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12-1

 

 雲ひとつない青空に、柔らかい風がそよぐ。


 ニ日ぶりに太陽が顔を出してくれた。


 建物の方からたくさんの人の声が聞こえる。回廊を行き交う人が挨拶を交わすのだ。

 裏庭近くにある煙突からは、もくもくとした湯気が吹き出していた。


「さぁ、じゃんじゃん洗わないと間に合わないよ!」


 ベラは今朝も元気だ。


 春祭りから四日が経った。

 王都からのお客様方は残った仕事に励み、巫女たちは帰る支度をしているようだったが、あの夜以来、誰にも会っていない。


 シーナはお仕着せとエプロンをつけ、三角巾をかぶっている。腰の調子は万全ではないので、洗濯板で小物を洗う係を仰せつかっていた。


「まだ痛いの?」

「す、すみません、治りが遅くて」

「いや仕方ないからいいけど。あんた器用だから細かいの洗うの向いてるし」


 マイラが時々声をかけてくれる。労働で糧を得ているシーナ達は働けなくなったら終わりだ。無理をするより、しっかり治したほうが結果的に長生きできるとマイラとベラが言った。ひどくならないように、力仕事が回らないようベラが気を遣ってくれていた。

 明日の休みは、紹介してもらった鍼灸治療へいく。ありがたいことだ。


 掃除係の女の子達がシーナをチラチラ見る。そちらへ顔をやると、きゃあきゃあ言いながら去っていった。劇に出て以来、たびたびあった。


「……スカートが、見えないんですかね」

「見えてるけど目に入ってないんだろ」


(的を射てる)


 シーナはクスリと笑う。


「今日、帰るんだろ」

「そのようですね」

「しないの、見送り」

「お仕事がありますから」

「昼前だってよ」

「……お見送りする理由もありませんし」


 シーナはそれだけ言うと黙って手を動かした。

 名前を覚えられないくらいの距離で、あの人たちの記憶に残らないよう、その他大勢でいるのが安全だ、と言ったのはマイラだった。


 事がうまく運んだから良かったのだ。


 もしも縫うのが間に合わなかったら、あの花の衣装が聖教会や観客に受け入れられなかったら、何かひとつでもうまくいかなかったらどうなっていたことか。


 イーサンはシーナのことを間者だと疑っていた。いや、今でも疑われたままなのかもしれない。サラを拐かそうとした者も、衣装を切り刻んだ犯人も、まだ見つかっていないと言っていた。


 あの時、もし衣装を縫うのに失敗していたら、それ自体が(はかりごと)の一つだと思われる可能性があったのだと気づいて、夜、寝台の上で肝が冷えた。自分は洗濯係の皆を危険にさらしたのだと思った。

 ふと、自分の首元に触れる。もう包帯は取れていた。


「はい」


 マイラが何かを手渡してきた。


「なんですか?」

「理由があればいいんだろ」




 * * *




「よぉ『変態』くん、調子はどうだ」


 イーサンは、出来る限り冷たい顔をしてリヒタインを見た。


「すげー顔。おー、こわ」

「失礼な話しかけ方をしたのは君だ」

「俺のせいにすんなよ、腹を立ててる原因は自分だろ」


 荷物をまとめる手を動かしたまま、イーサンが答える。


「腹を立ててなどいない。通常通りだ」

「嘘つけよ。皆シーナちゃんに会いたがってたのに、こーんな目を釣り上げて『ダメ』って。会うくらい問題なかったろう」


 リヒタインは指先をこめかみにおいて、目を釣り上げる仕草をしている。冗談ではない、巫女を相手に、さすがにあんな顔はしていない。


「『事件は片付かない、巫女たちのちょっとした願いも聞いてやれない、ああ、何て不甲斐ないんだろうか僕は』ってとこ?」

「ああそうだな。不甲斐なくて申し訳ないが、全ての企ての犯人が捕まったわけではない。安全になったとは言い切れない以上、巫女を自由に出歩かせられない」

「ついて行ってやりゃいいじゃん」

「忙しい」

「じゃあ、シーナちゃん呼べば」

「迷惑だろう、むこうにも仕事がある」

「……せっかく一緒の舞台に立ったのに、労いあう時間もないまま帰るのか。あーあ、サラも巫女の皆も寂しいだろうなー」


 間者であった道具係をはじめ、捕縛した他の企ての犯人にも改めて尋問をしたが、黒幕は不明のままだ。口を割らない、というよりも、末端すぎて知らないのだろう。王都からやってきた刺客もいたが、東都で雇われた者が多かった。


 仕事に加え帰都の支度などをしていたら、あっという間に出立の日だ。


「で、謝れたのか?」


 誰に、何を。

 言われずともわかっていた。


「……まだだ」

「んぁーーー何やってんだよ、もう帰るんだぞ今日! 謝れよ、子供じゃねーんだから」

「わかっている」


 このまま、裏庭まで行けばよい。

 それから、紳士として、礼儀にかける数々の行為をしてしまったことを謝る。加えて、間者と間違えたことも謝る。最後に、首を切ってしまったことをもう一度謝って、そして……


 来て、くれないだろうか。見送りに。


 自らシーナのもとへ赴くのは、申し訳ないやら恥ずかしいやらで、何だか気が引けた。そして、怖かった。


 彼女の黒目がちな瞳を見ると、なぜか、いつもの自分ではいられなくなる。

 義務を重んじ、役職を全うし、いつでも冷静な紳士であるべき自分。

 シーナといると、己が(まと)う何枚かの膜が、ペリペリと剥がれ落ちていくような気持ちになった。剥き出しの自分は、落ち着かなかった。


 他力本願で情けないが、もしも彼女の方から見送りに来てくれたなら、少し、素直になれそうな気はするのだが。


「リヒタイン、ひとつ頼まれてくれないか」



 * * *




「シーナ!!」


 暖かい呼びかけと共に、ふわりとした身体に抱きつかれた。サラだ。


「あなたったら、全然来てくれないんだもの、もう会えないのかと思ったわ! ふふ、お見送りに来てくださったのね、どうもありがとう!」


 頬を膨らませたり満面の笑みで喜んだり、サラは本当にシーナとの再会を喜んでくれているようだった。シーナはホッとした。


 『エウポリアー』と『騎士様』。話題の二人が抱き合っているのからか、周囲が遠巻きに見物しているのがわかる。目立ちたいわけではないので困ったが、サラが相手なら仕方ない。


 馬の近くにいるイーサンが、じっとこちらを見ている。もう代役が終わったはずのシーナが、大事なサラと包容を交わすのが気に食わないのだろうか。


(文句があるなら言えばいいのに)


 視線は痛いが、気づかないフリをした。


「すみません、仕事がありましたので。でも、こうして皆さんのお見送りに来られて良かったです」


 周りには巫女たちもいた。皆、感慨深い表情だ。


 たった二日、一緒にいたのはたったの二日だ。それでも、信じられないくらい濃い時間を共にした。


「シーナ様」


 オスティンだ。松葉杖をついている。


「オスティン様! お加減はいかがですか?」

「ええ、お陰様でだいぶ良いです。熱も下がりましたし」

「それは良かったです。旅は長いと聞きました、ご自愛ください」

「ありがとう。それから、突然の代役を引き受けてくださって本当にありがとうございました。お礼を言えないままでしたので、帰る前にお会いできて嬉しいです」

「呼んでくださったら、お部屋まで参りましたのに……」


 本心だった。少し恨みがましい声になってしまったかもしれない。

 でも、今日ここにシーナが来なければ、そのまま別れるところだったのだ。多少の嫌味は受け止めてもらいたい。


「申し訳ありません、お会いしたいと願い出たのですがイーサン殿に許可がいただけず……」

「本当、無駄に過保護なんだから!」


(あいつのせいか!!)


 サラやオスティン、周りの巫女たちの表情を見る限り彼女らも、帰る前にシーナに会いたがってくれていたようだ。


(やなやつ!)


 やはり、イーサンはいまだにシーナのことを疑っているのだ。立場上仕方のないことかもしれないが。シーナの胸がズキンと脈打った。


(……まぁ、それでも)


 今こうして別れの挨拶を止めないのは、彼の最大限の譲歩なのかもしれない。


 シーナはもう一度、ひとりひとりの顔を見る。


「私、楽しかったです。みなさん、ありがとうございました」


 心からの言葉だった。


 戦い抜いた、戦友のような気持ちで微笑み合う。同じ板に立ったのだ。立場は元に戻れど、互いに、それを忘れることはないだろう。




「あ、そうだ。私お話したい人がいらっしゃいまして」


 ひとしきり別れを惜しんだ後、シーナはキョロキョロと目的の人物を探す。それに気づいたのか、イーサンがこちらに向かって歩いてくるのが見えた。


「えっと……」

「どなた? 呼びにやりましょう」

「いえ、ちょうど良かったです」


 イーサンが声の届くところまで来てくれた。


「すみません!」


 イーサンがシーナの呼びかけに反応して真顔のまま小走りで近づく。


「……っシ」

「リヒタイン殿を見かけませんでしたか?」

次回「春祭り」の章の最終話です〜

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