第1話 クリスマス・イヴの鬼ごっこ、スタート!
インディゴ・ブルーのライダースジャケット、細身のブラックジーンズに白のラバーソウル。シルバーのメッシュが入った肩にかかる黒髪。
カタギリリュウスケは、4階建ての自宅雑居ビルの屋上にいた。
高さ2メートルほどの洋梨に似た黒い隕石に、身長178センチの上半身を預け、片膝をつき、腰を下ろしている。
隕石がいつ落ちてきたのか、リュウスケも知らない。
この地区に移住したときから、すでに隕石はあった。
ライダースジャケットの背中越しに、硬い岩肌を感じる。
正面に視線を向ける。
朽ち果てて倒れたフェンスの向こう側には、月明かりと外灯に照らされたバラック小屋のトタン屋根、倒れかかった電柱、迷路のように張り巡らされた細い路地が遠くまで広がっている。
12月の澄み切った東京の空には雲一つなかった。
瞬きをするように、星たちが輝いている。
冷たい風が頬を撫で、髪をわずかに揺らせた。
深く息を吸い込み、冷えた空気を身体に送り込むと、部屋で飲んでいたバーボンの余熱と中和した。
吐く息が視界を白く染める。
もしここが「外の地区」であれば、車の走る音、クラクション、アスファルトを歩く人々のざわめきが聞こえてくるだろう。
だが、ここは喧噪とは無縁だった。寒空のもと、耳の奥にわずかに響く鼓動の他には、何も聞こえない。時間が止まったような静寂に包まれていた。
小雪がひらり、舞い降りてきた。リュウスケの長い睫毛にかかる。片眼を閉じ、小雪を溶かす。瞼に広がる心地よい冷たさが、酔いを覚ましていく。
隣で膝を抱えて座っている同居人のサチが、ジョン・レノンの「ハッピー・クリスマス」をハミングしている。
リュウスケは顔をゆっくりと左に向けた。ショートカットの黒髪、赤のダッフルコートにブルーのデニム、ブラウンのチェック柄のマフラー。
小柄なサチは、首を下に傾けながら、メロディーを口ずさんでいる。
リュウスケはブラックジーンズのポケットから、ブルースハープを取り出した。左手で口元に寄せる。ブルースハープの冷たさが、唇に伝わった。
サチのメロディーの合間に、即興でブルースのフレーズを入れる。むせび泣くように、また囁くように、ブルースハープの音色は、サチのメロディーに溶け込んでいった。
「リュウちゃんって、ハーモニカも吹けるんだね」
サチの白い息がふわりと舞い上がる。
「吹けるっていってもさ、真似事くらいのレベルだよ」
「ベース弾いてるときとは目が違うね」
「そうかな」
「うん。優しい目してる。いつ頃から吹いてるの?」
「まだ外にいた頃。15歳くらいだったかなあ」
「ベースは?」
「同じ頃だよ」
リュウスケは右手で、ブラックジーンズの太ももを叩いた。乾いた音が空に吸い込まれていく。
「サチ、そろそろ部屋に戻るとすっか。もうすぐクリスマス・イヴも終わっちまうよ」
「お風呂ってまだだよね。私、作るから」
「いつもありがと。身体も冷えたしな。ゆっくり温まるとするか。お前も冷えただろ。浴槽は洗わなくていいから、お湯だけ張ってくれ」
「ちゃんと洗うよ。一応、家事手伝いだもん。よいしょっと」
サチが立ち上がった。遅れてリュウスケも立ち上がる。
リュウスケが階段を目指し、右脚を上げた瞬間だった。
爆音に近いサイレン音が鼓膜を刺激した。
クリスマス・イヴにまるで似合わないサイレン音は、次第にボリュームが上がっていく。
鼓動が高まり、全身に緊張が走る。
サーチライトが、夜空に向かって伸びてくる。獲物を探す蛇のように、光は屋上の二人を捕らえようとする。
リュウスケは舌打ちをした。
「サチ、連中の狙いは俺だ。お前はベースメントに行け。あそこなら安全だ。それから盗聴の危険がある。連絡はするなよ」
「分かった。リュウちゃん、絶対無茶しないでね」
小声で囁くと、サチは小走りに階段を駆け下りていった。
サチの背中を見届けたリュウスケはつぶやいた。
「やべえな、こりゃ」