勇者の誇り
腹を斬られ、そこから流れる血が服に染み込む。その血を見て、勇者の体が痛みを認識する。しかし、その痛みに彼が叫ぶことはない。苦しそうな表情はしているが、それを口に出すことはない。前回のように全身斬りつけたわけではないにしろ、いくらか痛みを耐えなくてはいけない経験をしてきたのかもしれない。チェストプレートを着けるための布のベルトに引っ提げていた袋から白い液体が入った小瓶を取り出した。その蓋を開けて、一息に飲み込んだ。すると、奇妙なほどに素早く、彼の腹の傷がふさがった。どれだけ優秀な治癒師でも、その速度での回復はできないだろう。
「苦労したんだけどね。これ、手に入れるの」
彼は苦しそうにそう呟いた。傷は完全に治っている。しかし、腹を斬り裂かれた痛みまでは消えず、痛みは残る。それでも、彼はすぐに体勢を整えて、再び戦闘態勢になった。しかし、その奇跡とも呼べるような効能の物を何本も持っているはずがないのだ。世留は次こそは殺すと決意して戦いに臨む。
「今こそ、勇気ある者としての誇りを見せるとき。勇者の加護よ!」
彼が魔法の詠唱のようなものを終わらせると、彼の体が少しの間白く光る。そして、体から小さな光の球が抜け出ていくと思いきや、それらは全て勇者の中に取り込まれた。勇者は今までの顔つきが少し違った。鋭い目で世留を睨んでいる。その目には戦う覚悟のようなものありありと出ていた。世留は今度こそ、彼が本気なのかもしれないと感じた。世留も超能力の出力を上げることにした。世留は勇者が接近戦を挑んでくると思い、空に逃げることにした。超能力で足場を作って、宙に立つ。
勇者は彼が離れたのを見て、青色の手袋を着けた手を彼に向けた。その手から水の魔気が生成されるのを感じる。魔法と言うのは、周囲の魔気を体に取り込んで、それを利用して魔法を放つのだ。だから、周囲の魔気が減ってから魔法が使われるはずだが、今の彼は体を通さず、掌から直接魔気を作り出しているのだ。もはや、人の業ではないだろう。異常と言う他ない。
彼に向けられた掌から、水の球が現れる。それらは少し前に出ると分裂して、彼の周りで再び水の球になる。
「行けっ!」
彼が叫ぶと、水の球が世留に向かって素早く飛んでいく。それが途切れることなく、無数の水の球が彼を襲う。しかし、彼は空間の隔たりを作り出し、全ての球がその壁に当たり破裂して白い煙を作り出していた。彼の周りは今、煙幕を使われたような煙に覆われている。世留はすぐに煙の中から飛び出る。最大限に警戒しつつ、煙から出た。すると、次に待っていたのは大きな岩石だった。勇者が茶色の手袋を着けた掌を上に向けて、その掌には土の塊を出現させている。青の手袋と同じく、その手袋から土の魔気が生成されていた。
「押しつぶせ!」
世留は空間の隔たりを意地したまま、その岩の塊にぶつかる。彼にはぶつかった衝撃すら伝わらない。空間自体が繋がっていないのだから、外の衝撃が伝わるはずのない。岩石が完全に崩れて、地面に落ちる前に粒子になって、魔気に還る。世留に岩石から身を守っている間は視界が全く効かない状態だった。その間に、勇者は手袋を履き替えていた。右手には赤の手袋で、左手には薄緑の手袋をしていた。そして、世留が岩の中から出てきたときには既に、風の刃が彼に向かっていたが、壁がある限り彼に魔法であろうと攻撃が届くことはないのだ。
次に勇者が剣身を肩に置くように構える。剣のグリップを両手で握り、力を溜めるような動作だ。それに意味はあるのかと世留は思っていた。もしかすると、赤い手袋の力を使っているのかもしれない。火の魔気を使っているのかと思ったが、そう言うわけでもないのかもしれない。彼が思考している間に、勇者は世留に向けて、斜めに振るった。特に斬撃が飛んでくるとか、剣が飛んでくるとかそういった変化は怒らない。そもそも、どんな攻撃も自分には届かないのだ。そして、それが彼の慢心であった。どんな相手の攻撃も隔てた空間にまでは及ばない。攻撃を受けないという余裕が彼に隙を生んでしまっていた。
彼の肩に痛みが走る。そこから、斜めに刃が走る感触。その感触はまだ遊羽が生きているときに、一度だけ盗賊に斬られたときの感触と同じだった。彼女を守るために両手を広げて、遊羽の前に出たときのことだった。そんなことを思いだすとは、走馬灯のようだなと、少し笑えた。
空間に干渉できる超能力を持っているのが、自分一人ではないとわかっていたはずなのに、いつの間にか完全に油断していた。この超能力は無敵だと思ってしまっていた。
「笑えるな」
彼は無表情で、自分の体についた傷と血が流れて服に染み込む様子を眺めていた。




