そうだ、運ばなければ)
背に沿わせた方の手はそのまま、頭を撫でていた手を膝下へ入れる。体勢を整え、グッとシーナを持ち上げた。
コテンと、顔を胸元に付けてくる。
(……平常心だ。平常心)
狭い部屋だ。数歩、足を運べば良い。
きっちり六歩……寝台の前でしばし佇む。そのままクルリと後ろを向いた。入り口の扉まで歩くと、方向を変えてまた寝台へ向かう。
(な、何をやっているんだ、僕は)
自分で自分がわからない。わからないが、もういい。何でもいいから、彼女の体温を感じていたかった。
十周か、もう少し。クルクルと、ただ部屋を回って、ようやくシーナを寝台へ下ろした。掛布をそっとのせる。
手ぬぐいを絞り、彼女の目元から頬と、首まわりまで拭いた。もう一度水を含ませて、今度は彼女の額の上へ置く。
頬が赤い。そっと触れると熱かった。熱は下がっていないようだが、苦しそうではない。医者を呼ぶか迷ったが、一旦は、このまま寝かせておくことにした。
ふたたび、息をつく。
彼女は何と言ったか。「あなたがくれた」「嬉しかった」と言った。空耳ではない、そう言っていた。
(リヒタインではない。付け毛は僕が用意したものだと、彼女は知っていてくれた)
知った上で、大事にしてくれていたのだ。知った上で、なくしてしまったことを悲しんでいた。あんなに一生懸命、探そうとしてくれた。
疑われたままだと思っていたはずだ。ほんの数日前まで、僕に殺されるかもしれないと不安がっていた。それなのに、「僕からの贈り物」だと知っていて、それを「嬉しかった」と言った。
ということは、つまり……
(ど、どういうことだ?)
怖がっていたのではないのか? 嫌われていたのではなかったか?
(いや、しかし、嘘やおべっかを言っているようには見えなかった)
すうすうと、落ち着いた寝息が聞こえる。
……同部屋での護衛を、他の騎士に変えろと言ってきたのを思い出す。とんでもないことだ、こんな無防備な寝顔を他の男に見せるなど。このあたたかい寝息を他の男に聞かせるなど。僕以外、我慢ができるとは思えない。
寝台からそっと離れる。
衝立を越えて、自身が寝床にしている寝台の方へ向かう。掛布の上には洗濯された寝巻きが置いてあった。
「……」
ああ、僕は、真正の阿呆だ。
彼女に何て言った? 「衝立を置いてやる」と言ったのだ。春祭りの『確認』の時のことを思い出す。
『確認』で、どんなことをするのか知っていた。にもかかわらず「同席しなければならない」などと無神経な発言をして、さもありがたそうに「衝立を置いてやる」だと?
両の手で、顔を覆う。
(何様のつもりだ。蹴とばして、殴るだけでは足りない。もういっそ、自分を絞め殺してやりたい)
グロリアが止めてくれて助かった。本当に。
もし、うっかり衝立の向こうの会話でも聴こえてきたら、なにがしかの音や声が漏れ聴こえてきたら……
シーナが「泣いて叫んでわめく」と抵抗したのは当たり前だ。『変態』と罵った彼女は正しい。
パサリ
衣ずれの音と、何かの気配がした。そっと衝立の向こうへ視線をやる。
もぞもぞと、彼女は起きようとしていた。枕もとの、水差しの方へ手を伸ばす。が、届かずに、そのままぺしゃりと寝台へ沈んだ。
慌てて駈けより、倒れ込んでいるシーナの身体を起こす。意識が定まっていないようで、目は半分の半分しか開いていない。
僕はしっかりと彼女を抱えると、自分に寄りかからせるようにして支えた。唇にコップを寄せる。ゆっくりと、ひとくち。少し休憩して、もうひとくち。
敷布の上に落ちていた手拭いを拾い、タライの水にひたす。もう水は冷たくもないが、ないよりましだろう。先ほどと同じように、頬と首元をそっと拭う。
(横にさせてやらないと)
座るような体勢では休まらないだろう。ずるずると、身体を下げてやる。
「……ん」
(うっ!)
突然、シーナがこちらに倒れ込んできた。
僕の胸のあたりを枕にうつ伏せになると、右手を回してくる。少しもぞもぞしていたが、体勢が落ち着いたのか、動かなくなった。
(まずい、まずいぞこの格好では)
自分も横になった状態で、彼女が上から被さる。動けなくなった。
脈が早い。わかっているが、止められない。
あんまり早く心臓が打つから、振動でシーナが起きてしまうのではないかと焦る。……だが、杞憂だったようだ。しばらく経っても穏やかそうな顔で眠っている。
これは事故だ。故意的なものではない。事故だ、事故……
(そう、動けないからだ。彼女を起こしたらいけないから動けない。だから、仕方なく、この状態でいるだけだ)
頭の中でグルグル考える。万が一、誰かが入ってきたらそう言おうと決めて、何度も何度もセリフを反復した。
シンと、静まり返る。シーナの寝息と、自分の鼓動しか聞こえない。シーナの身体はじんわり暖かく、どこも柔らかい。
(……君だって、こんなにふわふわしているじゃないか)
起きたらそう言ってやろうか。
サラのことを随分と褒めていた。ふわふわして美しい髪を持つと。僕からしたら、君の方がよほどふわふわだ。暖かくて、柔らかくて、身体中どこを触ってもふわふわしている。髪は……今は短いが、艶やかで、サラリと美しい。
そっと、シーナの髪をすく。撫でるように手櫛を入れると、パラリと髪が落ちる。
うつ伏せ寝をした彼女の、白いうなじが見えた。髪をすく度、ついでにそこにも触れる。ああ、正真正銘の変態だ。もういい。どうせ変態だ。
何度、そうしたかわからないほど繰り返し、ピタリと止める。そのまま手をシーナの背に回した。身体の力を抜いて、彼女の髪に顔を沈める。
本人の了解も得ないまま、抱きしめている。
してはいけないことだ。わかっている。
(もう、いい)
彼女の目が覚めたら、殴られよう。好きなだけ罵ってもらって、そうして、今度はきちんと謝るのだ。
そう決めると、逆に心が落ち着いた。
思いきり、息を吸う。夕方に清拭を受けたのか、彼女自身から香るのか、汗ばんでいるにも関わらず良い匂いがする。甘い。
背に回した腕に力を込める。起きてしまうなら、それでも良い。覚悟をしたが、彼女はすうすうと眠ったままだ。
眉が下がっている。安心してくれているのだろうか。寝顔が、たまらなく、かわいらしい。
どんなに幸せだろうか。毎日こうしていられたら。
部屋に戻るとシーナがいる。寝巻き姿を、僕だけに見せる。少し恥ずかしがりながら「お帰りなさい」と微笑み、「お疲れ様です」とねぎらってくれる。
そんな、新婚夫婦を彷彿とさせるような先ほどのやりとりを思い出した。
もしもあれが日常になったなら。毎日、シーナを抱きしめられたなら……
(どれだけ、僕は、幸せだろうか)
起こり得ない、都合の良い未来を想像する。目の奥が熱くなって、もう一度、シーナをぎゅっと抱きしめた。