僕を振った幼馴染が髪を切った
一月と少し前に僕は幼馴染の美園に告白して振られた。
幼馴染の竹下美園。ウェイブの掛かった長い髪に切長の目、頬に微かに紅の差した美少女だった。今ではすっかりケバくなって香水臭い女だ。
いや、だった。
そもそも彼氏が出来たばかりの女の子に告白して乗り換えろと言うのが土台無理な話だったのだ。
彼氏が出来る前に行動していればまた違った結果になっていたのかもしれない。そこは反省している。
まさか、お試し感覚で簡単に彼氏を作るとは思っておらず、不意打ちを喰らった形だった。
よりによって女癖の悪いと有名な3年の先輩と付き合いだすとは夢にも思っていなかった。
お試しという割に美園の決心は固く佐々木先輩との交際を止める気は無いようだった。
僕は一大決心して、改めて美園に告白して振られ、きちんとケジメを付けて美園への恋心を諦めた。
***
「美園ちゃんが迎えに来てるわよ、早く支度をしなさい!」
母に急かされて家の外へと一歩踏み出した瞬間に見覚えのない人物に遭遇した。
女子用ブレザーに身を包んでいる坊主頭の女の子。しかし、馴染みのある身長に体格。
それはよく見ると美園だった。
先週、付き合っていた先輩と別れた美園はその直後から何故か急に僕への接触回数を増やしてきた。
それは、踏ん切りを付けて美園への気持ちを断ち切ったとはいえ、なかなか辛く、平常心を保つのがやっとだった。
なので、先日、僕の率直な気持ちを伝えて遠慮してくれる様に頼んだのだ。
『僕の好きだった幼馴染の美園はもうすっかり居なくなった。今の君は全くの別人で、振られたお陰でスッキリと諦めがついた。ありがとう。
それでも僕の気持ちの全てが消化できた訳ではないので出来れば距離を取って欲しい。勝手な言い分だけどお願いするよ』
美園は僕のお願いを聞いて、しばらく何かを考えていたようだが、うなずいてくれた。
それで問題は解決したと思っていたのだが、結果としてあまり変化はなかった。逆に接触回数は増えたかもしれない。
朝の迎えもその一つだった。
「美園、おはよう。髪の毛切ったんだね」
何とか振り絞って声を出した僕に対して美園が事も無げに言う。
「気付いてくれたんだね。似合っているかな?」
ご丁寧にその場で一回転して後ろまで見せてくれた。それでも坊主頭は坊主頭だ。後ろまできちんと刈ってあった。
「ああ、似合っているよ」
本心かと言われると微妙だが、先日までのケバケバしい感じに比べると全然マシだった。何より美園本人が望んでいるであろう言葉なのが態度から見てとれた。
「ありがとう!そう言ってくれると嬉しい」
満面の笑みを浮かべる姿を見ると心から喜んでいるのだと思いつつも、素直な疑問が口をついた。
「髪は女の子の命だろう。そんなに短くして大丈夫なの?」
「そうね。確かに髪は女の命かもしれないけれど、肝心な時に命を懸けれないなら意味がないと思わない?だからね、これでいいのよ」
「よく分からないけど、そんなものなのかな?」
「うん、そんなものだよ」
首を捻る僕に美園が明るく答えた。
果たして何に命を懸けているのか?という疑問が新たに浮かぶ。
先輩に失恋したから切った訳ではなさそうだった。そもそも全く悲壮感がない上に、すでに先輩と別れてから一週間も経ってる。
「眉毛も剃るつもりだったんだけど、流石に眉毛を剃るのはやり過ぎだっておばさまに止められちゃった」
いやいや、相談されたんなら剃毛自体止めようよ。あの人は何を考えているんだ?自分の親ながら理解不能だった。
そもそも、美園と顔を合わせたくないから迎えに来ても追い返して欲しいと頼んだはずなんだけど。一体、どっちの味方なんだろう?
「うちの母親の事は置いておいて、おばさんは何て言ってるの?」
「うちの母さんは『あなたの好きにしなさい。後悔しない様に』って言ってくれたの」
後悔しない様に剃毛する?ますます訳がわからない。女性陣には理解できる何かがあるのだろうか?
取り敢えず美園をその場に待たせると一度部屋に戻りバンダナを取って来て、そのまま美園の頭に結んでやった。
「似合う、似合わないは別として目立つからこれで勘弁してくれ」
「そっか、目立つんだ?私は気にしないけど力也に迷惑掛かっちゃうね。仕方ないからこれで行くね」
美園はうなづくとそのまま僕の手を取ると握り歩き出した。力強く握る美園の手を何故か振り払う気になれずに僕も一緒に歩き出した。
***
僕達というか、美園が学校に着くとそれなりに大騒ぎになった。当の美園本人は涼しい顔をしているのが周りの騒ぎと対照的だった。
そして昼休みに校内放送が流れ、職員室に呼び出しされていた。
噂好きが拡散させている噂の内容によると、失恋して髪を切るにしても限度を超えていたので、校内でイジメがあるのでは無いかと調査する事になったそうだ。
本人は剃毛理由について、失恋もイジメのどちらも否定したそうだが、教師達は納得しなかったようだ。
その結果、佐々木先輩が退学になった。
美園の坊主頭を見た先輩と交際していた女性達の何人かが『佐々木先輩から性病をうつされた』と教師に訴えた。
彼女達からの聞き取り調査で、先輩が性病に感染している事を自覚していた事、さらに行為の最中に避妊具を外すなどの暴行行為が判明した為に警察沙汰に発展し、弁解の余地もなく退学処分が決定した。
性病をうつすのも、行為中の避妊具を外すのも立派な傷害罪と性暴力だ。誰も擁護する者は居なかった。
自業自得とはいえ、女の敵という事でこれから肩身を狭くして生きていかないといけないだろう。
図らずも失恋した先輩に復讐を成し遂げた美園だったが当の本人は呑気なものだった。
「先輩、退学になってそうだね」
「そうなの?知らなかったわ」
「知らなかったって、気にならないのか?」
「全然、全く興味ないもの」
一度は付き合ってイチャイチャしていたはずなのに、美園の素っ気ない態度に呆気に取られた。
美園自身も一時、非難の的になっていた。先輩に失恋した癖に直ぐに対象を切り替えて僕に媚を売っていると見なされ、尻軽と非難されていた。
もっとも先輩の非道が周知されて、美園も先輩の元交際相手の一人と認知されるにつれ、悲しみを癒す為に幼馴染である僕に依存したという認識に変わって行き、美園への非難も収まった。
僕としては何もしていない。慰めも癒しも同情さえしていない。
確かに一緒に登校はした。昼飯も誘われて一緒に食べた。帰宅も時間が合うなら誘われて一緒に帰った。ただそれだけだ。
照れて一緒に行動しなくなった中学以前の幼馴染の二人に戻っただけだ。美園の事を好きだと自覚する前の状態に戻っただけ、ただそれだけだった。
***
昼休みの屋上で美園が準備した彩り鮮やかなお弁当を前にして、僕は素朴な疑問を口にした。
「なあ、聞いていいかな?」
「何かしら?答えられる範囲ならいいわよ」
「どうしておかずが野菜だけなんだ?昨日は肉ばっかりだったよね?」
「どれを食べて、どれを残すのか調べてるのよ」
「つまり、どういう事かな?」
美園の回答の意味がわからずに僕の頭の中を疑問符が飛び交っていた。
「力也の好き嫌いを調べてるの。普通のお弁当のように満遍なくバランス良く入れておくと残したから嫌いだって確定しないじゃない。その中では嫌いな方だったってだけで」
「それでもサラダにピーマンは入れないと思うな。人参、ピーマン、トマト、かぼちゃ、レンコン、とうもろこし、さつまいも、キャベツにレタス、彩りのバランスは取れてるけど」
「加熱してあるから生じゃないわよ」
「そういう問題じゃないよ。それに僕の好物を直接僕に聞くのが嫌ならうちの母親に聞けばいいじゃないか。最近色々と相談してるって話だろ?」
「『そういうのは人に聞く物じゃない』っておばさまは言ってるわ。私もそうだと思うの」
僕に付きまとうのは有りで、僕の好物を他人に聞くのは無し。うーん、基準がよく分からない。お手上げだよ。
***
夜、食事の後に風呂に行こうとしたら母さんに呼び止められた。
「美園ちゃんとは上手く行ってるの?」
「上手くいくも何も僕たちはただの幼馴染だよ。それより丁度いい機会だから聞くけど、どうして朝迎えに来る美園を追い返してくれないの?ちゃんと追い返して欲しいって頼んだよね?」
「そうね。頼まれた記憶はあるわ。でも、本当に嫌なら力也が直接断って追い返せばいいじゃない。美園ちゃんと仲良く手を繋いで登校してるのは知ってるわよ」
「それは幼馴染としてだから――」
「惚れた弱みじゃなくて?」
「そんなんじゃないよ!美園の事はきちんと諦めたんだ」
「彼氏いるのに告白したんだって?しかも二回も!美園ちゃんから直接話を聞いて知ってわよ」
無関係な母さんにまでバラすとは――
「それに関しては力也、あなたが全面的に悪いわ。何やってるのよ?」
「仕方ないだろ!」
「恋愛は早い者勝ちが大前提なのよ。不倫や略奪愛は例外として。幼馴染として一番身近にいたあなたが後手に回ってどうするのよ!」
「まさかお試しで彼氏を作るとは思わなかったんだ――」
「お試しでも、その気にさせた相手の方が一枚上手だったって事じゃないの。そんなのただの言い訳よ。第一に力也、あなた、美園ちゃんに言葉や態度で好意を表して来たかしら?最後にお誕生日会、クリスマスを一緒に祝ったのは中学二年の時が最後でしょう?受験勉強があるからって中学三年の時はしなくて、高校に進学しても復活しなかったのよね」
我が親ながら細かな事まで覚えている事に驚いた。
「そりゃあ、思春期なんだから幼馴染とはいえ、異性と一緒にいる所を見られるのが恥ずかしいんだよ」
「好意を言葉に出さない、態度で示さない、一緒にイベントをこなさない。それで好きでいてくれって随分と都合のいい話ね?他の男の子と付き合ったから諦める?ふーん、随分と軟弱な男に育ったわね。母さん、育て方間違えたようね」
「仕方ないだろう?気付いた時にはもう手遅れだったんだよ。どうすればよかったんだ?だからきっぱりとフラれて美園の事は諦めたんだ」
「ふーん?それはどっちの意味でなの?」
ジト目で母さんが睨んでくる。
「どっち?」
「そう、どっちなの?"彼氏のいる美園ちゃん"なの?それとも"彼氏が出来て変わってしまった美園ちゃん"のどちらなのかしら?」
「それは、変わってしまった美園――」
話を逸らして会話を打ち切るつもりだったのだがついうっかりと本音をこぼしてしまった僕に当然の様に母さんから追い討ちが掛かった。
「『僕の好きだった美園は居なくなったと言われて失恋したの』って言っていたわよ」
そんな事まで話していたのか。もはや全ての出来事や会話が筒抜けだと思った方が良さそうだ。
「美園ちゃんにしても初めての交際だもの。多少は手慣れている相手の色に染まっても仕方ないと思うわよ。それに一番の原因はその相手より先に告白しなかった力也だと思うもの」
「じゃあ、どうすればよかったんだ?母さんはどっちの味方なの?」
「母さんは今も昔もお腹を痛めて産んだ最愛の息子の味方よ。知らなかったの?」
親父が出張で居ない深夜に、急に高熱が出て苦しんでいる僕をタクシーがつかまらないからと背負って病院まで連れて行ってくれた母さんの記憶が頭をかすめた。
迷惑を掛けっぱなしだが大きな愛情で受け止めてくれているのは実感していた。
態度で示す――
僕は美園に対して好意を態度で示していただろうか?
言葉に出して好意を伝えていただろうか?
告白されたと呼び出された日、美園は何かを期待していたのではないだろうか?僕はそれに応えられたのか?
年頃になり恥ずかしいと勝手に距離を取っていたのは僕の方じゃ無いだろうか?
色々な疑問が頭に浮かんでグルグルと回る。
「母親としてね、力也に後悔して欲しくないのよ。まず今の、そしてこれからの美園ちゃんときちんと向き合って欲しいの。その上で諦める、もしくは付き合わない、付き合ってもその後で別れる、そんな結論が出るなら仕方ないと思うのよ――」
射抜くように僕を見つめる母さんの視線が痛い。
「――今のあなたは美園ちゃんの何を見てるの?何を知っているというの?私に相談しに来て、私と話している時の彼女はとても素直よ。小さな頃から知ってる美園ちゃんと何も変わっていなかったわよ」
「変わっていなかった?」
「ええ、素直でいい子よ。素直過ぎるから野放しにするのは危険よね。変な男に捕まったら簡単に染められちゃうわね。だから今回の件はぐずぐずしていた力也が全面的に悪いと思うわよ」
「染められる――」
「そうね。だから力也の色に染め直せばいいだけ。自信がないのかしら?あと、美園ちゃんの初めてについては――」
言いにくいところを簡単にぶち込んでくる神経が我が親ながら無遠慮だ――
その件についてはいまだに少しトラウマ気味だった。好きだった女の子が他の男に抱かれる。想像するだけで胸がズキズキと痛み、全身を言いようのない喪失感が包み込む。
「――いずれわかる事だし、付き合わないのなら関係ない事だから横に置いておいて。女の子の初めては一回しかないの。しかも恋愛と同じで早い者勝ち。別れたからといって取り戻せるものでもないの。それはわかるわよね?」
「ああ」
「だからこそ大切なものなの。だからといって、こだわれと言うつもりもないけれど。だから美園ちゃんの初めてを断ったと聞いた時にビックリしたし、見直したわよ、力也。流石は私の息子だけはあるわね」
「ぶふっ!?」
母さんの言葉に思わず咳き込んだ。
美園は一体どこまで話しているんだ?
「その当時、美園ちゃんの倫理観がかなりおかしくなっていたのは確かだけど、いつまでもおかしいと思うのはどうかしら?もう変な男とは別れたし、今ではうちに何でも相談しに来るから問題ないと思うわよ。その先輩との交際についても事前に聞いていたら母さんは止めたし、美園ちゃんも母さんの意見を取り入れて交際しなかったと思うわよ」
母さんは誇らしげに胸を張ったが僕は素直に頷けなかった。
坊主頭は問題ないと?問題あるだろう?相談されたのならそこは止めようよ。
「あら?何か不服そうな顔ね。はっきり言ってごらんなさい」
「髪を切るのも相談されたんならどうしても止めなかったの?『別れた先輩の事はもう何とも思っていない』って言ってたよ」
「まあ?相変わらず鈍いのね。さっきも言ったけど力也、あなたに失恋したから髪を切ったのよ」
「僕に失恋――」
「彼女なりに反省してるのよ『力也を色々と傷つけたからフラれて当然だ』とも言っていたわね『それでも諦めきれないから頑張る』って、健気よね」
「それでも坊主頭はやり過ぎだろう?」
「本人が反省の意を伝えたいという固い意志の表れなんだから、止めるわけにはいかないでしょう?女の子がなかなかやれる事ではないわよ」
確かに学校ですら大騒動になった。しかもその原因が実は僕だったなんて――
頭が痛くなってきた。
「まあ、しっかりと悩みなさい。答えに詰まったなら相談に乗ってあげるわよ。一人で答えが出ない時は他人を頼るものなの。ちゃんと覚えておきなさいよ」
頭を抱え込んだ僕の肩を叩くと母さんは台所から出て行った。
それから数十分後、残された僕もモヤモヤとした頭をスッキリとさせる為にノロノロと風呂場に向かうのだった。
***
翌朝、僕は美園が迎えにくる前に家を出た。美園の家に行く為にだ。
いろいろ考えた結果、一方的に迎えに来てもらうのは違うと思ったからだ。
美園の家の前で待つ事五分、扉が開き美園が出て来た。
「それじゃあ、行ってきます!あっ、力也!おはよう、びっくりしちゃった」
「ああ、おはよう」
「何かあったの?力也がうちの前にいるって珍しいよね。もしかして迎えにきてくれたとか――それはないかな――」
「いや、迎えに来たで合ってるよ。嫌だった?」
「う、ううん!嫌じゃないよ。ただびっくりしただけ」
「じゃあ、行こうか」
僕は美園の手を取ると歩き出した。突然の事で驚いていた美園が僕の手を握り返して着いてくる。
自分でも頬が赤くなっているのは自覚しているけど、それでも気にしない事にした。
「どうかしたの?いつも嫌々付き合ってくれてると思っていたのに」
「そうだね。昨日までは嫌々だったかもしれない。美園ときちんと向き合う事から逃げていたから。でも、もう逃げないと決めたんだ。一度は諦めたんだ。本当に美園の事は諦めたんだ。でも――」
僕は歩みを止めると美園の方に向き直り、その瞳を見つめた。自意識過剰にも通りすがりの人達からの視線を感じるけれど気にしない。恥ずかしさよりも大事なものが何なのかやっと気付いたんだ。
「――美園を好きだった気持ちは嘘じゃない。そして今でも美園は大事な幼馴染なんだ。変わってしまった美園も記憶にある美園もどちらも美園なんだ。
もっと美園の事が知りたい。
もっと美園に僕の事を知ってもらいたい。
もっと美園に近づきたいんだ」
「そんな事――」
「きっと僕は美園の事を知らなさ過ぎたんだ」
「私もそうだったわ」
「だからもっと一緒に過ごしたいんだ。駄目かな?」
「これからも一緒に登校して、一緒にお昼食べて、一緒に過ごすんだね。お誕生日会も再開したいな。そうしたら、いつか――」
僕の手を握る美園の手に力がこもった。僕も握り返す。
「――恋人になれるかな?」
「そうだね。なれるといいね。お互いに頑張ればいつかなれるはず」
「そうね。出来ればなるべく早く恋人になれるといいな」
微かに微笑む美園の頬に昔見たようなえくぼが出来ていた。
僕たちは幼馴染の殻を破る為に一緒に頑張っていく。そう心から思った。
まず手始めに来月の美園の誕生日プレゼントを一緒に買いに行こうと思う。