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「あっっつ! あーーーーっつ!」

「ちょっと、焦さないでよ! 絶対焦さないでよそれ!」

「だ、大丈夫です、だいじょぶ、こげてない」

「あんたやっぱまだだめ! 上等なのに触るのは百年はやい!」


 マイラがシーナの手から布をぶんどった。


 シーナがアイロンを当てていたのは、少し位の高い修道士の寝巻きだ。

 外出着ではないからと、素材の良い服も扱わせてもらい始めたところだったが、失敗しかけてしまった。


 洗濯がひと段落した午後は、部屋の中でアイロンがけをする。

 速乾素材も、形状記憶素材もない。気休めにパンパンと手で叩いて干すが、どうしてもシワが寄った。


 この世界にもアイロンがあった。

 見た目はシーナが元の世界で使ってたものと似ていたが、使い方にコツがある。熱して伸ばす仕組みは同じだが、電気がないので別の火種を使わなければならない。

 三角形の金属でできたアイロンに、炭を詰めるのだ。


 劇団では衣装の手伝いもしていたので縫い物もアイロンがけも不得意ではないのだが、ここでは温度の調節がうまくできない。

 炭が少なければ温度が低くて生地が伸ばせないので、適度に詰めなければならないが、どうしても高温になりすぎる。当てて離して、をテンポよく繰り返す必要があった。

 初めてのアイロンがけは、自分のシーツだった。見事に焦がした。


「百年かぁ」

「はっはっは! 百年経つ前に寿命だわ」


 ベラが豪快に笑う。焦がした時には怒られたが、今回は未遂なので笑顔だ。


「はい、お前さんはもうしばらく、平たい布で練習さね」


 お仕着せの前掛けの山を渡される。

 シーツより小さくて、通常の服より凹凸が少ないのでアイロンを当てやすかった。こちらの世界でも下積みのようだ。


「それが終わったらボタンつけだからね。ちゃっちゃと終わらせな」


 当てて、離す。


 当てて、離す。


 焦がす心配さえなければ、アイロンがけは好きな作業だ。くしゃくしゃな布をピンと張らせのは達成感があったし、何より無心になれた。


 当てて、離す。単調な作業を丁寧にこなすことで余計なことを考える隙間がなくなるのは、良いことだと思えた。




 ボタンつけの半分が終わった頃、洗濯物の様子を見てくるように言われた。乾いていたら取り込む時間だ。


 物干し場へ出ると、奥の広場に何やら大勢の人が集まっていた。こんな裏庭にめずらしいな、と横目で見つつ厚手の服を触って確認する。


(うーん、まだもう少し)


 シーツから順次取り込むことにする。アイロンがけをしていたのは二階の隅の部屋なので、庭の様子が窓から見える。作業をしていればじきに他の皆も降りてくるだろう。


 薄手のシーツはすっかり乾燥していた。またこれもアイロンがけをしなければならない。



 

 洗濯籠を間違えないよう丁寧に取り込んでいると、背中に衝撃があった。


「見つけた! あなた、ここにいたのね!」


 抱きついて、弾けそうな笑顔でシーナを見上げたのはサラだった。


「うわっ! え、サラさん?」

「よかった、もう会えないかと思ったわ、きちんとお礼もできないままで困っていたの」

「お礼なんて……」


 驚いたような困ったような、情けない声が出る。


「それよりサラさん、どうやってここへ? ここはお客様がお越しになるような場所ではありませんよ?」


 もしや、また迷子だろうか? 


 先日サラを迎えに来た青年ーーイーサンと言ったかーーを探した。裏庭の奥に集まっていた大勢の中には、見当たらないようだった。


 多くの若い女性と、年齢の高そうな女性と男性がいる。男性は高位修道士のようだった。


「ねぇ、お名前を教えてくださる?」

「あ……」


 名乗ってよいか、迷う。


 先日の様子から、マイラは関わらない方が良いと判断したように見えたからだ。けれど、ここで答えないのもおかしい気がしたので、素直に教えることにした。


「シーナと言います。この聖教会で洗濯係をしています。先日は、ご無事で何よりでした」

「シーナね、すてきなお名前! 私はサラよ。王都の大聖教会から来たの。あちらにいるのは一緒に来た祭事の巫女仲間よ。来て、紹介するわ」


 サラはにこにこしながらシーナの手を引く。強い力ではなかったが、拒否できなかった。


「皆、聞いてちょうだい。このあいだ街へ着いた日に、私が迷子になったことがあったでしょう? その時に怖い人たちから私を守ってくれた方よ。こちらの聖教会で働いていらっしゃるんですって。シーナよ」


 サラが紹介すると、皆がざわつきながらシーナを見た。


 年齢の高そうな、上品な女性が笑顔で近づいてくる。


「まぁ何という偶然でしょう。ここで再会できるなんて、きっと神の尊きお導きです」


 女性は三本の指を胸に手を当てると目を伏せ、口の中で何かを唱えた。


 こちらの世界では、神に感謝をするとき、こうして祈りをささげる。


 祈念や神との誓約の際に唱える言葉は何種類かあるようで、同僚から一つ二つ教えてもらったが日常会話の言葉ではなかったので忘れてしまった。少し、長いのだ。

 キリスト教の「アーメン」や、仏教のどこかの宗派の「南無阿弥陀仏」くらい短かければ覚えられたのに。


「シーナ様、素敵なお名前ですね。先日遠目で拝見しておりましたが、こうしてお会いできて光栄です。サラ様と同じ巫女をしております、オスティンと申します」


 若い女性たちの中で一番背の高い女性が、一歩前へ出て挨拶してくれた。自分と同じくらいの背丈だろうか。


(ずいぶん、ボーイッシュな人だな)


 伸ばした金髪をさっと一つにまとめ、後ろで縛っている。無造作そうに見えるが、涼しい目元に爽やかな印象の彼女には似合っていた。

 他の女性たちは皆スカートを着用しているが、オスティンはズボンを履いている。女性がズボン姿になるのは、本格的な乗馬や庶民の長旅の時くらいだと聞いていたので驚いた。

 この後、馬で出掛けるのだろうか。


「初めてお目にかかりますオスティン様、シーナと申します。東都聖教会で洗濯係をしております。王都からお越しになったとサラ様から伺いました、皆さまを歓迎いたします」


 空気を読んで「様」付けにした。サラがちらっと視線をやったが、気づかないふりをした。あいさつはこんな感じで大丈夫だろうか。


 会話に丁寧さが必要な時は、何度も読んだシェイクスピアやギリシャ劇の戯曲を思い出してマネするようにしている。


 洗濯係程度の返答としては及第点だったようで、年齢の高い女性の笑顔が少し柔らかくなった。


「グロリアと申します。王都大聖教会、祭事係の奉納舞台担当をしております。主に巫女の皆様の統括を担っております。この度は大所帯で二週間ほどの滞在になりお騒がせいたしますが、どうぞよろしくお願いします」

「奉納舞台?」


 まさかの「舞台」という単語が出てきて驚いた。


「十日後に東都で春祭りがあるでしょう? その時に私たち祭事係の巫女で劇を奉納するの。春祭りだから、発芽と成長の祈りね」


 サラが教えてくれた。


「東都での春祭りの開催は九年ぶりですから、皆さまのご期待も大きいようですね。一昨日の、祭事団到着の歓迎会の様子をみて、その責任の重大さを改めて感じました。精一杯演じたいです」


 真面目そうなオスティンが真面目そうに言った。そんなに大事なお祭りなのか、お祭りでの奉納舞台が大事なのかいまひとつわからなかったが、東都の民は皆、この王都からの一団を歓迎しているらしい。


「舞台とはどうい……」


 もう少し聞いてみようとしたら、途中で口がふさがれた。


「も、申し訳ありません、この者が皆さまに何か……ご不快な点があったでしょうか?!」


 後ろからシーナの口をふさいだのはベラだ。顔が青い。まずい事をしたらしい。


 サラが一歩近づいた。


「祭事係の筆頭巫女でサラと申します。先日街へ出た折にシーナと、マイラさんという女性に助けていただきました。奉納舞台の練習場所としてこちらに案内していただいたところ偶然シーナに会えて、嬉しくなったので私が皆に紹介していたところです」


(驚いた、あの一瞬でマイラさんの名前を覚えてたんだ……)


 たしかに、マイラの名を呼んだ記憶はあるが、まさか覚えられているとは思わなかった。


 シーナが何かやらかしたわけではないとわかったのか、シーナの口を抑えるベラの手が緩む。


「恐ろしい人たちから私を守り、名も名乗らず去ったのです。シーナは高潔な人物だと思いました。ここで再会できたことを神に感謝します」


 サラは指を三本胸に当て、口の中で祈りの言葉を唱えた。


 サラの言葉に安心したようで、ベラはシーナから少し離れた。


「それはそれは、いえね、あたしは洗濯係の第二班の班長をしています、ベラです。何も聞いていなかったもので、この子ったら……ほほほ」


 よそ行きの笑顔を貼り付けて、肘でシーナのわきのあたりを小突いた。


「お仕事中だったのに私が連れてきてしまいました、どうかシーナを叱らないでください」


 サラが重ねてフォローしてくれた。いい人だ。


「叱るだなんて、そんなそんな、ほほほ。いえ本当にねぇ何も聞いておりませんでしたので、びっくりしちまいましてね。仕入れの時のことかしらね、ね、いやですよ、うちのシーナがね、ほほほ。マイラもね、ほほほ」


 いい子たちなんです~と、頭をほうぼうにさげている。


 干場では同僚たちが心配そうにこちらをうかがっていた。戻った方がよさそうだ。


「あの、では、失礼いたします」


 シーナは三十度のお辞儀をすると、ベラの背中を押しながら皆のところへ戻った。


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