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焦っていた。
いつもより早足で歩く。
石造りの床と靴の踵が当たるたびにコツコツ音が響く。窓の少ない建物のようで、昼間だというのに廊下は仄暗かった。
(この階段は……?)
場所がわからない。自分が生活しているはずの聖教会の建物の中で、シーナは迷子になっていた。
「何でこんなに、どこもかしこも同じような見た目なのー!」
ひとまず階段を降りることにした。建物と建物を空中階でつなぐ渡り廊下を歩いてきたのだが、こちらの棟に入ってからはちんぷんかんぷんになった。
保安上の観点からか、そのような習慣がないのか不明だが、聖教会には館内図が存在しなかった。いや、あるのかもしれないが、シーナのような下働きの使用人の目には触れることがなかった。
建物の構造は口頭でうけた説明を頭に叩き込み、実際に自分で歩いて記憶していくしかない。
それでも、普段の生活を営む上で困ったことはなかった。そう、なかったのだ、先日、王都からたくさんのお客様たちがいらっしゃるまでは。
シーナは大きなため息をついた。
地上階まで出れば、自分がいる場所のアタリがつくかもしれない。とにかくこの荷物ーー洗濯物ーーを無事に届けなければならなかった。
シーナは気合を入れると、洗濯籠を三つ抱え直す。
回収された洗濯物は、キレイにアイロンを当てて畳まれ、行きと同じように洗濯籠に納められた状態で元の部屋に届けられる。
服も寝具もなかなか重量があるので、洗濯係の女性たちは一度に一つか二つの籠しか運べなかったが、シーナは三つまとめて持てた。
(劇団の搬入出や、イベントの会場設置バイトでの経験がここで活かされるとは)
洗濯籠には建物の名前・階数・部屋番号が書かれた札が取り付けられていた。
建物の名前は大して数が多くないのですぐに覚えた。
階数の数字は問題がなかった。ローマ数字だったのだ。
一は縦棒が一本、二は二本、三は三本、五がアルファベットのVで、手前の四はVの前に縦棒が一本、五の後ろの六はVの後に縦棒が一本。実家の時計はこの表記だったので非常に助けられた。五十以降はローマ字のLやCが出てきて馴染みがなかったので覚えるのに少々手間取ったが、これも慣れた。
石造りの建物のうち、シーナが通って良い場所はせいぜい五、六階くらいまでだった。上の階へ行けば行くほど、位の高い方がいらっしゃるらしい。
王都からお客様たちがいらして以来、洗濯係はにわかに忙しくなった。
春祭りのために来東した一団は祭事係の巫女や楽団だけでなく、王都の司祭、祭事に関わる文官、大量の荷を運ぶもの、舞台の調整全般をする道具係や、旅そのものを仕切るものがいた。そしてなによりも大勢いたのが、巫女や祭事用の高価な品を警備する護衛たちだ。みんなまとめると二百名ほどはいるのではないだろうか。
だが、あいにくと洗濯係はつれてきていないようだ。滞在中の彼らの世話は東都聖教会の使用人たちで賄っている。
(どうして、階段の場所が一つの階ごとに変わっちゃうのーっ)
降りてきた階段は、ひと階分下がるとそれ以上続かなかった。歩いて、別の場所にあるはずの降りるための階段を探さなければならない。まるで、子供の頃に連れて行ってもらった忍者屋敷のようだ。
今朝、洗濯物の回収の時は同僚たちと連れ立って移動した。すぐに覚えられると思ったのに、どこで間違えてしまったのだろう。
(もう少し人が歩いていてもいいじゃない、昼間なんだから)
他の建物では、使用人や修道士、礼拝や仕事での来訪者など昼間は多くの人が行き交っている。こんなに誰ともすれ違わないことはなかったので、それも、シーナを不安にさせた。
(ダメだ、休憩)
洗濯籠を廊下の端に置くと、隣に座り込んだ。頭の中で通ってきた道を反芻する。
渡り廊下を渡って、まっすぐ。一つ目の階段を登って五階を目指した。一つ上の四階までしか登れなかったのでまたまっすぐ歩いて、あとは降りて登っての繰り返しだった。
登るべくは、一つ目の階段ではなく二つ目の階段だったのかもしれない。いやそもそも渡り廊下を渡った後はまっすぐ進むのではなく右に曲がるのだったろうか?
わからない。シーナは頭を抱えた。
(……よし、戻ろう)
こんなに時間をかけたのに、洗濯籠を持ったまま戻ったらきっとベラに怒られるだろうが、ここで誰にも会えずに時間を無駄にするよりはマシなように思えた。甘んじて怒られよう。
シーナは立ち上がった。籠を抱えようと横を向いた時、首元に何かが当たる感触がした。
(……?)
冷んやりする。振り返ろうとすると、冷たい声がした。
「動くな」
男の声だった。聞いたことのあるような声だったが、誰のものだったか思い出せない。
(誰だっけ?)
「お前、やはり間者か」