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「ハァ、ハァ……ちょ…つら……」
「あぁぁ大丈夫ですかマイラさん?!」
「あた……あたし……より、そ……」
マイラはシーナの隣を指差した。さっきの女の子がヒューヒューと呼吸を繰り返していた。繋いだままだった手を慌てて離す。
「あなた、大丈夫?! ごめんね、私全力で走っちゃって……息できる?」
女の子は片手をあげて「大丈夫」というジェスチャーをした。全然大丈夫そうには見えない。
息をするたび大きく上下する彼女の背中を、シーナはさすった。
ドタバタと走り込んで倒れたシーナたちを見て、何事かと驚いた総菜屋のおかみさんが、コップに水を汲んで分けてくれた。そのまま店先で休ませてもらう。
しばらく経つと、落ち着いた女の子が話しはじめた。
「サラと申します。東都に来たのは数年ぶりで、嬉しくなって色々見て回っていたら、いつの間にか裏道に入り込んでしまったのです」
ふわふわで柔らかそうな金髪が、風に揺れた。腰の辺りまで、随分と長く伸ばしているようだ。透き通るような白い肌に、翠の瞳。
服装は派手過ぎず地味すぎず楚々としている。良い生地を使っているのが、ぱっと見ただけでもわかった。くるぶしまである丈の長いスカートが、彼女がどこかのご令嬢であることを表している。小柄で、可愛らしい、お人形のような女の子だ。
「あの方たちが表通りへ案内してくださるというので付いて行ったのですが、あの場所まで来たら急に、これを奪おうとしてきて……」
サラが触ったのは、さっきシーナの目に留まった光の源、大粒の石がついた首飾りだった。
「……そんな貴重そうなもの、無防備にぶら下げてたらそりゃカモにされるわ」
呆れたようにマイラがいう。
「そのようですね。世間知らずでした、お恥ずかしい限りです」
サラは再び美しいお辞儀をした。
「ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。ぜひお礼をさせてください。どちらの家門の方でいらっしゃいますか?」
丁寧だが少し外れた物言いに、マイラがため息をついた。
「あのね、あなたのようなお嬢様が、あたしたちみたいな者に簡単に頭を下げてはいけません。送りましょう。滞在先はどちらですか?」
「いえ、そのような重ねてのご迷惑はおかけできません」
サラが恐縮そうにかぶりを振った。
「また一人でウロウロされる方が迷惑です。送ります」
知らないお嬢様相手にもマイラは容赦がない。
「……ですが」
「そうですよ。さっきの人たちが戻ってきても怖いし、お家の人がいるところまで一緒にいきましょう。東都にいらしたばかりと言う事は、どこかの宿にご滞在ですか?」
シーナは、覚えている限り丁寧な言葉と明るい声でしゃべった。マイラの援護をしたかった。
「あの……宿ではなく」
「サラ!!」
声とともに、背の高い男性が飛び込んできて、サラを抱きしめた。
何人かのお付きらしき人が後ろに続く。
「イーサン!」
サラも、イーサンと呼んだ男性の背にしっかりと腕をまわす。
恋人だろうか。往来で抱き合うくらいだから、すでに夫婦なのかもしれない。
身なりの良い二人は安心したように顔を寄せ合う。
「ダメじゃないか、急にいなくなっては。僕らがどれだけ探し回ったと思う?」
「ごめんなさい、前に来た時のことを思い出したら懐かしくて」
「いくら東都の中心は安全と言っても、サラが一人で出歩いて良い街ではない。気をつけなくては。何もなかったか? 怖い思いはしなかったか?」
「ええ。少しだけ怖いことがあったけれど、この方々が助けてくださったのよ」
サラがこちらを振り返った。
イーサンと呼ばれた青年が、シーナとマイラに向かう。
(うわぁ、大きな人)
随分と長身だ。背の高いシーナより頭一つ以上は大きい。外套を羽織っていても、その立ち姿で鍛えられてた体躯だとよくわかる。
年のころは二十五、六か。サラより少し濃い金色の髪は清潔に整えられている。鼻筋はスッと通っており、彼女と似た大きな翠の瞳が印象的だ。
シーナが子供のころに大好きだった物語の中から飛び出してきた、騎士のようだった。
「手間をとらせて申し訳なかった。サラが世話になったようで、感謝する」
丁寧な口調だが笑顔は薄く、多少威圧的な態度は隠せなかった。身分のある人間なのだろうか。
ふと見まわすと、街の人たちがこちらを遠巻きに見ている。若い女性たちはイーサンに対する熱い視線を隠そうともしない。ハートが飛ぶ。
(キレイだなぁ。サラって人と、ものすごくお似合いだ)
「ご無事で何よりでした。では、私たちはこれで」
シーナがボーッと二人を見ている間にマイラは形式的な礼をし、シーナの腕を掴んでさっさと歩き出した。
シーナは慌てて、首だけでペコリとお辞儀をした。
「あ、待って! お名前を……」
サラが呼びかけたが、聞こえなかったふりをした。
腕を掴むマイラの手が、ぎゅっと、跡がつくほど食い込んだ。
「あんた! なに勝手なことしてんの!」
「す、すみません」
ずんずん歩いて、先ほどの人たちからだいぶ離れたところまで来ると、案の定マイラに怒られた。
「無事だったから良かったものの、下手すりゃあんたもあたしも、あのごろつき達に酷い目に遭わされるかもしれなかったんだからね!」
「……すみません」
「すみませんじゃ済まないんだよ!」
マイラが肩で息をする。
「……死んでたかもしれないんだから」
背中がゾクリとした。
そうだ、ここは自分の育った場所ではない。街の中心地は一人で出歩いても大丈夫だと言われているが、どこもかしこも安全、というわけではないのだ。実際、路地には近づかないよう言い含められていた。
「すみませんでした。マイラさんも巻き込んでしまって……」
「二度としないで」
「……」
「あたしが一緒の時だけじゃない。あんたが一人の時だって、ああいうのに関わっちゃだめ。無視。見ないふりして逃げる。わかった?」
「……は、はい」
マイラはまたため息をつくと、荷物を背負い直して歩き始めた。