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8-3

 

 イーサンは野外劇場の舞台を見た。


 巫女たちが公演の稽古をしている。

 総勢三十名と少し。若く、美しく、敬虔でしとやかで淑女の鏡のような巫女たち。




 巫女には、爵位のある家柄か、庶民であっても裕福な家の令嬢がなる。巫女を(にな)う者には三種類の目的があった。


 ひとつは義務のため。

 この国を代表する六大公爵家の娘が、かならず一人は必要とされた。筆頭巫女だ。サラはこれに該当した。


 もうひとつは花嫁修業のため。

 巫女は通常三、四年で交代になる。王都の大聖教会で巫女を務めた者は、女性としては最高峰に近い栄誉が与えられるため、良い嫁ぎ先から選ばれやすかった。

 特殊な例になるが、庶民の出であっても、巫女を務めた者は貴族との結婚が許される。貴族の娘であれば、より良い相手と縁づく機会がもらえた。ほとんどの巫女が、これを目的とする。


 最後のひとつは手当のため。

 巫女を務めれば少なくない額の手当がもらえる。家柄の良い未婚の女性が、正当に真当な仕事をするのは難しい。基本的には働く必要がないので適した仕事が存在しないのだ。

 実家の台所事情によって、手当目当てで来る者も一定数いた。くだんの、男爵家の娘はこれだった。




 実家へ帰ってしまった『騎士様』の穴埋めに、引退したオスティンがたったの数日で呼び戻された。


 オスティンはもう八年も巫女を続けている。


 本来ならとうに席を譲る年齢だが、後継の男性役が見つからないことにはなかなか難しい。実家に力があれば、それでも強引に嫁に出せるのだが、あいにくそこまでの地位も、気概も、オスティンの父は持ち合わせていなかった。


 オスティンは口にこそ出さないが、嫁に行きたがっているのは明白だった。

 現在二十二歳で、もうあと二年もすれば貰い手がなくなる。適齢期を大幅に過ぎれば、年寄りの後妻に収まるしかない。若い娘は、そんなことは望まなかった。


 サラも十四の時分から五年務め、十九歳になった。サラはサラで、六大公爵家からの次の候補が居なければ引退できない。

 とはいえ、今年が一巡すれば彼女も退(しりぞ)く。冬には次世代を入れる手はずになっている。少々難ありの娘だが、筆頭巫女になれば自覚も生まれるだろう。


 サラの嫁ぎ先は水面下で協議中だ。

 他の六大公爵家が妥当だが、二つ年下の第二王子という案も未だ残っている。巫女でいる間は、婚約をすることもできない決まりになっているので、サラの立場も、長い間宙に浮いているのだ。

 常日頃、イーサンの頭を悩ませる問題のひとつだった。




 イーサンは立ち上がると、隣でまだ肩を振るわせているリヒタインを睨みつける。


 この男。イーサンの幼馴染であるリヒタイン・アーテルも、サラ・()()()()の嫁ぎ先候補の一人だ。次男だが、六家の本家筋の出である。


「はぁ、はぁ……笑い死ぬかと思った」

「くだらん事を言っていないで、見回りでもしてこい」

「行かせてるって、外周もさっきみてきたよ。ふぃー。高い木が何本か気になるな。弓で狙えてしまいそうな距離のところには警備を置こう」


 息は切れ切れだったが、会話になった。笑い終わったらしい。


「あー、腹筋痛い」

「鍛え足りないんだ。もっと鍛錬に勤しめ」

「お前はやり過ぎだよ。もっと周りと交流しろよ」

「遊びに来ているわけではない」

「政治も社交も仕事だろ?」


 政治はともかく、社交はイーサンの苦手分野だった。何も言い返せない。


「ま、何事もなく、終わるといいんだけどな」


 東都へ来てすぐに、街中でサラが行方不明になった。まさか筆頭巫女であるサラまで狙われるとは思わなかったので芯から肝が冷えたが、どうにか無事に戻ってきた。


 普段、巡行へ出る巫女の一団を警護するのは別の隊の者達で、もっと小編成だ。形ばかりに帯同する。


 手紙の件があったので、守りを堅くするよう提案し、四倍の人数を連れてきた。それなのに、オスティンに怪我をさせてしまった。


 周りには事故だと伝えているが、一連の騒動から(かんが)みれば、事件である可能性が高い。

 実際、オスティンが踏み抜いた台には、故意に圧をかけ釘も緩めて板を抜けやすくしたような痕跡があった。


 自分が付いてきたのは正解だった。




「しかしなぁ、たった一日でこれだけ完成させるんだから、本当すごいよなぁ、あの子」


 舞台上は『騎士様』の出立のシーンだ。


 イーサンは、昨日の騒動を思い出して顔をしかめた。


(あの女……)


 人のことを『変態』呼ばわりして、ぎゃあぎゃあと逃げ回った女。


 イーサンだって多少は悪かったと思っている。


 普段であれば、女性相手ならもっと、いやもう少しはまともに対応できるのだ。ただ、時間がなくて焦っていた。上演にこぎつけられるかという不安もあった。それから、少し、後ろめたい気持ちもあった。


 間者と疑ったことはともかく、首を切ってしまったことは悪いと思っている。おざなりな謝罪しかしていない。もう一度、きちんと謝るつもりだった。

 しかしそんな時間も機会もないまま、あれよあれよと代役に決まり、あわただしい中、今日が来てしまったのだ。


 彼女を見るたびに、白い首にぷつぷつと浮く血の玉を思い出す。あの瞬間のことが、目に焼き付いたように離れなくなった。



 そもそも、記憶喪失などと、怪しげな状態になっているから話がややこしくなったのだ。


 自分の預かり知らぬところでサラと出会ったのも、イーサンの疑念を招いた。ごろつきに立ち向かえる女など、そうそういるわけないと思った。


 挙句の果てには、巫女の代役だ。そんな偶然のような奇跡のような関わり方をしてくる「普通の女」がいるなんて、信じる方が難しい。


 もっと身元がはっきりしていたなら、自分の見ているところでサラと出会ってくれていれば、洗濯係としての、自分の仕事の役には立ちもしない歌やセリフを、こんなに完璧に記憶しているような稀有(けう)な女でなければ……とっくの昔に、彼女を信用できていたのに。


 彼女と向き合うと、いつも、何とも形容しづらい気持ちになった。



「首の包帯、夕方には取れるといいな」

「……まだせめるのか」

「せめてないよ。イーサンにしては珍しいミスだと思っただけ。今までならいくらでも(かわ)せたじゃないか、素人の予期しない動きだって」 


 リヒタインの言うとおりだ。


 素人相手に、脅しで(やいば)を向けることはあっても、間違って傷をつけてしまったことなんて一度もなかった。


 シーナが何を疑うこともなく振り返ったから。振り向いたときの顔が、あまりに無垢だったから。その無防備さと真っ白な危うさに、一瞬、魅入ってしまったのだ。   


「あまりにも緊張感がなさすぎて驚いたんだ」

「へぇ。百戦錬磨のイーサン殿を驚かせるなんて、才能あるじゃないか」

「ない。全くない。昨日ほぼ確信した。おそらく、おそらく、本当に、ただの女だ」


 間者ではなさそうだと、今なら、思える。


「っぶふふ……昨日ので確信するって、お前、どういうことだよっ、くくく」


 処女(おとめ)かどうかを確認した時の慌てっぷりと(にじ)む恥じらい、記憶喪失を指摘した時の、本人の困惑と落胆の仕方は、とても演技には見えなかった。


 芝居はうまいようだが、あれが演技だったらもう世の中のすべてを信じられない。赤くなったり青くなったり息を止めたり、見ている方がよほどハラハラした。


「君は、全てをグロリア殿から聞いているわけではないだろう。多少はまともな会話もしたんだ、それで確信した。それだけだ」

「へぇぇ、まともな会話ね。多少、ね。ふーん」


 にやにやしているリヒタインを置いて、イーサンは見回りへ出た。


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